鶴山裕司さんの連載歴史小説『好色』(第04回)をアップしましたぁ。鶴山さんは骨董好きで文学金魚で『言葉と骨董』を連載しておられますが、前に『骨董好きと歴史小説は関係ありますか?』とお聞きしたら、『基本関係ない。骨董好きなら歴史小説が書けるのなら世話はない』といふ即答でした。

 

そりについては石川も同感です。プロの端くれであっても、文学を雰囲気(アトモスフィア)で捉えている作家はけっこう多いでありまふ。骨董好きなら歴史小説が書けそうだといふのもその一つですが、ひどい場合は万年筆や原稿用紙といった、文学者らしさに凝るのが作家だと思い込んでいるやうな人もいます。確かにそんなことで良い作品が書け、良い作家と呼んでもらえるなら世話はなひのでありまふ。骨董好きなら良い骨董エセーを書けるわけではなひもの、もちろんのことでありまふ。

 

んで鶴山さんの『好色』は、『時代小説』ではなく『歴史小説』と銘打っています。この二つのジャンル(サブジャンルかな)についてはいつか鶴山さん自身がお書きになるでせうが、石川の理解では作家の思想の問題です。

 

過去の歴史を題材にする場合、誰にとっても完璧な時代考証は不可能です。また江戸時代を描くからといって、文語体で書くといふのもナンセンスです。つまり『時代小説』と『歴史小説』の違いは時代考証の正確さでもなければ、文章のテニオハの問題でもない。過去を題材にすることで、作家が何を表現しようとしているのかといふ思想の問題です。

 

過去の時代を題材にすれば、確実に現代小説よりも主題を純化させることができます。その純化した主題が、本質的には現代的なものに留まるのか、それとも現代から過去までつながっているような問題意識に届いているのかが、『時代小説』と『歴史小説』の違いではなひかと石川は思います。

 

 

鶴山裕司 連載歴史小説『好色』(第04回) pdf版 ■

 

鶴山裕司 連載歴史小説『好色』(第04回) テキスト版 ■