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 ついにこの連載も最終回を迎えました。源氏物語を繙きつつ、それが古い文学としてでなく、私たちの感性で読む現代小説として捉えられる可能性を探ってきました。では、なぜそれが必要なのか。

 

 私たちは本来、深い直観力を備え、しかし情けなくも現状に流されて状況から目くらましを受ける動物でもあります。どんなに貧しく、後から振り返れば何も起こっていなかったに等しい状況でも、そのときは多少のインパクトを持ち、そういうものだと説得される人が多いものです。そして現在、文学はかつてない変化にさらされ、文学そのものが廃れていく印象を持ったり、声の大きい者が自由に発信する風潮に、高い知性や文化が飲み込まれるように思えたりするのも無理からぬことです。

 

 けれども、だからこそ変化に耐え得るものは何か、文学の本質と呼ぶべきものはどこにあるのかを追究しようとすることもまた、自然な思考の流れだと言えます。

 

 源氏物語は、その時代の過渡期を越え、新しい国風文化の時代を生み出したプレテキストです。外形的に先達とすべきそのこと以上に、驚くほど生き生きと現代の私たちの心情に訴えかけてくるテキストでもある。読んできたように、それはあまりにも現代的です。しかし、それはどんな時代にも「現代的」だったのでしょうか

 

 藤原氏の栄華の時代を描いたとも言われる源氏物語ですが、それ以降は武士が台頭し、徐々に封建的な武家社会が成立してゆきます。室町以降の文化を生んだ精神的基盤は、平安期の法華経を中心とする密教ではなく、思想的には禅宗、封建社会の倫理を支えるものとして江戸期には儒教が広まります

 

 その時代、近世の日本人の心の琴線に触れるのは結局『勧進帳』だと思われます。あるいは「近世以降の日本人に固有の心の琴線」と言い換えるべきかもしれません。

 

 山伏をよそおって落ち延びてゆく義経と弁慶が、関守に呼び止められます。正体を見破られまいと、弁慶は何も書かれていない勧進帳を読み上げるふりをし、「お前のせいで疑われた」と義経を打擲する。それを見た関守は「主君を打つ者はいない」という前提のもとに二人を解放する。

 

 この物語が、私たち現代人をも含めた日本人の琴線に触れるのは、関守が二人の正体に気がついているところにある。「主君を打つ者はいないはずだから解放した」というのは、封建社会の価値観を逆手にとった究極のロジックです。そんな建前を必要とする関守は、封建体制にがんじがらめである。しかし同時に、そんな建前を持ち出してまで二人を解放した関守は弁慶に深く同情している。

 

 主君とともに果てる覚悟のある弁慶にとって義経は、自らの死の理由そのもの、生死を超えた価値そのものです。形だけであれ、それを「打つ」ということは、死の理由の聖性を踏みにじり、自分自身の存在理由に疑いを投げかけることです。それに関守は深く同情した。

 

 同情するのは、それが実際、空虚だと知っているからでもあるのです。封建制度の価値の中心、主従のあり方の理想とは、本当のところ自身を死に向けて位置付ける方便であり、それ自体に意味はない、と。もし関守がその空虚に気づいてないならば、今や封建時代に生きているのではない私たちの琴線にまで触れるわけがない

 

 制度の本質とそれへの絶望に生死の境を見る者とは、制度の中に絶対的に囚われている者です。彼らは触れてはならない制度の禁忌、すなわち「それが空虚である」ということについては、微かに掠めるか、あるいは搦め手から迫るか、もしくは一瞬の夢を見て揺さぶろうとする。

 

 このような封建制度とその残滓のある時代にとって、平安期の源氏物語は決して「現代的」ではなかったはずです。制度とのせめぎ合いや戯れこそが封建時代の価値観を彩り、その時代性を形作っていたからです。それは制度にがんじがらめであるがゆえに、そこに死ぬ理由を見い出さざるを得ない、「空虚」と知りつつそれを受け入れる倫理と美学を中心にしたものになる。いわば常に “ 男 ” の社会における自我の問題に置き換えられると言ってよい。そのパラダイムは明治期、あるいは戦前まで続いた。

 

 戦後から現代に至るまでは、ひたすら制度が崩壊していった時代と言えるでしょう。それは制度を外側から眺め、それを生のエネルギーによって壊し、脱構築していった過程でもある。すなわちそれは見てきた源氏物語の “ 女 ” たちの存在と重なります。私たちの目に源氏物語がひどく現代的に映るというのは、時代のせいもあるのです。

 

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 過去のある時代には、源氏物語が大時代で後衛的で、振り返って学ぶべきものがないものに見えていたこともあるはずです。ぴりぴりした制度とのせめぎ合いに倫理をみる社会性のみが時代のテーマであった頃には、源氏物語などは文字通り “ 女子供のもの ” であったでしょう。しかしむしろそれゆえに、その価値は本質的に変わらず日本文化の基底に横たわっていた

 

 現代文学の基礎が形作られたのは明治期、夏目漱石・森鷗外・正岡子規という三人の文学者たちの手による、と言ってよいと思います。正岡子規は早逝のため、思想の展開の可能性についてはその全貌を知るよしもありませんが、俳句と短歌の革新運動を通して日本文化の本質に迫っていたことは確かです。

 

 夏目漱石までの「外国文学」は、平安期同様に中国文学の漢詩漢文でした。漱石の漢詩の作品は(その俳句と比べても)非常に優れたものがあります。近代文学すなわち近代小説の父とされている漱石の文学的な第一歩は、自身の江戸期的な感性と価値観を開国以来の欧米化にどのように適合させてゆくか、また欧米の自我意識をどのように消化・吸収してゆくかということにあった。これも長生きとは言えなかった漱石にとって、自ら確立した近代文学の構造から日本の古代の文学を振り返る時間はなかったと思われます。

 

 森鷗外は漱石よりも数年早く、ヨーロッパに留学しています。明治期の留学生はいずれも国の期待を一身に背負った超エリートでしたが、鷗外の専門は医学で、漱石は英文学です。急激な過渡期にあった明治期、数年の違いで様相が違ったらしい。明治政府が実学以外の文学といったジャンルでも留学生を送る余裕を得たのは、漱石らの年代になってからでした。

 

 漱石同様に明治期の文学者として知られる鷗外ですが、漱石以上に江戸期の感性を抱えていました。留学時のラブ・アフェアと別れを描いた『舞姫』は鷗外の初期の作品で、麗しい文語体で書かれています。文語体でひとつの完成を見た作家として当然のことながら、鷗外はその後、言文一致体と、その文体で捉えるべき日本文学における本質的なテーマについて考察を深めざるを得ませんでした。

 

 「お上の事に間違いはございますまいから」で有名な鷗外の『最後の一句』や『高瀬舟』は教科書にも載っているので、読んだ人もいるでしょう。私たちの近代的自我では今ひとつ捉えきれない、封建制度やそれが支配する現世に対する態度について、おそらく教科書などでは「知足」、「分を知る」や「諦念」といった説明がされていたかと思います。

 

 しかしながら、それらの概念がなぜ、どのような背景とロジックから生まれ、何を価値の中心としているのかがわからなければ、「源氏物語のテーマは『あはれ』」といった言説と同様、何を言ったことにもなりません。

 

 鷗外は、日本人にとって世界を捉える原理、そこから生じる倫理というものが、キリスト教的世界観を持つ欧米のそれとは異なると考えたと思います。その日本人の世界観や価値観が顕在化する瞬間を、歴史的な背景のもとに検証するようなかたちで自らの作品世界を形作っていった。登場人物たちは一見、従順で受け身であるかのように見えても、ただ何となく「満足することを知って」いたり、漠然とした諦めとして「諦念」を抱えていたりするのではありません

 

 死罪となった父の減刑を求め、「自分たち子らを身代わりに」と直訴した長女のいちに対し、奉行所の役人は「誰かに吹き込まれて来たのではないか」と問います。しかし、いちは自分一人の考えでしたことだ、と主張します。「願いが聞き届けられれば、おまえたちは処刑される。父と会うことはできぬがよいか」と訊かれ、いちは「お上の事に間違いはございますまいから」という『最後の一句』を述べます。

 

 それを聞き、役人は不意打ちにあったように驚愕し、険しくなった目で娘を見るのです。「お上のすることに間違いはないだろう」と言われて、なぜ驚愕するのか。それが子供の口から発された痛烈な皮肉に聞こえたからに相違ありません。制度の側は、制度が無謬でないことなど知っています。ただ制度である以上、無謬であるという建前を取らなくてはならない、なぜなら無謬であることがすなわち制度だからです。娘がそこまで確信しているはずもない。しかし娘は一貫してきっぱりした態度です。それは自分の死ぬ決意において覚悟があっただけでしょうが、ただ、その結果出てきた言葉は、意表を突くかたちで制度の本質を露わにした。末恐ろしい子供だ、というわけです。

 

 確かにまあ、そもそも父の刑が重すぎる、と直訴してきているのですからね。それで日本の奉行にはコモンセンスがあるので、願いを聞き入れて父親を減刑しても、代わりに子供を処刑するなんて野蛮なことはするわけがない。だからこそ誰かに入れ知恵されたのでは、と疑われもするわけです。娘の方は、マジで決死の覚悟だったんでしょう。それが確認できたので、父親の減刑がかなった。だいたい情状酌量すべき事情があって、初犯の業務上横領で死刑なんて、重すぎるっちゃ重すぎるんだから。

 

 欧米にも制度について書き続けた作家がいますね。鷗外が留学した先、ドイツのカフカです。カフカの作品は、ポスト・モダン哲学において重要な題材となっています。制度を疑い、その本質=根底の不在を露わにするということは、すなわち近代資本主義制度(=モダン)の根底を問うポスト・モダン哲学と重なるわけです。鷗外作品が明治以降の近代において制度の根底=空虚を問うたとき、過去の日本の歴史における世界観(=プレ・モダン)を捉えようとしたのは、論理的にも当然の帰結と言えましょう。

 

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 制度=男性性を揺るがしたり、あるいは逆に育成したりするエネルギー=女性性という図式は、この文学セクシュアリティの授業で一貫して見てきたものです。歴史を通して制度と構造、それを無化し、また安定させる力=エネルギーを捉えようとするのなら、日本における女性性の概念について、またその総本山である源氏物語について意識に上らないはずがありません。

 

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 鷗外は晩年、日本人の心性と世界観を『史伝』によって著しました。フィクショナルなプロットを完全に廃したそれは、決して読みやすいものでありません。現在書かれている時代小説といったものとはまったく異なり、むしろ小説の定義を揺るがすようなものです。それが事実そのもの、歴史そのものであるかどうかは別として、小説の定義を揺るがすという一点においても、「文学」そのものであることは間違いない。

 

 勤勉な鷗外は上野の東京博物館の館長などの激務をこなし、その際には日本の文化遺産についてもその全貌を詳細に把握すべく努めたことでしょう。公的な仕事として源氏物語の現代訳を与謝野晶子に発注しましたが、それだけの素養に欠ける彼女を助け、今の与謝野晶子訳はほとんど鷗外訳なのではないか、とも言われています。もしそうだったとしても成り行きであり、そもそも後の谷崎潤一郎の時代と違い、男が業績とすべきものとは思われなかったのではないか。それでもその仕事を介し、鷗外は封建制度が成立する以前の日本人の現世と彼岸について示唆を得たことと思います。

 

 余談ですが、鷗外は賢いが美しくはなかった良妻賢母を離縁し、わがままで手を焼いたが非常に美しい後妻を迎えています。鷗外ほどの頭脳の持ち主が美人にヨワいなんて、と語られますけれど、『舞姫』なんかからも、鷗外は女性に対し、男性に匹敵するような知性は求めていなかったのではないか。それは女性蔑視なのではなくて、男がおよばない別の大きな力の可能性を見ていたように思えます。そうでなければ離婚・再婚してまで女性的な“荒ぶる力”の持ち主をわざわざ身近に置こうとはしなかったのではないか。その女性性の“力”を直接的に自身のテーマとするには、時代が早かったと思いますが。“中心”を捉えさせようとしない『史伝』は、一種のエクリチュール・フェミニンと読めないことはありません

 

 では最終巻「夢浮橋」です。

 

 薫は比叡山の横川の僧都を訪ねます。これまで特に親しいわけではなかったが、先の一品の宮のご快癒にすぐれた効験を示されたことで尊敬を深め、わざわざお見えになるというので、大変光栄なこととして歓待します。

 

 人々が静まった頃、薫は、小野の家にかくまわれている浮舟について尋ねます。「やはり貴女であったか、願いを聞き届けて尼にしてしまい、早まったことをした」と、僧都は返事に窮します。薫は、躊躇する僧都を説得して浮舟への手紙を書かせます

 

 帰り道にあたる小野ではありますが、薫自身がいきなり立ち寄ることはしません。山の傾斜の道をたくさんの灯火をともして帰ってゆくのを、尼君らも端に出て眺めます。大将殿のお通りなのだ、と噂しているのが耳に入り、また聞き覚えのある随身の声がしますが、浮舟はそれが本当にことにも思われず、今さら詮ないことと阿弥陀仏に思い紛らせます。

 

 浮舟が可愛がっていた異父弟の小君を使いにやることにしますが、人目が多いので、いったん邸に戻ります。翌朝、小君を呼んで言い聞かせますと、慕っていた姉が生きていると聞いて喜びに涙をこらえ、かえってぶっきらぼうに返事をします。

 

 一方の僧都は、もう小君が小野を訪ねたものと思っていて、「自分も数日後にそちらに行くから」と尼君に手紙を寄越します。驚いた尼君が浮舟を問いただしていますと、ようやく小君が到着します。

 

 小君の持ってきた僧都の文を受け取ろうとしない浮舟に、尼君が代わって開きます。「大将殿には最初からのことを詳しくお話しました。賤しい者にまざって出家したことはかえって仏のお叱りをうけましょう。一日の出家でも功徳は大きいのだから、大将殿の愛執の罪を晴らしてさしあげるように還俗しなさい」とあります。それを読んでも尼君にはまだ、わけがわかりません。

 

 可愛がっていた弟が来ていると聞き、浮舟は涙をこぼしますが、尼姿に変わった身で今さら、と会うのを拒みます

 

 ただ、「紀伊守という方がこちらで世間話をされていたときに、自分の身の上のことではないか、と記憶が呼び覚まされたことがありました。それからいろいろ考えていても、特に思い出すようなことはないのですが、母のことだけは脳裏を離れず、まだ生きているのならば会いたい」と。「僧都が手紙で書いているような人には知られたくないので、間違いであると言ってほしい」と頼むのですが、「正直な僧都のことだから、難しいだろう」と尼君はとりあわず、浮舟がお姫様だったということに興奮しています。

 

 小君はもう一つ、薫からの文については直接渡すように言われていると頑張ります。尼君が気の毒がり、几帳の下から差し入れさせ、開いて見せます。昔と変わらぬ手で、紙の香もいつものように並はずれています。尼君が覗き込んで、素晴らしいと感嘆されます。

 

 「出家されたという、私にとっては罪深いことだけれど、僧都に免じてお許し申し上げて、今はかつての驚きと悲しい心持ちをせめてお話したい。その急かれる気持ちが我ながらもどかしく、まして傍目にはどう見えますでしょう

 

法の師を尋ぬる道をしるべにて

          思わぬ山に踏み惑ふかな

 

 この小君はいなくなったあなたの形見として、そばに置いて見ているものです。」

 

浮舟は、気持ちが乱れているからと、手紙を持って帰るように言います。ただ一言でも、と懇願する弟にやはり返事もせず、小君はむなしく帰るしかありません。

 

 今か今かと待っていた薫大将ですが、頼りなくはっきりしない様子に落胆し、なまじ使いなど出さねばよかった、と後悔します。「誰かが隠しおいているのではないか」などと自身がかつて浮舟を宇治に囲い置いていたことからも、あれこれ想像されるのです。

 

 これで源氏物語は終わりです。いかがですか。存外にあっけなく、つまらない終わり方だと思った人も多いのではないでしょうか。これだけの大長編を読み終えたというカタルシスがない。えっ、これで終わり? という感じもします。薫を振ってしまうなら振ってしまうで、ああそうなったかと納得させてほしい。その辺の読者としての不満が宇治物語をして前半とは作者が違うだの、出来が悪いのと言わせる原因かもしれません。

 

 作者が違うという説が論外であるというのは、もう繰り返しません。一方で、出来の良し悪しというのは目的によります。読者を楽しませ、華やかな世界の情報を与えて物語世界に巻き込んでゆくという目的を設定すれば、その達成度は低いかもしれない。しかし小説の目的はそれだけでしょうか。その問いはそのまま小説とは、文学とは何か、ということに結びつきます。

 

 この最終巻「夢浮橋」は、それにしても要領を得ない、ちぐはぐな感じがする。そのことに読者は不満を抱く。身を隠していた浮舟を薫が見つけ出すという、サスペンスの結末にふさわしいプロットで読者を引っ張ることには成功しているのです。もっとぴたっと決まった表現で、カタルシスを与えてほしい。それを満たせばしかし、それだけの小説になってしまう。

 

 薫が僧都を訪ねるところから、ある種のちぐはぐさは始まっています僧都はその訪問を自身の評価が高まったためだと思い、喜んで迎える。しかし薫の目的は違います

 

 そして薫は僧都に、浮舟の説得を頼みます。薫の女を出家させてしまったことに僧都は恐縮しますが、「曲がりなりにも尼となった者の煩悩を呼び起こさせるようなことは」と躊躇します。薫は「自分も仏心が深く、彼女の仏道を妨げはしない」と説得し、それで納得して手紙を書くことを承知した僧都なのに、その内容は「大将殿の愛執の罪を晴らしてあげるために還俗せよ」というものです。

 

 日程の面でも、僧都は「ここ二、三日は不都合だから月が変わってから」と言い、それを承知したはずの薫がまた、小君に持たせるから短い手紙を書けと言います。そんなに急いでいるなら、すぐに小君をやったのだろうと、僧都は妹の尼君に連絡するが、小君はまだ来てない。尼君は何のことやらわかりません。

 

 この辺りの行き違いは、これまでのようにそれ自体が重大な事態を出来させるなど、プロットや心理に特段の影響を与えるものではありません。つまり意味もなく、もたついている。ただ、物語としては一見下手くそな意味のなさこそが著者の意図したことだと、私は考えます。

 

 薫は自身が文をやることを躊躇して横川の僧都に頼み、僧都も当初は「あちらから連絡させるようにする」などと言っています。しかし結局、薫は自身の手紙をも小君に持たせるし、僧都も薫も最初に考えていたタイム・スケジュールをどんどん前倒しして事を運ぼうとする。

 

 けれども肝心の浮舟は動かない感激の再会を期待した薫も、浮舟の弟の小君も肩すかしを食らった有様です。薫は、「こんなことなら文などやらねばよかった」と思い、「誰かに囲われているのでは」と見当外れの邪推をするところで物語は終わっている。

 

 ここでのテーマは、強いて言えば三者三様、それぞれの思惑が食い違い、互いに理解不能ということでしょうか。薫は浮舟に焦がれているようで、いつも他者の目や自身の体面を忘れない。むしろ自身の立場から冷静であろうとするのに、つい過ぎた感情に流されては後悔する。自分で思っているよりも浮舟に夢中ではあるのですが、それは彼女には届かない

 

 それはそうではないでしょうか。女にしてみれば、そういう薫に飽きたらず、一時のものとはいえ匂宮の激情に溺れたのです。自分に掛け値なしの無償の愛を注いでくれた唯一の存在、母のことしか気にかからないのは当然でしょう。

 

 そんな彼女の、めずらしく長い言葉も尼君の耳に届きません浮舟が貴人の妻であったことに盛り上がっているのです。小君は、薫への受け答えがぶっきらぼうになってしまうほど姉の生存を喜んだのに、その想いも浮舟には届きません

 

 では、横川の僧都はどうでしょう。「薫大将の愛執の罪を晴らしてあげるために還俗せよ」というのは、謎の言葉としても知られています。結論から言うと、謎なんかどこにもありません。ただ、文字通りそう言ったのです。

 

 これが謎に響くのは、その言いようがあまりにヒドい、ご都合主義にもほどがあると見えるからです。これが源氏物語最高の高僧の言葉か、何かもっと深い意味があるのではないか、と。で、そんなものはない。たぶん。

 

 どんな理屈をこねたところで、還俗することは薫の愛執の罪を貫徹させることであり、晴らすことにはなりません。そもそも僧都も最初は原理原則に基づき、彼女の出家の妨げになることはできない、と考えていたではないか。

 

 結局のところ薫の威光の前に節を曲げたのではないか、と思われるのです。いや僧都は現世利益を図るような方ではない、とすれば薫に直接懇願され、その態度人柄にも感銘を受けて徐々に軌道修正した。理由が示されていない「ここ二、三日は不都合で、月が変わったら」という時間の経過によっても、結果としてその方へ向かった。

 

 その辺りは、前にも述べたように高僧と言うよりもフツーの小父さんっぽいそもそも曲げるべき節なんか持ってない、というのが高僧の高僧たる所以かもしれない。横川の僧都は、彼岸に向けたわけのわからないルールを振りかざすことなく、現世の常識的な情愛や同情に満ちている点で最高の高僧であり、著者におけるその評価は変わらない。

 

 つまりは、これほどの素晴らしい夫を持ったお姫さまが、山賤に混ざって出家するなどかえって仏のお叱りを受ける」という物言いだけが仏道ふうで、ようはフツーの小父さんとして「とんでもないこっちゃ」と言っただけでしょう。「大将殿の愛執の罪を晴らしてあげるために還俗」とは物は言いよう、僧らしく無理やり捻じ曲げたに過ぎません。著者としては、読者が首をひねるのは百も承知のはずです。

 

 まあ今も昔も、坊主というのはこういう役人の答弁みたいな理屈でもって、現世と彼岸との折り合いをつけてきたものです。相手によかれと思って言うかぎり、必ずしも聖性は損なわれない。浮舟にしてみればしかし、そういう現世の立場に満足ならば、はなからこんなことにはなってないのですが。

 

 このようにすれ違ったまま、何も解決せずに事態は横たわっています。薫が「法の師を尋ぬる道をしるべにて/思わぬ山に踏み惑ふかな」なのは、今に始まったことではありません。とはいえ彼がとりわけ俗人というわけではなく、むしろ身体から芳香が立つほどに御仏に近い宿世をもつ。そういう薫ですらそうだということです。そして結局は根負けした浮舟も還俗してゆくのかもしれない。そうであってもなくても本質的には何も変わらない。カタルシスなどないのです。

 

 読者が不満だろうが、現実に起こることはそういうものだ。ぴたりと決まるなどというのはそのときどきの物語に過ぎず、意味もなくずれてゆくのが本当のところである。仏道の聖性すらそれを解釈し、救うことなど出来はしない。著者はそう言っているように思えます。今に至るまで読解されたとは言い難い森鷗外の『史伝』同様、小説の結構も物語のカタルシスも超え、それは「文学」そのものではないか。謎と言うなら、この現世に身を置くかぎり、現世そのものが謎なのでしょう。

(第42回・最終回 連載終了)

小原眞紀子

 

 

 

 

 

 

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