フラジャイル

フジテレビ

水曜日 22:00

No.110_TVドラマ批評_01

 

 

 医療ものは数字を獲れない、と言われ続けて久しい。もちろん、どんなジャンルにもヒットはあって、そうならないものもまた多い。ただ、ヒットがあまりに大きく、ほとんどそのジャンルを規定してしまうと、その後はそれをなぞって沈没する傾向にはあると思う。

 

 医療ドラマの典型を作ったのは、古くは『白い巨塔』で、そこで示された権威としての医療組織というイメージは、日本の医療ドラマには抜き難いお約束となっている。それはドラマ制作をおそらくはやり辛くするので、なぜなら視聴者の興味はもうそこにはないからだ。『白い巨塔』が “ 大衆 ” の関心を引いたのは、戦後に共有されたハングリー精神の指標として、文字通りその巨塔が機能したに過ぎない。

 

 それでも医療ドラマは今でも、マンガのように野心的で腹黒い医師らが、たいてい若い主人公の医師を陥れようとする。この若い主人公の医師は、手塚治虫のマンガ『ブラックジャック』の流れをくみ、とっつきにくくてプラグマティックな変わり者だが腕はよく、本当は同情心もちょっとは持ち合わせているというパターンが多い。つまりは腹黒さもプラグマティズムも『白い巨塔』の、戦後のその後なのだ。

 

 このパターンがある種の時代劇のパターンのように、視聴者にパターンとしてしか認識されないのは、現実に視聴者が経験する医療現場との乖離があるだろう。医大生にとってはともかく、いまや医療組織が『白い巨塔』として “ 大衆 ” に具現化する状況ではない。実際、診察室の医師たちは、多少は無愛想でも、ドラマの中の彼らとはかけ離れている。

 

 だから海外のテレビドラマのように、医療現場を描くならヒューマン・ドラマの方がリアリティを持つ。医師という “ 階級 ” を前提に社会派ドラマに仕立てる文脈は、戦後日本の “ 大衆 ” にとって、それがある時期、身近な成功者の指標とみなされたという特殊な事情下のものでしかなかった。

 

 ヒューマン・ドラマで、たまたま医療現場が舞台だというのは、しかしあまり説得力を持たない。人は皆、病院に縁があるし、人の病や生死をネタに使うことに無意識的な抵抗を感じる。それも甘い取材で、おそらく現実の医療現場からすれば笑止だろう、となれば興味も失せがちだ。患者の目からしても、実際はそんなんじゃないという雰囲気はわかる。

 

 ヒューマン・ドラマにしても、若いピチピチしたあんちゃんたちがやり合うなら、よほど緻密に取材しないかぎり、医者なんて保守的な職業じゃない方がいい。組織の欺瞞に楯突かせるなら、たかが一病院なんかでなくメガバンクぐらい相手にしなければヒットにならない。そうならば病理医というスキマを狙った設定は、患者の目に入らないぶん、いいかもしれない。

 

 とりわけ「僕の言葉は絶対だ」とか「100%の診断」とか、診断ミスをもって「人殺し」とか、およそ医者が口にすることのないセリフを吐かせるには、「医者であって医者じゃない」立場に設定する必要がある。「倍返し」同様、それらの言葉は視聴者が医者に言ってもらいたい、夢の一種でもあるのだ。

田山了一

 

 

 

 

 

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