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フジテレビ

日曜21:00

No.117_TVドラマ批評_01

 

 

 フジテレビの苦難は続いている。脚本は野島伸司、芦田愛菜ちゃんと朝の連ドラ「マッサン」のシャーロット・ケイト・フォックスの W 主演という非の打ち所がない陣容のはずが初回から 4% 台。Twitter ではボコボコで、早くも犯人探しが始まっているという。そんなに話題になってるのに焼け太りはないのだろうか。批判するからには観ているはずなのだが。

 

 と、鷗外先生のようなことをボヤきたくなるのではないだろうか。そう、鷗外先生は新聞連載史伝が不評で打ち切りになったのだけれど、読者からのクレームに「こんなに文句を言うところをみると、読んではいるんだ」と感心されていたという。いや先生、そうじゃなくて。

 

 そうじゃなくて、彼らは新聞というものを公器と考えていて、そこに理解不能なものが載っていることに腹を立てているのだった。自分の知性が足りないか、さもなくば新聞が新聞たる務めを果たしていないか、と追い詰められた挙句にキレたと言えるかもしれない。

 

 テレビドラマの低視聴率が批判されるのも、数少ないチャンネル、周波数のバンドを占有する公器の一つとみなされているが故のことではあろうか。公器だからこそ、コアな視聴者にしか関係しないものもときには流す必要があるだろう。(そしてそれが存外、一般にもウケたりもする。)とすれば数字それ自体が問題なのではなくて、狙いを外したことが批判されているのだ、もちろん。

 

 そうすると、ここには狙いとその外し方のあるパターンが示されているはずで、有意義な示唆に富んでもいる。日曜のこの枠は以前、視聴率低迷のためにフジテレビは撤退した。今回、満を持して復帰した第1作で、その気合いや自信が溢れているはずのものだ。

 

 問題は、それが誰の気合いや自信で、誰に対して示されたものなのか、というところだ。脚本、野島伸司。このベテランが、そんな初歩的なところを外すはずがない、と思う。それほどの大物を配するだけの理由があって、まさにその理由によって、わかっていても足をすくわれざるを得ない、ということはないか。

 

 テレビドラマの脚本家があらゆるしがらみなしに、自由に力を発揮できる、ということはないに等しい。テレビドラマは個人の創作物ではなく組織が作るもの、公器とも言われる電波にのるものだからだ。だからもう絶対にコケられない、という状況下で、組織のすることは決まっている。セーフティネットを張るのだ。これもまた、極めて豪華なキャスティングである。

 

 それが勢いあまってW 主演になったようだ。しかし W 主演というのは存外、失敗作が多い。上手くいくケースは、双方が同類で二人でひとつと言えるような場合、もしくははっきりした主従関係がある場合で、これだと W 主演という呼び方も危うくなる。今回、芦田愛菜が冴えない、というのはだから彼女の迷いではなく、企画そのものの迷走を示す。それが演技に出てしまうくらい、才能があることが見てとれる。

田山了一

 

 

 

 

■ 野島伸司さんの本 ■

世紀末の詩 ウサニ (小学館文庫)

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■