再開発騒ぎ_03_cover_01この町には黒ヒョウがマスターをしているバーがある。お客はシャム猫にフクロウ、アライグマ、コウモリ夫妻といった動物たちで、ヒトは僕だけだ。でも僕はこのバーになじんでいる。フクロウが言うように、僕はヒトでヒモでもあるからだろうか。僕は少しだけ人間ではないのだろうか。この町に線路を地下に潜らせる再開発話しが持ち上がる。再開発、それは何を変えるのか・・・。寅間心閑の辻原登奨励小説賞受賞作!。

by 寅間心閑

 

 

 

 

  

 

 あの大雨の夜以来、更に足繁く黒ヒョウの店へ通うようになった。いや、それは僕だけではない。みんな同じだ。

 誰もが店に入ってくると、まず挨拶代わりに道路や線路の話をする。とはいっても、計画の概要を確認しあったり、もう何度も聞いた話に相槌を打ったりと、お世辞にも前向きな内容ではない。

 もちろんみんな前進を希望している。でも、それは叶わない。理由はうんざりするほど簡単だ。現実の状況が何も変わらないから、前進しようがない。ただそれだけのことだ。後手に回るしかない僕たちには、すでに「倦怠」の二文字がちらつき始めている。本当にこの店は立ち退く破目になるんだろうか。そんな疑念さえ浮かぶほどだ。あの大雨の夜から、もうすぐ一ヶ月になろうとしている。

 どこかで騒がしく工事が始まるわけでもなければ、今すぐ立ち退いてくれと通達があるわけでもない。ただ町中にビラが貼られているだけだ。道路ができればこんなに便利になりますよ。そんな甘い文言に覆われた町で、黒ヒョウの店の連中は鬱屈としている。だから、あの夜以来久々に現れたオランウータンの姿がとても心強かった。

 「いやあ、皆さん、御無沙汰しちゃってすいませんでした」

 いつもなら、このまま切れ目なく喋り続けるはずだが、せっかちなアライグマがそれを許さなかった。

 「状況が全く変わらなくて、いいかげん俺等うんざりしてるんですけど」

 絡むならせめて席に着いてからにしろ、とたしなめようかと思ったが、待ってましたとばかりに町の名士は話し始める。その様子に僕たちも一斉に身を乗り出した。本当に待っていたのはこっちの方だ。

 「いえいえ、別に動いてないわけじゃないんですよ」

 立ったままワインを一口飲んでから、オランウータンはゆっくりと、そして自信満々な口調で話す。この様子だと、初めから座る気なんてなかったのかもしれない。

 「実は一昨日も話し合いがありましてね」

 「誰とですか?」先走るアライグマを一同が目で制す。

 「マル電の担当者たちですよ」名士は慌てない。「あと弁護士らしいのがいたけれど、詳しいところは分かりません。まあ一応代表質問っていう形ではあったんですけどね」

 「お前も好きだね、昔から」

 口をはさんだのはアライグマ、ではなくフクロウさんだ。さすがに誰も注意をしなかった。

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 「まあ、パイプ役ですから」名士は決して怒らない。「二時間半くらいはかかったんですけど、ダメですね」

 「ダメ?」みんな眉をひそめる。

 「うん。これ以上話し合っても無駄かなあ、というのが私の感想ですなあ」

 ちょっと待ってくださいよ、と言うアライグマを誰も止めはしなかった。話が見えなくなりかけている。

 「?」名士は怪訝そうな表情だ。

 「ダメなのは分かりきってるじゃないですか」

 ああそういうことか、という感じで鷹揚に笑う。決して慌てたりはしない。

 「そりゃダメですよ、絶対ダメ。でかい道路なんか作って、この町をぶち壊したりはさせない。あんな計画、はなっからダメです」

 「だけど今……」

 「うん、そこですね。たしかに計画自体はダメなんだけど、話し合いで解決するに越したことはないでしょう。僕らだってコトを荒立てたいわけじゃないんですから」

 誰も反論できなかった。たしかに仰るとおりだ。このまま道路新設計画が消えるのが、最良の結末なんだろう。それは理解できる。だけど、どこかすっきりとしない。一度感じた「倦怠」は、なかなか消えてくれない。

 あの大雨の夜、「運動をやる」と言ったのは目の前にいるオランウータンだ。その一言にみんな焚きつけられて今日まで来たんじゃないか。肩透かしを食ったのは僕だけだろうか。もどかしさをごまかすためにジンをおかわりする。

 「でもダメってことは、これから動き出すという意味なんですよね?」

 僕の前にグラスを置きながら黒ヒョウが尋ねる。そうだ。これから、というよりも、ようやく、だ。ようやく動き出せるんじゃないのか。

 「いや、もう動き出しているんです」

 力強いその口調に、今まで興味なさそうにしていたフクロウさんも反応を示す。

 「まあ動き出すための準備は整えてある、と言った方が正確かもしれませんけど」慌てない、は「まどろっこしい」とよく似ている。「ちょっと皆さん、これを見てください」

 そう言いながら鞄の中から取り出したのは、紐で束ねた書類だった。バーのカウンターには不似合いなそれを、みんな遠巻きに眺める。

 「本当は後日改めてお話しようかと思っていたんですけど、もうほぼ出来あがってますからいいでしょう」

 「企画書か?」怪訝な顔のまま、フクロウさんが尋ねる。

 「そんなもんです。ちょっと前から作り始めましてね、意外とこういうのって時間がかかるんですよ」

 ざっと三十枚はありそうな書類を、パラパラとめくりながらオランウータンは話し続ける。

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 「簡単に言えば、これから僕らは反対運動をするわけです。どんな内容かというと、線路を地下に潜らせるマル電の計画、それに伴う大規模な道路建設への反対運動。その点はみなさん大丈夫ですよね?」

 流暢な話し声に、みんな無言のまま頷く。頷かなかったのは、黒ヒョウとフクロウさんだけだ。吸うでもなく煙草をくわえたまま、難しそうな顔をしている。

 「反対する理由というのは、細かく挙げていけばキリがないと思うんですよ。住んでる場所を立ち退きたくない、行きつけの店がなくなると困る、車にガンガン走られると排気ガスで空気が悪くなる。まあ、皆さんそれぞれの理由があるはずです」

 やはりみんな無言で頷く。そして黒ヒョウとフクロウさんは、煙草に火を点けて吸い始めた。

 「この間のひどい雨の夜に私、言いましたよね? 少し前から各方面に声をかけてるって」

 「はい、結構ヒトが多かったんですよね」

 そうですそうです、とまたオランウータンは何人かの名前を挙げる。

 「そいつらは何してくれんの?」話の途中でもフクロウさんはお構いなしだ。

 「この運動を広めてもらうんですよ」

 「え? みんな近所なんですか?」地元生まれのアライグマが驚く。

 「いえいえ、そうじゃありません」

 また話が見えなくなりそうだ。ちょっと一回整理しませんか、と提案すると、町の名士も「それがいいようですね」と同意し、ようやく席に着いた。

 一息つきながら、黒ヒョウにコーラを頼む。ジンはまだ半分以上残っているが、とりあえず妙な喉の渇きを洗い流したかった。この店でジン以外のものを飲むのは初めてだ。

 

 二ヶ月後に控えた区長選を見据え、まずは「運動を広める」ことが最重要事項だと、何度もオランウータンは僕らに言った。

 「数が重要なんですよ、数が」

 「数?」

 「頭数が揃わないかぎり、相手にもしてもらえないし、何より選挙に勝てませんよ」

 「勝たなきゃダメなんですか?」

 「そりゃそうですよ。いちいち少数派の声なんか聞いてられるか、どうにかしたけりゃ選挙で勝て、っていうのがオカミのやり口じゃないですか」

 またオカミが出てきた。小さく溜息をつくと「あれ、また分かんなくなってきたぞ」とアライグマが声をあげる。

 「あの、やり合う相手はマル電じゃないんですか?」

 「いやいや、オカミですよ、オカミ」

 「え? でも……」

 「まあ結果的にはマル電とも対立するでしょうが、もし余計な道路を作らず、線路が地下に潜るだけなら文句はないでしょう」

 たしかにそうだ。この辺りは「開かずの踏切」の密集地帯だから、むしろありがたいような気もする。

 「だから我々が反対すべきは、古くさい法律を盾にして、必要のない道路を作ろうとしているオカミなんです」

 「でも、そんな近所でもない、全然関係ない連中が協力してくれるんですかねえ」

 「そう、そこなんです!」皮肉屋のイノシシの一言に、名士は声を張り上げる。「今回こんな企画書を作ったのも、まさにその問題をクリアするためなんですよ!」

 「うるせえなあ」フクロウさんが顔を大袈裟にしかめるが、町の名士は気にしない。

 「さっきも言いましたけど、道路建設に反対する理由はみんなバラバラでしょう。で、バラバラなままだとオカミは動いちゃくれないんですよ。ね?」

 勢いに押され、慌ててみんな頷く。またあの雨の夜のような熱気が、狭い店内に充満し始めている。

 たとえばこれを弓矢の矢だとしてですね、と前傾姿勢のオランウータンはマドラーを摘み上げる。

 「一本ずつバラバラに撃ちこんだって、オカミは痛くもかゆくもないんです。でも全ての矢を束ねて一気に撃ちこめば……」

 そこで言葉を切り、全員の顔を覗きこんでいく町の名士。沈黙に耐えられなくなったのはお調子者のアライグマ、ではなく、場の熱気に溺れかけている僕だった。

 「倒れる……んですかね?」

 「さあ、どうでしょう。ただ、次の区長選で勝つためにはバラバラでやるよりも遥かに効率的でしょうね。これは確実です」

 砂埃をたてながら倒壊する大きな銅像。そんな情景が思い浮かぶ。遠巻きに拍手喝采を送っているのは、もちろん僕たちだ。

 「だから数が必要なんです。数が集まれば世論になる。世論になれば、そこでやっと選挙にも勝てるし、何よりオカミの視界に入りこめる。少なくとも私はそう考えていますよ」気付けばオランウータンはまた立ち上がっている。「今はバラバラかもしれない皆さんの声。それをどうにか束ねるために、今回各方面からお力を借りて、このプロジェクトを立ち上げようとしているわけです」

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 再びみんなの視線が、紐で束ねた書類に注がれる。

 「具体的にはどうするんですか? たしかにこの店が立ち退かされるのはいやだけど、そんなことでその……世論ですか? それが起きるんですか?」皮肉屋のイノシシはどこまでも慎重だ。「この町に住んでいなければ、まったく関係ない話じゃないですか」

 「はい。私も考えました。いやあ、久しぶりに頭を使いましたよ」

 「で、結果は出たのかよ」今日のフクロウさんは酒のペースが早い。

 「ええ、なんとか。これならば大丈夫ですよ」

 景観の保存、とオランウータンは言った。

 ケイカンノホゾン? と顔を見合わせる僕らに「ま、難しく言うとですよ」と笑いかける。

 「この町はいい町ですよ。馬鹿でかいビルが立ち並んでいるわけでもなく、小ぎれいに区画整理されているわけでもない。昔ながらの雑多な雰囲気があちこちに残っている。皆さんも経験あるでしょう? 偶然通った裏道で知らない店に入り、初めて会ったそこの客とワイワイ朝まで飲んだりとか、ね? 音楽、映画、演劇、文学、人生。思わず熱く語ってしまうムードがこの町にはあるでしょ? そうやって知り合った連中同士でいつの間にか友達になっていたりとか、私なんかこの歳でもまだありますよ」

 僕もそんな経験は幾つかある。まだ画家の卵だった頃、この町に憧れていたのは、その自由な雰囲気があるからだ。言ってみれば、この店だってそうだ。

 僕がヒトだろうがなんだろうが関係ない。アライグマもフクロウさんもイノシシも、みんなこのカウンターで酒を飲んでいる限りは平等、そして同種同類だ。

 「でもそれって奇跡的なことなんですよ。他の町じゃなかなかこうはいかない。こんなぬくもりのある町が、今後どこかに出現する可能性はゼロに等しいんですよ。そういえばね、この間、お上は『再開発』というキーワードを出してきました」

 サイカイハツ? と僕らはまた顔を見合わせる。

 「そうです。今ある道路だと救急車や消防車が通れないとか、でかい道路が出来れば経済がよくなるとか、細かな言い分をひっくるめて、『再開発』。今の区長は、このキーワードで次の選挙に臨むそうですよ」

 腰を曲げて目の前のグラスを素早く飲み干し、「そりゃあ、もちろんね」とつんのめり気味に話を続けるオランウータン。壁に映った影がゆらりと揺れる。

 「もちろん、防災も経済も大切なのは分かってます。でもね、別にでかい道路なんか作らずに、うまくやる方法もあるんですよ。この奇跡的な町のぬくもりを残したままね」

 熱く訴えかける声を聞きつつ、誰もがこの町の記憶を手繰り寄せていた。表情を見れば分かる。黒ヒョウやフクロウさんも、みんなと同じ表情だ。

 「だから私はこの町を守りますよ」ようやく椅子に座り、今までとは違う静かな口調でオランウータンは呟いた。「そんなね、訳の分からない道路なんか出来たら、この町は分断されちゃいます。再開発だ何だとお上が乗り込んできて、ただ便利なだけの無機質な町になってしまう。そんなこと、私は決して許しませんよ」

 「じゃあ、そのケイカンノホゾンっていうのが、反対運動のテーマになるわけだな」フクロウさんの声も柔らかくなっている。

 「そうです。景観を保存する、という一点に絞ってみなさんの声を束ねます。さあ、これで次の選挙は『再開発』VS『景観の保存』という形になりました。私はこの勝負、案外いけると思ってますよ」

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 じゃあ乾杯しませんか、と言ったのはアライグマだった。何に対してかと尋ねられても、みんなうまくは答えられなかっただろうが、一斉に飲みかけのグラスを掲げる。

 「その運動には、名前とかついてないんですか?」

 そう尋ねた僕の声は、自分でも気恥ずかしくなるほどに弾んでいる。あの大雨の夜と同じ熱気に包まれ、単純な興奮が血管をぐるぐる巡っていた。

 「名前、ありますよ。声をかけた中にひとり、詩人がいましてね。彼に名付けてもらいました」

 「今、教えてくれないんですか?」

 「もうここまで話しちゃいましたからね。今更隠せませんよ」

 そう笑いながらオランウータンは書類を一枚を抜き取り、「これです」とみんなに見せる。

 ――こころの夜警団――

 シンプルなデザインのロゴに「いいじゃないですか」と、店内の熱気がまた上がる。夜警団の前途を祝して、ともう一度アライグマが乾杯の音頭を取り、フクロウさんが照れながら「餞別代わりだぞ」とシャンパンを頼んだ。

 僕は店内の様子を見ながら、一枚の絵を思い出していた。「夜警」という通称で親しまれている、十七世紀に描かれた集団肖像画。昔から好きな絵だ。

 二十人近い市民自警団が出動する瞬間を捉えたその油彩画の作者、レンブラント・ファン・レインに、僕はずっと憧れ続けていた。オランダ生まれの彼のように、光と影を自在に操りたい。まだ画家の卵だった時期、そう願い続けていた。彼女から高価な画集を貰ったこともある。

 あの画集、どこにしまったんだっけな。

 ぼんやりと考え始めた僕の目の前に、シャンパングラスが差し出される。またみんなで乾杯だ。

 シャンパンの味を「楽しげ」だと言ったのは誰だったっけ。

 味音痴な僕だけど、その意見には納得できる。お通夜の席や、恋人と別れる夜にシャンパンは似合わない。

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 夜警団結成前夜に立ち会ったという興奮は、気忙しくオランウータンが去った後も店内から消えることはなく、結局また僕は朝の気配を感じながら家路をたどっていた。

 途中、レンブラントの画集の在り処を考え続けてはみたが、やはりなかなか思い出せない。ろくに信号も見ないまま横断歩道を渡ったり、捨てられていた傘を花束と間違えないくらいは集中していたはずなのに。

 レンブラントは、死ぬまでにたくさんの自画像を描いた。油彩画だけでも五十枚以上はある。僕も彼に倣ってよく自画像を描いたけれど、一度たりとも満足したことはない。

 「顔が悪いのかな?」そんな風にとぼけて、彼女に尋ねたことがある。「それとも腕の方かなあ」

 「どっちもよ」

 そんな他愛もない会話で、心の底から笑っていられた時期もあった。そう、あれはシャンパンみたいな日々だったんだ。でも、そんな日々は長くは続かなかった。いつしか気が抜けてしまい、味が変わってしまった。

 今、彼女は憧れの対象だったこの町――つまり自宅の近所では遊ばない。少なくともお酒を飲むことはない。もちろん夜の仕事なので、という物理的な理由もあるけれど、多分昼の仕事だったとしても変わらないだろう。女優の卵だった記憶を避けているのかもしれない。今、彼女の選択肢から「女優」という職業は消えている。

 一方の僕はいまだに近所で遊んでいるが、それに対して彼女は何も言わない。もしかしたら、話題にすることさえ避けたいのだろうか。そして、まだ僕の選択肢に「画家」という職業は残っているのだろうか――。分からない。そして、分からないことは考えないに限る。特にほろ酔いで帰る明け方には。

 再び画集の在り処を思い出そうと集中し始めた頭には、レンブラントの自画像が何枚も浮かび、時折自分自身の自画像も混じったりする。あれ? と訝る暇もなく天袋に詰め込んだ彼女の絵まで入り込んできて、頭の中はぐしゃぐしゃだ。結局画集の在り処は分からないまま、また泥棒じみた動作でこっそり家のドアを開けた。

 家の中に入ってまず気付いたのは、酒と煙草と汗でくさくなっている自分の身体。本当はシャワーを浴びたかったが、無用な物音はたてたくない。運良く彼女は眠っている。でも、このまま眠るのは気持ち悪い。さて、どうしよう。

 よれよれの身体を横たえたまま、馬鹿々々しいくらい真剣に迷っていた。家中の時計の音が全部聞こえるほど、静かな朝がうらめしい。彼女の寝息も隣の部屋から聞こえてくる。

 逡巡すること数分。自分のにおいに閉口しながら、僕はシャワーをあきらめた。さあ、早いとこ眠ってしまおう。きつく目をつむり、鼻の息を止める。こんな窮屈な状態で眠れるものだろうか、と疑いながら睡魔を待つ。

 また数分。睡魔の代わり、というわけではないだろうが、頭の中には再びレンブラントの絵が浮かんでいる。今度は自画像ではなく「夜警」の方。キャンバスに描かれた人々は、光と影の対置によって躍動している。

 その絵を見るために、電車を何本も乗り継いで遠くの美術館へ行ったのは、たしか高校生の頃だった。当然彼女とも出会っていないし、まだ画家の卵にもなっていなかった。

 絵を見る前にまず、お客さんの多さと、人垣から覗くキャンバスの大きさに驚いたことを思い出す。少し経ってから、あれが本物ではなく複製画だと知り、再び僕は驚いた。あまりに大きすぎて、本物は動かせないらしい。

 そんな記憶が渦をつくりはじめ、睡魔の力を借りなくてもよくなった頃、僕は思い出した。画集の在り処ではなかったが、それと同じくらい重要なこと。

 実は、あの絵は夜を描いてはいない。

 だから「夜警」は言うなればあだ名、通称になる。本当のタイトルは、長ったらしくて思い出せそうにないが、とにかくあれは昼の絵だ。にも拘らず、夜の情景だと勘違いされてきたのは、キャンバスに塗ったニスが変色して黒ずんでしまったから。今では修復され、本来の明るさを取り戻している。

 それでもみんなは、「夜警」と呼び続けているのだけれど。

(第03回 了)

 

 

* 『再開発騒ぎ』は毎月06日に更新されます。