偏態パズル_第76回_cover_01偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。

論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。

by 三浦俊彦

 

 

 

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■ いやあおかげさまで、初心に戻ったなぁ。

 初心に帰るってのはいいもんですな。

 いや私も若い頃はそんじょそこらの、いやもう筋金入りのスカトロマニアでしたからな。

 しかし本格的にその道を楽しむ間もなく、まだ若いと言ってられる頃の末期に初心を忘れましてねえ。

 常勤になってかなり最初の方に回ってきた仕事にあなた、ウンコ調べってのがありまして。ウンコ調べ。

 どういう仕事かいうと、皆さんご存知かな、ガラスとか釘とかね、バリバリ食ってしまう症例があるんですよ。

 必ずしも自傷行為というわけでなくてもね。いろんなまあ、いろいろあるわけですよ人間いうのは。

 まあ基本的にそういうのは、入院です。

 バリーンってそのへんのガラス破って、食ってしまうわけでね。油断も隙もない。

 さっそくおりましてな。

 食ってからだいたい一週間くらいは排泄され続けるわけで、ガラスの破片がですな、それを細かく調べるわけですよ。出きったかどうか、記録するのです。日々のウンコをでっかいシャーレにとっては組織を細かくより分けてね。

 とりあえずトホホな作業ですわ。

 だいたいそんな作業、専門的知識とさほどかかわらんので、誰がやっても一緒なんですよ。だから看護婦さんとかね、本来いろいろお手隙がおるわけで。しかしぺいぺいの医者なんて地位が一番下ですから。病院ってそんなもんですよ、当時も今も。婦長さんに「先生やっといてください」て言われると、若い看護師にたらい回しなんてわけにいかんわけでね。

 油断も隙もありませんから、一人三か月くらいかかります。ウンコ調べ。

偏態パズル_第76回_01

 で、たまたまかわいい女子高生でして。入院と通院の途中で女子大生になりましたが。

 ええ。

 「はいはいしょうがないなあ」なんてぼやきながら取り掛かるわけです。婦長さんに命じられるたびに「あ~しょ~がないですねえ」っていやいやながらのふりして毎回楽しみで楽しみで。気分は宝探しでしたな。

 リキが入りましたなあ。ウンコ調べには。

 当時は私も純真で使命感いっぱいでしたから、趣味性癖を職場に引きずることにちょい罪悪感てなもんでしたが。

 しかしその路線もあえなく運の尽きでした。

 その糞山ガラス探しを三人分やらされたわけですが、可愛い女子の後は、男が二人分でねえ。地獄の日々でした。

 ああ思い出したくない。

 で、その地獄の日々のせいで、我が秘蔵スカトロビデオのどのウンコ映像を見てもみんな男のウンコに見えてきてしまいましてねえ。ウンコの成分というのはまあ、この塾の方々には釈迦に説法ですが食べ物カスなんてわずかで、ほとんどは腸内細菌と剥離細胞でして、細胞には死してなおXXとXYの違いがあるし腸内細菌も男女で種類が違うので、女のウンコははっきり女のウンコなんです。ウンコの性別ははっきりしてるんです。

 医者ですからな、頭ではそれがわかっていても、どうもみんな悪魔のウンコに見えてしまう。男のウンコと女のウンコを混同するとは何事かと自らを叱責しつつも、地獄のトラウマのせいで感覚がついていかなくなりまして、我が誇るスカトロ美学がみるみる溶け爛れてしまったのです。

 太平洋戦争末期の原爆投下は戦争終結策として正しかったと頭でわかっていても、原爆資料館の焼けただれの写真を見ると冷静な判断が揺らぐのと同じですな。理性は感覚には勝てません。

 理性的なスカトロ趣味が無残に感覚的嫌悪の中へ崩壊したのです。

偏態パズル_第76回_02

 というわけで、輝かしき糞便趣味はすっかり私の中で影を潜めまして、本能的感情的な「女性器趣味」がのし上がってまいりましてな。風俗でも映像でも、M字開脚でビローンってパターンですな。

 まことにつまらん趣味です。ありきたりです。男の生殖本能にただ身を委ねただけの多数派迎合趣味です。

 理性的に考えればはるかに高尚にして文化的なスカトロジストを放棄して、ただの生殖器試行に溺れ始めたのです。安易な方へね。ほんと本能的安易な道へ。

 昔は、勃起力旺盛な二十代の頃は女と個室に入ればまずお尻嗅がせて、と頼んでじっと一時間でも二時間でも、いい感じのオナラが出るまで生尻や布尻にじっと顔を埋めつづけるという双方まことに癒される時間をゆったり過ごしたものでしたが。ああ高尚だったなぁ。それがウンコトラウマ以来、まっしぐらに女性器へ挿入、て味気ないパターンに。明らかに堕落です。処女も三・四名食っちまいましたっけ。むこうにとってもいい迷惑でしたでしょう。

 こんなんでかれこれ何十年も経ってしまいましてね。

 女房はもちろん生身の女全般に触れるのも面倒臭くなって、莫大な映像コレクションも今や排泄モノはほとんどなく、裏流通の女性器ドアップものばかり。

 いくらなんでもこのままではいかんと。

 旧友らがそろそろ定年退職を迎えて俳句だの囲碁だのパソコンだの、悠々自適を型どおり文化的に恥かしいほどみんなそろって模範的に開始しているのを見て、私もいよいよこのままじゃいかんと。私こう見えても先週懺悔なさったあの便利屋さんほどじゃあないが便所覗きで命を削ったクチです。あの初心を取り戻すべく、ここ金妙塾へお世話になった次第で。いやいや印南先生のおかげで初心は取り戻せたと思いますわ。先日、『ОLトイレ盗撮 流れないウンチ 激臭パニック』いうDVDを甥っ子が貸してくれましてな。そういう趣味ちゃんと持っとるんですよ我が息子は差し置いて甥っ子が、はい、それで観て思いっきり勃起いたしました。きたきた、戻ってきましたよお。あの感覚が。文化的香りが。

 示し合わせたように健康な隠居生活を始めた友らに誇ってやれますわい。

 レベルを回復できた気がしますと。

 いうまでもなくこれ、印南先生のおかげです。

 

■ 金妙塾の文化的自意識醸成そのものというよりは、文化的自意識醸成に印南哲治が果たした貢献を持ち上げる風潮の方は、なるほど印南の「達人体質」のなせる業ではあった。客観的に見て、印南は実のところ金妙塾に何か革命的な新風を吹き込んだわけではない。貢献度認定がなぜか独り歩きしたのである。この誰が頼んだわけでもない自発的な「過大評価」が印南の自意識を徐々に追い詰めてゆくことになる。

 

■ 印南哲治が同席していると、彼が一言も発しないときであれ、中心テーマまっしぐらが通例の金妙塾勉強会には珍しく非おろち系ディべートによる中断が散見されることしばしばだった。

 たとえばたった今見た「婦長さんに「先生やっといてください」て言われると、若い看護師にたらい回しなんてわけにいかんわけで」のくだり。

 「ああそういえば、切り抜いてとっとくの忘れたんであれなんですが、「従軍看護師」って言葉が新聞記事の中にありました。現代の戦争じゃなくて太平洋戦争を語った記事ですよ。「婦長」を「師長」に言い換えるのも時代を適切に遡ったところまでにしてほしいですよね」的発言をきっかけにひとしきりの応酬。

 あるいは「太平洋戦争末期の原爆投下」について。

 「戦争末期なのに原爆投下したのは許せん」という叫び。

 対して「いや原爆投下ゆえにあの時期が〈末期〉になりえたのだ」という反論。

 「原爆投下がなされなければあの時期は沖縄戦と本土決戦の間の小休止にすぎず、本番第二ラウンド前夜だったのだ」というフォロー。「原爆投下様様だ」という駄目押し。

 「被爆者の前で同じことが言えるのか」という怒号。

 「被爆者でもないお前が勝手に被爆者の気持ちを決めつけるのか。何様?」という詰問。

 「原爆が落ちなかったら俺はここにいなかったんだ、じいちゃんは特攻で死ぬところだったんだ」という反発。

 そんな議論が熱く厚く戦われたことを付記しておきたい。

偏態パズル_第76回_03

 ちなみに原爆論議の収束様態はいかにも金妙塾だった。

 「特攻くらいなんだ、私のじいちゃんは二人とも飢えて死んでるんだ。フィリピンとニューギニアでな」

 「だったらなおさら原爆投下様様だろうが」

 「やかましい、死んだのは二人とも原爆投下よりはるか前だわ」

 「時間差など関係ないわ、だったらなおさら、アメリカさんがもっと早く原爆落としていてくれたらなあ、ってこった。原爆様様様だ」

 「きさま、国に命を懸けた帝国軍人の地獄の苦しみを愚弄するか。人命はせめて一つ一つ失われてゆくべきものなのだ、一人一人の飢えと苦しみを互いに見届けながら失われてゆくものなのだ、人命というのは。それを何事か、いっぺんに蟻の群れのように人命を掻き消すとは。原爆投下は人命の愚弄だ」

 「いや人命救助だ」

 「人命への侮辱だ」

 「人肉への侮辱だ」

 「人肉?」

 「密林で人肉を食って生き延びた話もあるのだぞ。あのむごいケロイドはどう見ても貴重な人肉への愚弄だ」

 「ちょっとその発想は……」

 「人肉への愚弄だろうが。ああなっちゃ、放射能汚染で食えたものじゃなかろう。あの人肉は」

 「人糞もね」

 「おう。いや、人糞ならもとがもとだから」

 「密林では人肉食いより人糞食いの方が生存率が高かったという話もある」

 「いや、それは人糞でしのげる人はそれだけ飢えが軽かったという意味なのでは」

 「逆でしょう。やはり人肉が先で、人糞にまで食指を伸ばす人はよほど飢えていたのではないかと」

 「いや、タブー意識的には人肉の方が上かと」

 「特攻だ原爆だの戦争だぞ、タブーもへったくれもありますかねえ」

 「しかしまあ、フィリピンやニューギニアの奥地じゃ、むさくるしい兵隊どもが転がってるばかりで、人肉だろうが人糞だろうがほとんどすべてXYだったんでしょうねえ。死ぬ前にせめてと願ってもXXは肉も糞も一切れもない……」

 「XXが一切れも……」

 「おお……XX糞が存在しないのか……」

 「そんなんで戦えと……」

 「そんなんで死ねと……」

偏態パズル_第76回_04

 ……「人糞」の一言が出たことで金妙塾は我に返ったように本来的勉強会モードへ軟着陸し、第二次世界大戦のような大味なテーマですら、おろち学的洗練に必ずや融合するのだという認識を得て、これもなぜか印南哲治の話題示唆のおかげだということになって、ますます過大な達人体質伝説が独り歩きしてゆくようになる。

 実際の影響の度合いは金妙熟勉強会→印南哲治方向の方がはるかに大であったことは言うまでもない。印南のあの最後の獅子吼講義「黄金慰安論」(第16回参照)の直接の源がこの日の金妙塾勉強会に求められるというのはまあ穏当な定説と言えよう。ちなみに「黄金慰安講義」は「XX黄金慰安講義」と呼称されることが少なくなかったが、その語源がこの日の金妙塾勉強会にあること――ばつばつおうごんいあんこうぎではなくえっくすえっくすまたはだぶるえっくすおうごんいあんこうぎと読むべきこと――の発掘発見は第一回おろち国際学会前夜祭における最大の成果であったとされる。

(第76回 了)

 

* 『偏態パズル』は毎月16日と29日に更新されます。

 

 

 

 

 

 

 

天才児のための論理思考入門  下半身の論理学