おかしの家

TBS

水曜 23:53

No.102_TVドラマ批評_01

 

 

 ドラマの視聴率というものは、やっぱりよくわからない。こういった佳作が数字で苦戦するというのは別に今に始まったことでもないが、その苦戦の意味するところのものが考えるほどに混乱してくる。ドラマは作品として観るべきなのか、あくまでテレビというもののコンテンツであるとすべきなのか、そのスタンスを明確にすれば少なくとも混乱は収まるが。

 

 作品として観るべきなら、数字は端から気にすることはない。テレビは器で単なる手段である。しかしテレビでオンエアされる以上、テレビのコンテンツとして評価されるべきだというなら、数字はすべてに近い。そしてたいていの世の評判というものはこの両方を含むか、あるいは行ったり来たりする。

 

 『おかしの家』の最初の印象は、映画を観ているようだ、というものだ。これはテレビドラマに対しては褒め言葉として使われるが、もちろん作品至上主義的に言って評価される、というものだ。裏を返せばテレビドラマらしくない、ということになる。あるべきテレビドラマは、そこでは無定義だ。

 

 祖母(八千草薫)が大切にしてきた駄菓子屋を守る青年、太郎(オダギリジョー)は日がな仲間と裏庭でぷらぷらしている。肉体労働のアルバイトに出るが、風俗通いにも熱心だ。この辺りのしょーもない感じがなんとも言えなくて、確かにこれがテレビで観られるなんて悪くない、と思ってしまった。オダギリジョーって、本当に素晴らしい…と。この初回の数字が2%台。

 

 深夜だからというのもあるし、しかしそれでもさらにじりじり下がってしまった数字には、別に理由はないと言うべきか。数字が悪かった佳作にはノスタルジックな、ときにふと観たくなるような心安らぐ作品が多い。それはたぶん、毎週決まった時間にきっちり観なくては気が済まないようなものではないのだ。いつも変わらない様子であること、それが取り柄なのだから。

 

 2%から1%台に下がったそれはすなわち「つまらなかった」ではなくて、「安心した」みたいなものかもしれない。そういう駄菓子屋の裏庭みたいな場所を確認して、安心したのだ。だってそういうドラマではないか。また観よう、と思っても、展開が気になることはない。

 

 子連れで現れる昔の同級生、礼子(尾野真千子)との恋の行方、というのがペンディングの要素だが、言うまでもなく強力なものではない。三角関係らしきものもすでに勝敗は定まっている気配だし、やきもきする場面はないのだ。強いて言えば、一緒になればまた日常の、退屈な幻滅が遠からず始まるのだろう、という予感だけがリアリティを持っている。

 

 この張り切っていて、ちょっとイタい感じのシングル・マザーの登場とともに、当然のことだが、主人公・太郎のしょーもなさは緩和されてゆく。“ 普通のいい男 ” になってゆくのだ。誰であれ、女に惚れられる男がそうであるように。避けられないことだが、そのことがこのドラマを “ 普通 ” に近づけている。

山際恭子

 

 

 

 

うちのネコが訴えられました!? -実録ネコ裁判- うちのネコが訴えられました!?(2)<うちのネコが訴えられました!?> (カドカワデジタルコミックス)