大野ロベルトさんの連載エセー『オルフェの鏡-翻訳と反訳のあいだ』『No.010 鏡の向こう(最終回)』をアップしましたぁ。『オルフェの鏡』も今回で最終回です。どんどん連載が終了してゆくなぁ。ま、連載終了は目出度いことでもあるのですが、読み手としてはちょっと寂しいことではあります。

 

大野さんはジャン・コクトーの『オルフェ』を題材に〝鏡〟について論じておられます。『コクトーによるオルフェウス神話の翻訳で何よりも際立っているのは、「鏡」という小道具に集約される此岸と彼岸の交換可能性である。こちら側にはオルフェがおり、あちら側にはセジェストがいる。こちら側にはユーリディスがおり、あちら側には王女がいる。この二組は鏡を隔てて存在するが、詩によって(死によって)融合し、かつ離反する』わけです。

 

大野さんが『オルフェの鏡』の主題である『翻訳と反訳』を、鏡のイメージ(メタファー)として捉えておられるのは言うまでもありません。また大野さんの本質的な興味のありかが、実在の鏡ではなく、鏡の向こう側にあることは言うまでもありません。

 

この大野さんの本質的な興味のありかは、現代的なものとして表現されていますが、もっと古いものでしょうね。大野さんは連載をマンデス『童貞王』の『不滅とは言い難い生身の人間が束になってかかっても、風に流されてゆくあの雪雲ほどの値もない塵にすぎない』で締めくくっておられます。不滅はあると言えばあるしないと言えばない。文学においてはその是非ではなく、作家の確信だけが問われるわけです。

 

 

大野ロベルト 連載エセー 『オルフェの鏡-翻訳と反訳のあいだ』『No.010 鏡の向こう(最終回)』 ■