再開発騒ぎ_04_cover_01この町には黒ヒョウがマスターをしているバーがある。お客はシャム猫にフクロウ、アライグマ、コウモリ夫妻といった動物たちで、ヒトは僕だけだ。でも僕はこのバーになじんでいる。フクロウが言うように、僕はヒトでヒモでもあるからだろうか。僕は少しだけ人間ではないのだろうか。この町に線路を地下に潜らせる再開発話しが持ち上がる。再開発、それは何を変えるのか・・・。寅間心閑の辻原登奨励小説賞受賞作!。

by 寅間心閑

 

 

 

 

  

 

 こころの夜警団は、ほどなく活発に動き始めた。

 あの夜、オランウータンが見せてくれたロゴや、道路建設反対を訴えるビラが町の方々で確認できるようになるまで、時間は要らなかった。ビラは鮮やかな黄色で、遠くからでも一目で分かる。

 「もちろん、目立つようにですよ」

 ある夜、黒ヒョウの店で久しぶりに出会ったオランウータンは高らかに笑った。最近は相当忙しいらしく、少し痩せて見える。

 いいアイデアじゃないですか、とシャム猫が声をかけると「ま、私が考えたわけじゃないんですけど」とおどけて頭を掻き、担当したデザイナーの名前を挙げた。

 「知ってますかねえ?」

 自然とみんなの視線が僕に集まる。

 不思議なことではない。なぜならヒトは僕しかいないから。と、いつもならあまり気にしない展開のはずだが、その時ばかりはしどろもどろになってしまった。実は、その名前をよく知っていたからだ。直接の面識はないが、彼は通っていた美大の一年先輩で、最近は雑誌などでも頻繁に見かける。

 名前くらいならね、と嘘をついてからジンを飲む。僕が割れてしまった画家の卵だなんて、みんなは知らない。この店で、僕はただのヒモだ。それが心地いいから僕はこの店が好きなはずなのに、なんだか胸の奥の方がしんと静まりかえってしまい、結局残りのジンを飲んだ後、お勘定を頼んだ。

 「え? もう帰るんですか」

 大袈裟に驚くアライグマに「たまには家にいないと、追い出されちゃうからさ」と、小指を立てながらまた嘘を重ねる。お釣りを渡してくれた黒ヒョウと目が合ったが、なんだか全部ばれているようで自分から目を逸らした。

 みんなに「ちゃんとおみやげ買ってけよ」とからかわれながら、店の外へ出る。当然、まだ夜だ。いつもどおり、踏切はなかなか開かずに足止めを食ってしまう。微かに苛立つ僕の前を、マル電の電車が通り過ぎていく。生ぬるい風に包まれ、あやうく叫びそうになってしまった。何を訴えるというわけでもない、ただの奇声。

 「今の世の中、たった一度叫んだだけでもヒトは逮捕されちゃうんじゃないかね」

 いつかフクロウさんに言われた冗談だ。

 多分、それは正しい。

 

 昼過ぎから夕方にかけて、駅前ではほぼ一日おきにギターを持った若者たちが歌うようになった。手書きの横断幕には「この町を壊すな こころの夜警団」と書かれている。その音楽自体はあまり魅力的ではなかったが、何度か立ち止まってぼんやりと眺めていた。

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 大抵立ち止まっていると「よろしくお願いします」とビラを渡される。町中を彩り始めたあの黄色いビラ。配っているのは黄色いTシャツを着たスタッフらしき連中だ。僕みたいに立ち止まっている奴を見つけると、駆け寄ってきてすぐにビラを手渡す。

 ふとオランウータンの姿を探してみたが、当然いるはずもない。ここにいるのは、僕も含めてヒトばかりだ。

 こんなこともあった。

 以前よく通っていた居酒屋に顔を出すと、店内にあのビラが貼ってある。お芝居やコンサートのポスターに混じっても、黄色と黒の二色刷りはかなり目立つ。ぼんやり眺めていると、久しぶりの店長が声をかけてきた。

 「来週さ、ここでライブやるんだよ」

 「ここって、店内でですか?」

 「うん。そのお座敷を舞台にしてね、やるんだって」

 夜警団結成前夜に遭遇した話が喉元まで出てきたが、どうにかこらえて店長の話に耳を傾ける。

 「いやあ、びっくりしたよ、若い連中が突然ビラを貼らしてくれ、なんてやって来てさ。で、事情を聞いたらまた驚いちゃってね。そんな道路の計画とか立ち退きのことなんて、俺はまったく知らなかったからさ」

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 みんなのことをヒトに話さない、と決めたのはいつからだったんだろうか。僕は彼女にさえ、何も話していない。

 別にみんなから口止めをされているわけでもないし、自分自身が拒んでいるわけでもない。むしろ今みたいに、話してしまいそうになる瞬間の方が多い。

 「まあ、うちの店で役立つことなんかあまりないからさ、ライブの話も最初は面食らったけど、まあちょっとでも力になれればってことで決めたのよ。その道路が出来たら、ここも立ち退かなきゃいけなくなっちまうんだからね。他人事じゃないよ、まったく」

 多分、僕は消えてしまうと思っている。

 みんなの話をヒトにした瞬間、黒ヒョウの店もいつもの顔ぶれも消えてしまいそうだと、自分でも確認できない奥の部分で直感している。だから、何も言わない。

 「よかったらライブ見に来てよ。チケット代は五百円でいいらしいからさ。ま、どんなヤツが出るのかは俺も知らないんだけどね」

 飲食店だけではない。古着屋では夜警団のスタッフが着ているTシャツ、レコード屋ではテーマソングが入ったCD、雑貨屋ではロゴが入ったバッジ、といった具合に色々な店が協力を始めた。八百屋や薬局、畳屋あたりでも、店頭にあのビラを貼り始めている。道路の建設予定地になっている地域を中心に、夜警団の運動は着実に盛り上がりを見せていた。

 本当なら、今まで前進できなかった分を取り返そうと、黒ヒョウの店の連中も動き始めたかったはずだ。もちろん僕だってそうだ。でも運動の広がる速度はあまりにも速すぎて、うまくは言えないが、日に日に遠いところへ行ってしまうような感じがしていた。

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 「なんていうか、出遅れたっていうか、取り残されたっていうか……。ねえ、そんな感じしますよねえ?」

 そんなアライグマの正直な問いかけに、誰も応じない。僕も含めてカウンターのお客さんは、言葉を濁しながら曖昧に微笑み、目の前にある酒に口をつけるだけだ。そしてアライグマもそれ以上は何も言わなかった。

 こんな時に来てくれれば、と思うが、ますます忙しくなっている町の名士が来る気配は一向にない。

 

 結局僕は五百円を払い、夜警団主催のライブを見てきた。

 店長の言ったとおり、お座敷を舞台代わりに何人かの若者が演奏を披露し、それが終わると男がひとり、壇上に上がって深々と頭を下げた。

 その顔に見覚えはなかったが、かろうじて名前は知っていた。以前、オランウータンの口から聞いたことがある。年の頃は四十代半ばくらいだろうか、明るいグレーのスーツに身を包んだ彼こそ、今度の区長選に出馬する、というヒトだった。思わずまじまじと凝視してしまう。僕たちの気持ちを託すヒトを、僕は初めて見たのだ。

 彼は笑顔で自己紹介をした後、夜警団の説明、結成のいきさつをよく通る声で話し始める。もちろん全部知っている話だったが、知らない人の口から聞くと少し感触が違う。オランウータンの話がラフなデッサンだとすれば、彼の話は完成された絵だ。額に飾られ、鑑賞される準備が整った絵。

 どちらが良い悪い、という話ではない。それは好き嫌いの問題になってしまう。ただ、より効果的に伝達したいならば、絵が完成しているのに越したことはない、と僕は思う。

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 実際、彼の話は分かりやすく、店に来ていたお客さんたちにもちゃんと届いているようだった。店長も時折厨房から顔を出し、真剣な顔をして聞き入っている。店の中にはヒトしかいない。

 「みなさんの一票を絶対に無駄にはしません。当選したらまず、道路建設計画の中止を、区に対して正々堂々と提言していきます」

 彼の話は二十分にも及んだ。

 最後にみんなで夜警団のテーマソングを歌いましょう、と言ったので僕は帰り支度を始めた。ちょっとこの後約束があって、とちゃんと嘘もついた。約束などあるわけがない。これからやることといえば、黒ヒョウの店で嫌いなジンを飲むくらいだ。ただ僕は大勢で歌など歌いたくはなかった。

 なんだかもやもやしていた。その原因を脇目も振らずに考えていたせいか、それとも単に早くみんなの顔を見たかったのか、とにかく僕は早足になっていて、開店時間前に店のそばまで来てしまった。

 すぐそこに店は見えているのに、またなかなか開かない踏切に足止めを食わされる。生ぬるい風に包まれないよう少し後ろへ下がり、遮断機が上がり始めると同時に一歩踏み出す。こんな心持ちのまま、生ぬるい風に包まれたりしたら、まずい。絶対に奇声をあげてしまう。

 店の前では黒ヒョウとフクロウさんが喋っていた。後ろから近付く僕にも気付かず、何やら熱心に話している。

 「いや本当、何のことわりもないんですからね。もう参っちゃいますよ」黒ヒョウの語気は荒い。

 「そうか。じゃあ君が頼んだわけじゃないと……」

 「当たり前じゃないですか」

 なんとなく声をかけづらく、かといってこの場に立ち尽くしているのも変なので、ひとつ咳払いをしてみる。

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 「お、いらっしゃい」

 振り返りそう言ったのは黒ヒョウ、ではなくフクロウさんだった。こんばんは、という僕の声は変に掠れていた。黒ヒョウ、フクロウさん、僕、の順で店に入る。まだ開けたばかりのようで、カウンターの上は散らかっていた。

 ちょっと待っててね、と黒ヒョウが片付け始める。沈黙が続いてしまった。フクロウさんも素知らぬ顔で煙草に火を点けている。もうすでに酔っ払っているらしく、少し手元がおぼつかない。

 僕は思い切って口を開いた。普段だったらそんなことはしないが、もうすでに胸の中はもやもやしている。もやもやを二つも抱えるのは御免だ。

 「何かあったんですか?」

 顔を見合わせる黒ヒョウとフクロウさん。やっぱり黙っておけばよかったかな。そう悔やんだ瞬間、「まあ、彼には言っといた方がいいんじゃないの? 彼にはっていうか、彼だからこそさ」と、フクロウさんが囁く。

 「そう……ですねえ」

 お願いします、という僕の声は場違いに大きかった。でも、仕方がない。もうこれ以上もやもやは要らないんだ。

 「うん。まあたいしたことじゃないんだけどね……」

 口を開いた黒ヒョウを「たいした話だから、怒っているんだろう?」とフクロウさんが咎める。

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 「まあ、そうなんですけどね」頭を掻きながら黒ヒョウは話し始めた。「さっき、こんなビラを置いていってさ」

 誰がですか? と尋ねる前に、「オランウータンがね」と教えてくれる。

 ポン、と投げられたビラはもちろん鮮やかな黄色だった。大きく「こころの夜警団加盟店一覧」と見出しが付いていて、その下に様々な店の名前が書いてある。目で追うと、大体知っている店だ。そして一番最後に「黒ヒョウ亭」と載っていた。この店には名前があったのか。

 「ああ、一番最後の……」

 「そうなんだよ」まだ注文をしていないのに、ジンが突き出される。「それ、勝手に付けられちゃってさ」

 「え?」

 「うちの店には名前なんかありゃしないんだから」

 「あ、やっぱり……」

 自分の店に勝手に名前を付けられるのが、どれほど腹立たしいかは僕にだって予想がつく。オランウータンはどうしてそんな真似をしたのだろう。

 「いや、それだけじゃないんだよ」フクロウさんが煙を吐き出す。「な、そうだろう?」

 黒ヒョウはグラスに注いだワインを一気に飲み干すと、軽く咳き込みながら「うん」と頷いた。

 「結論から言うとね、俺はアレに反対なんだよ」

 「夜警団……?」

 「そう。前々からどうかなあと思っていたけど、これで確定」黒ヒョウは僕の手からビラを取り上げ、一気に破いた。

 「当店は、反対」

 もちろん突然の宣言に驚きはしたが、その雰囲気にはどこかで納得できた。フクロウさんでさえ、口を挟めないような刺々しさ。やっぱり黒ヒョウは凶暴な炎を飼っていた。

(第04回 了)

 

 

* 『再開発騒ぎ』は毎月06日に更新されます。