証拠物件_02_cover_01コウタは大学三年生で、幼なじみのシュンジと〝本部〟に溜まって目的もなく毎日を過ごしている。本部は安アパートの一室。仲間のために部屋を借りたのは二年先輩のボスだ。高校生時代からコウタとシュンジはボスに憧れてきた。その怜悧さや悪の匂いすべてが魅力的だった。そのボスがある儲け話を持ちかける。手っ取り早く金を稼げればそれでよかったのだが・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑による新連載小説!。

by 寅間心閑

 

 

 

 

   一 (後半)

 

 腹減ったから居酒屋でも行かないか、と炬燵に入ったボスはテレビを点けた。四畳半のこの部屋は炬燵で満杯だ。冗談じゃないですよ、とシュンジがテレビを消す。

 「こんな話、飲み屋で出来るわけないでしょう」

 声が震えている。落ち着けよ、となだめた俺を睨む目付きが尋常じゃない。大丈夫かな、と少し怖くなった。こいつ狂っちまうんじゃないかな。真剣に考えましょうよボス、というシュンジをボスは片手で制する。

 「そんなにテンパるなよ、お前のせいで全部バレそうだ」

 その言葉の後、沈黙が続いた。俺には適切な言葉が浮かばなかったし、シュンジは下を向いて黙りこくっている。バレるなら自分のせいだと納得したんだろう。聞こえるのはボスが煙を吐きだす音だけだ。清美は? と俯いたあいつに尋ねると、顔を上げずに「病院だと思う」と答えた。

 清美は学年だと高校二年だが、学校には行ってない。すねかじりの不良だ。三ヶ月くらい前、ダーツバーで向こうから声をかけてきた。目当てはボスだったみたいだが相手にされなかったので、シュンジとくっついた。くっついた、と言っても付き合っているわけじゃない。ただお互い都合のいい時にセックスをしているだけだ。下手すりゃ、あの公園の若い母親たちと同じ運命が待っている。

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 お前病院に行ってやらなくていいのか? とボスがシュンジに尋ねる。からかうような口調が分かったらしく、あいつは返事をしなかった。

 「清美はなんて言ってたんだ?」

 なるべく真剣な口調で訊いてみる。ボスと目が合うとウインクをされた。

 「ただ自殺未遂したから、病院に行かなきゃって電話で言われただけだから……」

 消え入りそうな声だ。そしてまた沈黙。俺はビールをもう一本出してきた。ボスに勧めると、腹減ってるからと断られた。缶を開ける音に顔を上げたシュンジは、また尋常じゃない目付きで睨んだが、「お前のせいで全部バレそうだ」と言われたのを思い出したらしく、すぐに視線を下に落とす。

 結局、何も分からなかった。

 清美の親父はどうやって死のうとしたのか、

 今現在は入院しているのか、

 清美はどうしているのか、

 警察は動いているのか、

 これからどうするべきなのか。

 俺たちが知りたいことは、何ひとつ分からなかった。

 シュンジは自分の家に帰りたくないから「本部」に泊まると言い出し、俺とボスは居酒屋に寄ってから帰ることにした。「あいつ自首とかしそうだよな」と笑うボスは背が高い。たしか百八十七センチだ。デタラメに並んだ自転車を器用に擦り抜ける背中を追い、高円寺駅近くのチェーン店居酒屋に入る。壁に掛かった時計を見ると、六時半だった。客はあまりいない。意外と時間が経っていて驚いたが、口には出さなかった。

 いざ向かい合って座ると、話すことなどない。俺も、そして多分ボスも、シュンジみたいにはなりたくなかったので、沈黙を選んだんだと思う。昨日ダーツをやりながら交わしていたような馬鹿話をしてもよかったが、それはそれでわざとらしい気がした。とりあえず今は黙っているに限る。

 ボスの煙草が切れたのをきっかけに店を出た。思い出したように「そういや明日、朝から仕事だ」と呟いていたが、多分嘘だろう。「コネで仕事を貰ってるから、スケジュールは完璧に記憶してる」といつも言っているくせに。結局、居酒屋には一時間もいなかった。じゃあな、とボスはバス停留所に並び、俺は少し迷ったが電車で中野まで帰ることにした。歩いて帰るには少々寒い。

 吊り革につかまりながら、「本部」に泊まっているシュンジの気持ちが少し分かった。大きな、というか厄介な秘密を持つと、人間は別人になる。別人の状態で、何の変化もない住み慣れた自分の家に帰るのは気が重い。ストレスになる。結局俺もすぐに帰る気にはなれず、一軒キャバクラに寄っちまった。

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 ビルの三階にある「ラブ・グランデ」。この店へはたまに来る。席についた女の子も知っている顔だった。名札には「マリア」と蛍光ペンで書いてある。聖母だ、処女受胎だ。幼稚園の時によく祈らされたもんだ。呼びつけなんか出来ないな、「様」を付けなくっちゃ。

 ブルーのアイシャドーが全然似合ってないマリア様は、とにかく胸が大きい。頭の悪そうな顔と、頭の悪そうな喋り方。そして、不味くはないが悪い味のハウスボトル。いつもは口を付ける程度だが、まるで罰ゲームみたいに飲み、マリア様や他の女の子にもドリンクを振る舞い、結局二時間以上いた。二万五百円也。

 店を出る前からもう頭が痛い。さすが悪いウイスキーだ。胸が大きくて頭の悪そうなマリア様に見送られながら、狭い階段を降りてシャバに戻る。シャバ、という言葉がまた暗い気持ちを呼び戻した。深夜のつもりだったが、まだ十一時前。中野駅前には人がたくさんいる。舌打ちしながら人混みをかき分けている間は、頭が痛いことを忘れられた。

 マリア様の大きな胸のせいで、エロ本が必要になりコンビニへ立ち寄る。くさい。また、おでんの臭いが充満している。蓋もしていない、埃が浮いたレジ前のおでん。誰か死なないかな、と鼻の息を止める。この不衛生なおでんを食べて誰か死ねば、一斉に全国のコンビニからおでんは姿を消すだろう。死んだからやめる。そんなことばかりだ。

 水とエロ本と煙草の入ったコンビニの袋を片手に、ふらふらしながら店を出る。ここまで酔っ払えば大丈夫。もう家に帰るのもストレスにならない。シュンジから着信があったがもちろん無視した。今シュンジと喋ったら「本部」に戻る破目になる。それだけは絶対に避けたい。

 エロ本を眺めても、全くその気にならなかった。集中してマリア様の大きな胸を思い出せば何とかなりそうだったが、硬くならないのに触り続けているのが馬鹿らしくて試合放棄を選んだ。水を飲み、煙草を吸う。早く寝ればいいのに、まだ十二時前で全然眠くない。で、結局のろのろとパソコンに向かい、これを書いている。

 昔から文章を書くのは苦手だ。本だって好きな方じゃない。大学に入って一番参ったのは、レポートの課題の多さだ。でも、やっぱり書いておきたい。俺は、熱心にSNSやブログをやっている連中を馬鹿にしている。世界に向けて発信できるのは事実なのかもしれないが、望まれてもいないのに発信してどうなるっていうんだ。それで何かを成し遂げたような気になる神経が恥ずかしい。ただ、今の俺は何かせずにはいられない。清美の親父の自殺未遂のせいで、どうにも落ち着かない。

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 俺の文章なんか誰も読みたくない。

 それは分かっている。誰も読みたがらないものに記録する価値などない、ということも分かっている。日記を書く価値があるのは、芸能人とか大きな企業の社長とか、何かポジションを持っている人間だ。俺にはポジションなんてない。二流の大学に籍を置いている大学生だ。そんな奴、掃いて捨てるほどいる。けれども今の状況は、不謹慎ながら面白い状況だと思う。記録する価値は、ある。

 価値の求め方は簡単だ。書く奴と書いた内容を掛け算すれば、すぐに求められる。俺にでも分かる数学、いや算数だ。ポジションのある奴は普通に日記を書くだけで面白くなるが、ポジションのない奴は事件でも抱えていないと面白くはならない。そう考えたら少し気が楽になった。記録しようとしている自分を、許す気持ちになれた。

 そう、俺は今、事件を抱えてるんだ。

 

 エロ本の上に突っ伏したまま寝ていた。気が楽になった途端、眠っちまったらしい。頭はまだ痛い。昨日の悪いウイスキーがぶり返しているらしい。

 時間は正午前。畜生。今日の一限は出なければまずかった。英語の再履修。欠席は三回まで可能。たしか、もう三回全部使い切っている。来年、再々履修だ。まさか大学が高校よりも休みづらいとはな。自分のルーズさと、頭の痛さと、トラブルを抱えている現状に何度も「畜生」と悪態をついて水を飲む。

 スマホを確認したが着信はなかった。ボスもシュンジもまだ寝ているんだろう。いや、シュンジは学校へ行っているかもしれない。

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 あいつは大学一、二年と全く単位を落とさなかった。そういうのは性格だ。死ぬまで治らない。きっと遺伝だろう。あいつの両親は二人とも公務員。地味で真面目で善良なつがい(・ ・ ・)。一人っ子の可愛いシュンジ君が家を出たいなんて言いだしたのは、悪い友達、つまり俺のせいだと決めつけているつがい(・ ・ ・)。とんだ憎まれ役だ。高校を出たら一人暮らしを始める。そう早くから決めていた俺を、あいつが勝手に真似しただけだ。

 おまえらは正反対の性格だから仲がいいんだな、とボスによく言われる。優等生のシュンジとお調子者の俺は不思議と気が合って、高校時代は担任からも「変なコンビだな」と笑われていた。ボスと仲良くなるまで、あいつは俺のことを「フナちゃん」と呼んでいた。俺の名前は、船木光太郎。ボスが「コウタ」と呼ぶので、今ではあいつも「コウタ」と呼ぶ。俺は昔から変わらない。ずっと「シュンジ」と呼んでいる。西内駿司は小学生の頃からの友達だ。

 二歳年上のボスは、高校生の頃から目立っていた。厭味にならない程度に顔と成績が良く、おまけに身長百八十七センチなので女子からは人気があったし、教師に媚びるタイプでもなかったので男子からも憧れられていた。つまり、完璧だった。

 いや、今でもそれは変わらない。ボスは完璧だ。

 誰にも言っていないが、俺がバイト先を決めた理由はボスが働いているのを知っていたからだ。東中野の定食屋に父親と入った時、ボスが注文を取りに来た。俺は高校に入学したてだったが、当然顔は知っていた。一緒にバイトをすれば少しでも仲良くなれると思い、すぐにその定食屋でバイトを始めた。お調子者はフットワークが軽くないと務まらない。

 バイトを始めて一ヶ月も経つと、遊びに連れて行ってくれるようになった。いわゆる「夜遊び」。当時から顔が広い人だった。クラブに行けば誰かしら知り合いがいて、そういう姿に後輩のお調子者はしびれていた。輝きが伝染しそうなくらい眩しかった。

 当然、帰宅時間も遅れがちになったが、俺の家は元々ゆるかったし、終電を逃した時はボスが電話で謝ってくれたので、特に問題はなかった。両親はボスを信頼していたし、二歳下の妹は遊びに来たボスに一目惚れをしたくらいだ。

 シュンジが働き始めたのは高一の二学期から。本当はもっと早くやりたがっていたが、東中野の小さい定食屋が何人もバイトを雇えるはずもなく、大学受験の為に辞めたボスの後釜として働きだした。その時もあいつの両親は、俺のせいでバイトをやりだしたと騒ぎたてた。あのつがい(・ ・ ・)の目は節穴だ。シュンジも俺同様、入学当初からボスを知っていたし、一緒にバイトをしている俺をずっと羨ましがっていた。

 あれから五年も経つのか。

 そう思うと、トラブルを抱えている現状が嘘みたいだ。まさかこんな未来が待ち受けているなんて、あの頃は三人とも想像してなかった。後悔とは別物の感慨に浸っていると、段々頭痛がひどくなる。

 ふとマリア様の大きな胸を思い出し、急激に身体が反応を示す。行為を始めた瞬間にさっきまでの懐かしい記憶はすぐに消え、行為を終えた瞬間に猛烈な眠気が襲ってきた。そういうのに逆らっても無駄だ。俺は汚れた身体のまま、もう一度寝た。

(第02回 了)

 

* 『証拠物件』は毎月06日に更新されます。

 

 

 

 

 

 

 

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