証拠物件_01_cover_01コウタは大学三年生で、幼なじみのシュンジと〝本部〟に溜まって目的もなく毎日を過ごしている。本部は安アパートの一室。仲間のために部屋を借りたのは二年先輩のボスだ。高校生時代からコウタとシュンジはボスに憧れてきた。その怜悧さや悪の匂いすべてが魅力的だった。そのボスがある儲け話を持ちかける。手っ取り早く金を稼げればそれでよかったのだが・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑による新連載小説!。

by 寅間心閑

 

 

 

 

   一 (前半)

 

 参った。トラブル発生だ。

 清美の親父が自殺未遂/至急連絡して

 そんなメールで起こされた。LINEではなく、メール。枕元にスマホなんか置いとくんじゃなかった。昼の二時、テレビは点けっぱなしで服は着っぱなし。呻きながら手を伸ばせば、フタを開けっぱなしのコーラと、吸殻を積みっぱなしの灰皿。まだ半分寝ている俺は気が抜けたコーラを口に含み、もう一度枕に頭を叩きつけた。

 清美の親父が自殺未遂。

 その意味と重さ、つまり未来に対しての影響力を一度考えたかったし、どうしてLINEではなくメールなのかも気になったが、なにしろもう少し眠りたかった。一流のトップモデルでも、育ち盛りの子供でも、今朝の七時までビールをガブ飲みしながらダーツをやっていた俺でも、睡眠が大切なのは変わらない。けれどスマホがまた鳴った。

 今しがた、メールで俺を起こしたばかりのシュンジから今度は電話だ。無視しようとしたが、何度もかけ直されるだけだと諦めて出た。声色がもう取り乱している。予想どおりだ。中学の時からこいつはすぐに取り乱す。頭はいいけど気が小さい。

 「メール見た? ちゃんとメール見てくれた?」

 明らかに混乱しているヤツに何を言っても無駄だ。俺は「あとでかけ直す」とだけ告げて、スマホの電源をオフにした。たださすがにもう眠れない。睡魔には逃げられた。戻ってきてくれと念じながら、俺は布団の中で対策を練る。段々と、そして確実に、気持ちとは裏腹に冴えてくる頭。外の天気も知らないっていうのに、まったく慌ただしい日だ。

 なんでこんな目に、と不満を訴えたいが、自業自得だと薄々気付いてはいる。多分、俺たちは適当に暮らし過ぎた。ボスとシュンジは否定するかもしれない。適当だったのはお前だけじゃないかと笑われそうだ。たしかに順位をつければ俺が一位かもしれないが、あの二人だって平均値は遥かに上回っているだろう。しかし、と這いずりながら布団を抜け出す。

 しかし、腹が減った。もし睡魔が戻ってきたとしても、出迎えるコンディションじゃない。昨日の夜はビールばかりで、何も食べなかったんだよな。ボスとシュンジだって同じ。何も食べてないはずだ。いや、そもそもあのダーツバーは、まともな食い物を置いてないじゃないか。

 冷蔵庫を開ける必要はない。品揃えは把握している。ビール、マヨネーズ、ケチャップ、ソース。まともな食い物など入っていない。俺は玄関先に落ちていたスカジャンを着てコンビニを目指した。左のポケットにレシートが入っている。去年の日付だ。どうりで印字が薄れている。俺は去年の十二月三日、今から行くコンビニで肉まんをひとつだけ買っているらしい。正確なだけの記録なんてくだらない。

 

 もう十月も半ば過ぎ。裸足にサンダルだとさすがに寒い。煙草をくわえながら背中を丸めて歩いている自分が、つぶれかけた靴屋の窓ガラスに映る。

 先月で二十一歳になった。

 窓ガラスに映った二十一歳は、どう見ても大人ではない。頼りのない姿。一応大学には籍を置いているが、週に二回くらいしか学校には行っていない。大学の奴等と仲良くする気は初めからなかった。仲良く、なんていう歳か。必要がある奴はそうすればいい。とにかくあんな大学で誰かとつるむ必要が俺にはなかった。

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 コンビニの中は暖かく、おでんの臭いが充満している。くさい。二日酔いでこの臭いを嗅ぐと必ず気持ち悪くなる。はじめは我慢して弁当を選んでいたが、結局気持ち悪くなり何も買わずに店を出てきた。

 自販機で水を買い、新しく整備された公園のベンチに腰掛ける。目に映る光景にはまだ慣れそうにない。苛立つほどではないが、いつも軽く憂鬱になる。

 ここ数年で中野駅の周辺は様変わりしちまった。企業だけでなく大学を三校も誘致した結果、知らない道路や建物が出現し、知っている風景は消滅した。それだけじゃない。あと数年でサンプラザも取り壊すらしい。いっそ中野って名前も変えればいいのに、と言っていたのはシュンジだ。まったくだ、とすぐに同意したから覚えている。

 新しい公園では、若い母親たちが子供を遊ばせていた。俺と同じ歳くらいの母親もいる。可愛い我が子が、裸足にサンダルのスカジャン男から声をかけられたら嫌なんだろうな。もしかしたら通報されるかもしれない。そう考えると、無性にやってみたくなったが、もう既にひとつトラブルを抱えていることを思い出してやめた。

 清美の親父が自殺未遂。

 自殺かよ、とツッコむのが精一杯だ。未遂でよかったかどうかは分からない。死ぬのが一番まずいと理解はしているが、こんな風にモヤモヤしているのは未遂だったせいだ。畜生、と呟いてみる。少しすっきりした。でも、何度も「畜生」なんて呟いていると本当に通報されちまう。

 スマホは家に置いてきた。電源はオフ。シュンジの奴、どうせ何度もかけてきてるんだろう。もしかしたら家まで来ているかもしれない。あの小心者、と可笑しくなった。でも一人なのに声を出して笑っていると、それもまた通報される理由になりそうだからやめた。

 世の中、我慢を強いられることが多すぎる。お前らも勝手やってんじゃねえか、と心の中で若い母親たちに毒づいてみた。何の計画性もなくセックスやって、「今日は大丈夫」とか言って中で出させて、妊娠四ヶ月で慌てて式を挙げて、馬鹿野郎。

 「母親になりました」だと?

 「命の尊さに気付きました」だと?

 「裸足にサンダルのスカジャン男が、今うちの子供を変な目で見てます」だと?

 誰もお前らの幸せなんか羨ましがらないよ、安心しろ。壊す価値もない。お前らの「幸せ」と俺の「幸せ」は、呼び方が同じだけで全く違うんだ。百均のビニール傘と、デパートで売っている傘は、同じ傘でも違う。それと同じだ。わざわざ百均の傘を盗んで捕まる馬鹿はいない。どうせ捕まるんだったらそれなりの……、と考えて我に返った。

 清美の親父が自殺未遂。

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 俺は、いや俺たちは逮捕されるんだろうか。「逮捕」という言葉は重たい。向き合うのが怖いから、公園を出て家へ帰ることにした。途中、駅前のそば屋で何か食べていこう。無機質な新しい公園で、若い母親たちは無神経にゲラゲラと笑っている。

 

 スマホの電源を入れると、案の定シュンジからメールが入っていた。また、LINEではなくメール。しかも四件。外出していた時間は一時間足らず。あいつ、どこまで気が小さいんだ。

 ボスからはまだ何の連絡もない。それはそれで気にかかるが、自分から連絡するのも気がひける。そんなことしてみろ。俺まで小心者の仲間入りだ。

 「本部」に行ってみようと思う。シュンジはもう到着しているかもしれない。ただ、昨日と同じ服だと焦っているみたいだから、ちゃんと着替えて出かけよう。いや、いっそのこと、もう少し遅れた方がいいような気もする。緊急事態にこそ落ち着いて堂々としていないと。

 こんな時はシャワーに限る。さあ、今日はどっちだろう。この家のシャワーは水量が一定していない。痛いほど勢いがいいか、悲しくなるほどチョロチョロか、浴びてみるまで分からない。初めは腹も立ったが、いつの間にか慣れてしまい、今では一定しない水量を別の目的で利用している。

 外に出ようかどうしようか迷っている時――大抵は大学に行くかどうかだが――、シャワーの勢いがよければすぐ外出し、チョロチョロならそのまま家にいる。占いみたいなものだ。これを始めてから、大学の欠席率が上がった。まったく、ろくな使い道じゃない。

 結果、今日は勢いよく出た。さあ、「本部」へ行こう。歯を磨いて、髪を乾かして、服を着替えて、煙草を二本吸い、気の抜けたコーラを飲んで……と支度の最中、また一件シュンジからメールが入った。

 本部にいる/大至急集合

 どれだけ舞い上がってんだ、あの馬鹿。情けなくてイライラする。ただ、あいつのそんな態度は俺を冷静にさせてくれる。昔からそう。あいつは立派な反面教師だ。

 家を出る頃には、もう四時を過ぎていた。誘致された大学のせいで人通りが多い。邪魔くせえな、と呟きながら歩く。家から中野駅まで十分弱。「本部」の場所はその先の高円寺。このまま歩いていこう。

 一年前にボスがアパートを借りた。

 自分が住むためではなく、俺たち、つまりボスとシュンジと俺の溜まり場用だ。共同トイレ、風呂なし、築三十年弱、木造四畳半で二万二千円。高いか安いかいまだに分からない。少なくとも隣の音は丸聞こえだ。もう住人たちは壁の薄さに慣れ、そして諦めちまっているらしく、夜に騒いでも文句を言われない。他の住人たちはもっと遅くに騒いでいるのかもしれないが、滅多に泊まらないので分からない。実家住まいのボスだけは、女をよく連れ込んでいるみたいだけど。

 「本部」と呼び始めたのはシュンジだ。「ボス」と名付けたのもそうだ。あいつは典型的な文系で、ボス曰く「頭脳派」。俺が馬鹿みたいじゃないですか、と言うと「じゃあ馬鹿じゃないのか」と返された。

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 ボスは高校時代の二年上の先輩だ。バイト先が同じだったので仲良くなった。シュンジとは中学生の頃から、ずっとクラスが一緒だった。たしかに成績は良かったし、頭の回転も早い。それはボスも一緒だ。加えてボスには度胸もある。あの大胆というか無茶な性格には到底かなわない。

 ボスが卒業した大学も、シュンジが今通っている大学も一流だ。俺の大学は明らかに二流。情けないが仕方ない。ボスは一切就職活動をせず、フリーターになった。もったいないですよ、と熱くなったシュンジに「そういう世の中じゃないだろ」と笑っていたのを思い出す。SEやプログラマーの仕事がメインらしいが、どんな内容なのかはよく知らない。

 途中、自販機でまた水を買った。飲み過ぎのせいで喉が渇く。古ぼけたアパートの前にはシュンジの自転車が停まっていて、「本部」のドアを開けると同時に「遅いよ」と文句を言われた。面倒くさいから、間髪入れずに「どうしてだ?」と尋ねる。

 「どうしてLINEじゃなくてメールなんだよ」

 俺、シュンジ、ボスの三人はLINEのグループを作り、普段はそこでやり取りをしている。でもシュンジは今日、ずっとメールだ。その理由が朝から気になっていた。ボスに見られたくないなら、トークを送れば済む話だ。

 「別にいいじゃん」あいつは最初、そう突っぱねたが、少し黙った後に白状した。「LINEだと、ほら、それまでの流れっていうか履歴が見えちゃうからさ。メールだったら、あまり読み返したりしないし」

 分かったような分からないような話だったから黙っていると、「っていうか、コウタ、遅いよ」と思い出したようにまた文句を言い始めた。見る見るうちにテンションが高くなる。一人で待っていた時間がよほど不安だったのか、あいつはベラベラとよく喋った。延々と続く文句を聞きながら、冷蔵庫の中にあった缶ビールを飲む。昨日のビールのせいで渇いた喉を、今日のビールで潤すのは虚しい。缶が空きそうになった頃、ボスがやって来た。

 言い終えたはずの文句を、二周、三周とぐるぐる繰り返していたシュンジが立ち上がり、「遅いじゃないですか」と悲痛な声で訴える。ボスは煙草をくわえたまま微笑んだ。予想どおり、慌てた様子はこれっぽっちも見せずに俺と同じ質問をする。

 「シュンジ、どうしてLINEじゃなくてメールなんだよ」

(第01回 了)

 

 

* 『証拠物件』は毎月06日に更新されます。

 

 

 

 

 

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