その「おこだわり」、私にもくれよ!!

テレビ東京

金曜深夜0:52

No.114_TVドラマ批評_001

 

 

 松岡茉優と伊藤紗莉の主演で、「松岡茉優」がMCを務め、その親友「伊藤沙莉」がカメラを兼務するドキュメンタリー・バラエティー「その『おこだわり』、私にもくれよ!!」に出演する、というドラマである。すなわち広報ページにあるように、「このドキュメンタリーはフィクション」なのだ。

 

 「俺にもくれよ!!」をちょっと変えたというタイトルの印象通り、完成度もへったくれもないとっちらかった画面で、いかにも素人っぽいドキュメンタリーだ。ただ、大枠はフィクションなので、エピソードが極端に傾いてゆく。つまり「やらせ」というものを映像化したとも言える。

 

 確かにこれは「やらせ」のパロディでもあって、そこでのテーマがあまりにさも無い、くだらないものだから笑える。やらせだろうとやらせであるまいと、どっちでもいいぐらいくだらないから見られるのだ。すなわち通常、やらせが社会問題になるのは、それが誰かの利害に関わるものだからだ、と気づかされるだけでも意味はある。利害がなければ、面白おかしくさえあればいい。

 

 それでこの番組の面白おかしさは、当然のことながら極端化されたフィクションにあるのではない。本来のドキュメンタリーをなぞるようなドキュメンタリーっぼさ、そしてドキュメンタリーにするに値しないようなくだらない「おこだわり」を見たい、ということに尽きる。そして「ドキュメンタリーするに値する」というのもまた、誰かの利害に関わるものなのだ。

 

 ここでの「おこだわり」がさも無く、くだらないと面白がられるというのもまた、共通の価値観に対するパロディではある。それが社会的に意味がある、つまり結構大勢の利害に関わることへのこだわりなら「専門家」であったり「第一人者」であったりするし、「こだわり」は「実力」と呼ばれる。「『お』こだわり」とは、そういう立ち位置を持たない「こだわり」である。

 

 たとえば「ポテサラの男」はポテトサラダをこよなく愛し、芋はメークインを皮付きのまま茹でねばならない。できたポテサラを箸一本ですくって口に入れ、ビールや麦茶の「麦」の部分と口の中で出会わせる。デンプン質とデンプン質の融合で、何かが起きるのだ、そうだ。

 

 これを「マリアージュ」と呼ばずして何と呼ぶか。ワインと料理なら認知され、ポテサラと麦茶だと笑われる。我々の価値観なんて、そんなものだろう。ちなみにこの回では伊藤沙莉がポテサラにソースをぶっかけ、ポテサラの男の存在意義を脅かすというフィクショナルなプロットがある。

 

 家に帰ること、帰り道での瑣末なあれこれに「おこだわり」を示す男の回では、確かに自分の世界に埋没することの幸福感が漂う。その家路での交通事故、かつての同棲相手との復縁というプロットはもちろん付け足しに過ぎない。あからさまにフィクショナルな、それこそくだらない茶番をそれでも必要とする我々の社会とは何なのか、ということまで考えるのであった。

田山了一

 

 

 

 

 

その「おこだわり」、俺にもくれよ!!(1) (モーニングコミックス) 第01話「ポテトサラダの男」