B&S_041_00

第41「手習」そして文学者の姿

 

 

 そのころ比叡の横川というところに、ある高僧がおられました。その母尼君と妹の尼君とが初瀬にお参りに行かれます。弟子の阿闍梨を付き添わせ、たくさんの供養を行ったその帰り道で母尼君が病いに倒れ、宇治の知人宅で静養することになりました。

 

 横川の僧都は山籠もりの本願をかけておられましたが、老いた母尼君を心配し、すぐに宇治に向かわれました。座敷を借りていた知人は精進潔斎中で死人が出ることを懸念し、老人の病いを迷惑がるのを僧都はもっともに思われます。幸いにも母尼君の具合はよくなり、しかし方角が悪いので京に帰らず、故朱雀院の御領である宇治の院に移ることにします。その院守もまた初瀬詣でで留守をしていますが、みすぼらしい老人の宿守が手慣れていて用意を調えてくれます。

 

 宇治の院へは僧都が先に行かれます。荒れて怖ろしそうなところです。弟子の阿闍梨ともう一人が裏へ見回りに行きますと、森のように茂ったところに白いものが広がってみえます。よく見ますと、衰弱した一人の女が泣いているのでした。宿守も弟子たちも、狐が化けたものとして乱暴に扱いますが、まぎれもない人間の女であるからと僧都は助け出し、手当してやります。変化(へんげ)のものであったとしても生きているのだから哀れであると言う者もいれば、人だとしてもやがて死んでしまったら穢れに触れる、放っておけばいいのにと非難がましく言う者もいます。

 

 妹尼君は、女が若くて美しく、気品があるのを見て、いつも恋い悲しんでいる死んだ娘が帰ってきたように思います。その人をまた死なせてしまうのは大変だと、加持をするように阿闍梨に言います。「ほら、余計な世話をするから」と、阿闍梨は文句を言って読経します。

 

 妹尼君の懸命の介護で、女は息を吹き返しますが、やっと口を開くと、自分など無用の者であるから川に捨ててくれ、と言います。

 

 二日ほどの逗留の間、老尼君と若い女の二人の病人のため、加持祈祷する声が絶え間なく聞こえました。僧都が来られていると知り、宇治から訪ねてきた人があります。「故八の宮の姫君で、薫大将が通っておられた方が急に亡くなり、昨日はその葬儀があったためにすぐに来られなかった」と言います。大君が亡くなられたのはずいぶん前だし、女二の宮様を正妻に迎えられた薫であるのに、いったい誰のことだろう、と不思議がられます。

 

 僧都の一行は、女を連れて比叡坂本の小野へ帰ります。また横川の寺に籠もった僧都でしたが、女の容態が回復しないので、妹尼君が懇願して下山してもらいます。

 

 「この女の優れた美貌は前世の功徳によるものだろうが、現世で何があったのだろう。これといった噂を耳にしなかったか」と僧都は訊ねられます。が、妹尼は「そんなことは考える必要もありません。初瀬観音がくださった人です」と言い張ります。「くださるにしたって何かの因縁というものがなければ」と僧都は首を傾げ、修法を始められます。

 

 朝廷のお召しでさえ断られる僧都が、見知らぬ女のために自ら祈祷するなどということが知れるとあれこれ言われますので、外へは漏らさないようにします。弟子たちには、「騒ぐな。自分は無慚の僧で、破戒も多かったが、女のことだけは非難されたことがない。六十を過ぎて今さらそのようなことを言われるならば、それも前世からの因縁だろう」と言われます。「口さがない連中に悪い評判を立てられれば、仏法そのものの疵になりましょう」などと、快く思わない弟子たちは言います。

 

 もし自身の修法で効験があらわれなかったら、と僧都は非常な決意までなさって一晩中祈祷されます。その明け方に物怪を人に乗り移らせると、「自分は生前、よく仏に勤めた法師である。わずかの恨みを残したため、成仏できずにさまよい歩くはめになった。美しい人たちが大勢住むところにいついて、一人は失わせたが、この女は昼夜自分から死にたがっていて、暗い夜に一人でいたのを奪ったのである。しかし観音の加護などがあり、今また僧都に負けてしまった」と声を上げた。何者だ、と僧都は問いましたが、乗り移らせた者の力が足りないせいか、詳しく言いませんでした。

 

 浮舟は少し意識がはっきりしましたが、周囲は知らない顔ばかりで悲しくなりました。自分が何者か、どこに住んでいたかもよく思い出せません。ただ死のうとしていたこと、どこへ来たのかを思い出そうとします。生きているのが辛く、人が寝静まった後に妻戸を開けて外へ出たこと、風が強くて川の音も激しく響き、一人で怖ろしくなったが、どちらへ行ったらいいかもわからず、このまま人に見つけられるぐらいなら鬼にでも食べられてしまえ、と思いながら寄りかかっていたところに、きれいな男がやってきて抱きとっていった。匂宮がすることのように思えたのだが、自分を知らないところに座らせて、男は消えてしまったのでした。

 

 それから多くの日数が経ったようで、恥ずかしくも知らない人たちに世話をされていたのだと思うのも口惜しく、浮舟はもうそれまで口にしていた少しの湯も飲みません。

 

 それでも尼君のたゆみない看病で徐々に回復しますが、浮舟は出家したがります。尼君は頭のてっぺんの髪を少し切り、五戒のみ授けます。僧都は、もう神仏にすがらずとも大丈夫と、山へ帰ってしまいます。尼君が情けながっても浮舟は身元を明かそうとしません。自分が誰かもよくわからない、ただ生きていることを人に知られたくない、と辛そうに言うばかりです。

 

 浮舟のいる小野山荘の主人である母尼君も、また貴族でした。妹尼君の娘は高級官吏の妻でしたが病いで亡くなりました。その娘よりずっと美しい人を身代わりに得たように思い、尼君は喜んでおられるのです。この山荘にも川音が響きますが、あの宇治川よりはずっと穏やかです。田舎らしい稲刈りの風情が、浮舟がかつていた常陸の国を思い出させます。同じ小野でも、夕霧の妻となった落葉の宮のお住まいがあったところより、もう少し奥まっています。

 

 尼君とその女房は、暇な折には琴や琵琶を弾いています。浮舟はそんな稽古をゆっくりする境遇でなかった自分の過去が情けなく、残念なのです。

 

身を投げし涙の川の早き瀬を

        しがらみかけて誰か止めし

 

 と、手習いにこんな歌を書きます。また、

 

我かくて憂き世の中にめぐるとも

        誰かは知らむ月の都に

 

 とも。母がどんなに悲しんだだろう、また乳母や女房の右近のことも心に浮かびますが、他の人々は思い出すこともありません。

 

 わずかな女房たちですが、その出入りで自分のことがかつての人たちに知れたらと思うと、隠れてばかりいます。どんな面倒な関わり合いを持っているものかと、今では尼君も察し、詳しいことは家の者にも漏らさないようにしています。

 

 尼君の亡き娘の婿であった中将が、小野の山荘にやってきます。弟の禅師が僧都の弟子なので横川を頻繁に訪ねるのに、小野はその途中にあるのです。浮舟は中将が入ってくるのを見ていましたが、その姿に宇治山荘に訪ねてきた薫が重なります。

 

 尼君が中将に会われて、娘を失ったことよりこの優しい婿と他人となったことが悲しい。などと昔語りをされます。女房たちは美しい浮舟がいて、姫君が帰ってきたように思えるので、このまま中将と夫婦となり、昔日のあり様にならないかと期待しています。中将も、廊下の端の簾がたまたま風にめくれて浮舟の後ろ姿を見かけ、誰であったかと女房に問います。

 

 横川の僧都のところにいる弟からは、初瀬へ詣でたときに不思議な縁で見い出した姫らしいと聞き、中将は興味を募らせます。帰り道にもまた小野の山荘に立ち寄り、尼君に姫のことを訊ねます。面倒なことになったと尼君は思われますが、すでに隙見をした人に隠してもしかたがありません。「亡き娘の代わりにと思って世話をしている人だが、どういうわけかうち沈んでばかりいる」と聞き、お慰めしたいものだ、と中将は歌を贈ります。

 

あだし野の風になびくな女郎花

     我しめ結はむ道遠くとも

 

 浮舟が返そうとしませんので、尼君が代わって

 

移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花

     憂き世を背く草の庵に

 

 その後、中将はわざわざ文をやることは憚られたものの、小鷹狩りの帰りにまた小野に立ち寄りました。しかし浮舟は応えることなく、尼君が「他に思う人がいるらしく思えます」と他の尼に言わせます。熱心な中将に返事をするようにと促しますが、浮舟は冷淡に伏せってしまいます。

 

 中将は恨んで、

 

松虫の声を訪ねて来つれども

     また荻原の露に惑ひぬ

 

 そんな色恋めいたことに返事をするのも、また一度返せばたびたび責められるであろうことも厄介です。尼君は出家前、当世風の女であったのか、代わって

 

秋の野の露分け来る狩衣

     葎茂れる宿にかこつな

 

 煩わしがっておられます、などと若々しい歌で応えますのを、他の女房たちは片腹痛くみています。帰ろうとする中将を引き留め、その笛の音を誉めて、音楽の催しが始まります。年寄りも大尼君も出てきて下手な琴を聞かせます。

 

 中将からいつまでも文が届くことに、浮舟はうんざりしています。九月になり、尼君が初瀬観音に詣でます。浮舟を得られたお礼参りでもあるのですが、浮舟は外へ出ようとはしません。

 

はかなくて世に古川の憂き瀬には

       尋ねも行かじ二本の杉

 

 と、手習いの紙に混じっているのを見つけた尼君に、「二本というからには、もう一度逢いたい方がおられるのですね」と言い当てられたのを、頬を赤らめられたのも愛らしいのです。

 

古川の杉のもとだち知らねども

         過ぎにし人によそへてぞ見る

 

 と、尼君は格別すぐれているわけでもない歌をすぐに返されます。初瀬参りには誰も彼も行きたがりますが、尼君は留守宅の姫を心配し、賢い少将の尼と年配の左衛門の尼、童女だけは置いていきます。

 

 留守番の尼と碁を打つなどしますが、人少なの山荘はますます寂しい風情です。そこへ中将がやってきたので、浮舟は奥へ隠れます。老いた大尼君のところで伏しますが、尼たちのいびきがひどく、とても寝ていられません。大尼君はひどく咳き込んで起き出し、これは誰か、としつこそうな声を上げます。

 

 浮舟はあらためて我が身の非運を嘆きます。匂宮の甘い言葉を信じたがゆえにこのような漂白の身となった。それに比べると、薫の愛情は激しくはなかったものの変わらぬものでした。このようにして生きていることが知れたらと思うと、ひどく恥ずかしい。この現世で、たとえ他人ながらでも薫の様子を垣間見たいと願うのはよくないことでしょう。

 

 鶏が鳴き、朝が来たことを嬉しく思います。母の声が聞けたら、これ以上に嬉しいだろうと思うと、また気が沈みます。起きてきた尼たちは、粥などというまずいものを喜んで食べ、浮舟にも無理にすすめようとします。

 

 急に僧都が下山することになりました。女一の宮の具合が悪くなり、明石中宮よりぜひにという御手紙を受けられたとのことです。浮舟は起き上がると、大尼君に向かって「尼にしてもらおうとお願いしたいので、口添えしてください」と言います。歳をとった大尼君は少しぼけたように頷きます。

 

 僧都は「決心をしたときは強い信念を持っているようでも、女の身というものは年月が経つうちに堕ちて罪を作りやすい」と諭しますが、浮舟は泣きながら懇願します。確かに憑いていた物怪も死にたがっていたと言っていたし、そういうものに魅入られはじめた人だから今後も危険がないとは言えない、と僧都は考えます。

 

 では、内裏から戻る七日後に、と約束しようとしますが、尼君一行が戻ってきたら反対されると考えた浮舟は、無理を強いてその日のうちに出家させてもらいます。あのとき浮舟を見つけた阿闍梨らを呼び、「髪をお切り申せ」と命じます。あの大変だったご様子を見た彼らは、この世で生きるのが辛い方なのだろうと道理に思いますが、掻き出した髪のあまりの美しさに、しばらく鋏を動かせないのでした。

 

 留守番の尼たちは、僧都一行の中のそれぞれの知人の饗応にかまけていて、浮舟の出家に気づきませんでした。童女に知らされて慌ててやってきますが、もはや手出しはできません。前髪は僧都がお切りになります。「こんな美しいご容貌を、後悔なさるなよ」などと言われながら、ありがたいお言葉をかけられます。出家などなかなか許されないものと言い聞かされていた浮舟ですが、生きた仏によってこうも早く実現できたと嬉しく、胸の晴れる思いです。

 

なきものに身をも人をも思ひつつ

     捨ててし世をぞさらに捨てつる

 

 もうこれですべて終わったのだと、僧都一行が出ていって静かになった山荘でしみじみと自ら書いた文字を眺めます。

 

限りぞと思ひなりにし世の中を

     返す返すも背きぬるかな

 

 このように同じ内容のことをあれこれ書きすさびしていますと、中将から文が来ます。使いのものに事情を話して帰すと、中将は落胆しますが、二度目の文を寄越します。

 

岸遠く漕ぎ離るらむ海人舟に

     乗り遅れじと急がるるかな

 

 いつもと違い、浮舟は中将からの文を手に取って眺めます。ほんの切れ端に、

 

心こそ憂き世の岸を離るれど

     行方も知らぬ海人の浮木を

 

 と書き付けたものを、尼が中将への返事として渡します。

 

 初瀬詣でから戻った尼君の驚きと悲しみようは大変なたいへんなものでした。これならば自身を死んだと思っている母の嘆きはどれほどだったかと、浮舟も悲しく思います。

 

 女一の宮のご病気は、僧都の祈祷によってすぐに平癒したため、ますます尊敬が集まりました。明石中宮がなお心配され、宮中にお引き留めします。夜居の役を務められたとき、僧都は宇治で不思議な姫を見つけ、こちらへ参る途中に出家させたという話をされます。

 

 明石中宮も、側にいた女房の宰相も、自死したとされている浮舟のことではないかと思いますが、確たることがわかりません。

 

 女一の宮が全快され、内裏を罷り出た僧都は小野の山荘に立ち寄ります。妹の尼君は、兄の僧都を恨んでいますが、「自分が生きている間はお世話をしよう。何も心配することはない。この世の命は木の葉のようなものだ。松門に暁到りて月徘徊す」と、風流でもあるありがたい言葉をかけられて、浮舟は嬉しく聞きます。

 

 諦めきれない中将がやってきます。尼姿になっても美しい浮舟を惜しんだ少将の尼が、障子の穴から中将に隙見をさせます。これほどの人とは思わなかった、と中将は、尼になってもやはり極秘裏に愛人にしたいものだと思います。尼君には「落飾されたのだから、むしろ憚ることなく頼りにしてくれるように」などと真剣に言いかけます。「自分が死んだ後も安心だ」と言って泣く尼君の様子に、血縁なのだろうが、どういう関係だろう、と考えるのです。浮舟には、兄弟と思ってくれるようになどと伝え、歌を贈って帰ります。

 

 浮舟は、今では少し晴れ晴れして、尼君と遊んだり碁を打ったりします。法華経はもとより、たくさんの経を読んで仏勤めします。雪が降り積もり、出入りする人影もなくなる頃には、寂しさも極まりないのです。

 

 年が明け、浮舟は歌を詠んでは手習をして過ごします。もう匂宮に愛をおぼえてはいないのですが、寝室の近くに咲く紅梅に特に心を寄せるのは、その思い出が心をよぎるからでしょうか。

 

袖ふれし人こそ見えね花の香の

     それかと匂ふ春のあけぼの

 

 大尼君の孫の紀伊守が山荘を訪ねてきました。常陸介の北の方からお便りが来ますか、などと言っているので、その兄弟なのでしょう。自分の親とは別人ですが、たまたま同じ役職名で、浮舟は耳に留めます。すぐに来られなかったのは、薫のお供で宇治にいたからだという。昔の八の宮の邸に終日いて、薫はそこで姉妹であった恋人を二人ながら亡くしたことをひどく悲しんでいる、と。二人目は妾腹であったが、亡くなって一周忌になる、昨日も川の水を覗き込んでひどくお泣きになっていた、などと。

 

見し人は影も止まらぬ水の上に

     落ち添ふ涙いとどせきあへず

 

 自分がその一周忌を迎える死んだ姫だと言い出すこともできず、尼君が紀伊守に頼まれた衣装を染める支度をするのを見ても、不思議なことに思われるのです。

 

 法事を終えた薫は、あっけなかった浮舟の最期を悲しみつつ、明石中宮と対面し、宇治へ出向いたという報告をされます。明石中宮は薫を気の毒に思いますが、浮舟に手出しをした息子の匂宮を憚り、僧都から聞いた話をご自身ではなさいません。

 

 代わりに女房の小宰相の君から話を聞き、薫は驚くとともに、なぜ明石中宮がご自分でおっしゃらなかったのか、もしかして匂宮がすでに知っているのではないか、と気を回します。だとしたら自分はもはや手を引くべきだろう、と。しかし明石中宮にお会いして確かめますと、恋愛沙汰ではいつも面倒を起こす匂宮には決して知らせてない、と請け合われます。

 

 それならば何とかして確かなことをつかみたいと考えた薫は、毎月八日に行う仏事にかこつけて横川へ赴くことにします。浮舟が消えた後、重用してやっているその兄弟も供として連れて行きます。もしその足で再会を果たせたら、尼になっているという浮舟に俗世の情を思い起こさせようというのでしょうか。

 

 以上が源氏物語の最終から二つ目の「手習」の巻です。入水自殺したと思われた浮舟は、生きていたんですね。今と違い、特に宇治のような山奥の夜は真っ暗闇です。そこへものすごい水音がごうごうと響いている。死にたいとは思っていても方向もわからず、恐ろしさに座り込んでしまっても不思議ではない。それを押して川辺まで行けるぐらい気強いなら、そもそも死にたいなんて思わないでしょう。

 

 心神耗弱の状態にあった浮舟が何かの幻影に導かれ、ふらふらと朱雀帝御領の院に入り込んだ。裏の木立の蔭に倒れていた浮舟を「まちがいなく人である。救おう」と決断されたのは、横川の僧都です。

 

 この横川の僧都は、源氏物語全巻に登場する僧の中で最も優れ、尊敬されているとみて間違いありません。最終的には「仏教がテーマである」とされる源氏物語の最後に登場するのですから、そうでなくてはならないでしょう。

 

 そして「仏教がテーマ」では、本当のところ何を言ったことにもならない。国の数、文化の数だけ仏教はあるわけで、この源氏物語において仏とは、また現世とはどのようなものと考えられているのか、その「思想」がすなわちテーマなのですから。

 

 この横川の僧都に注目して読み直してゆくと、とても優しい方です。そして常識的でもあり存外に話好きでもあって、まあ何というか、普通の人であります。妹尼君も普通の、むしろ当世風の方で、母の大尼君ときたら扱いにくいただの老人です。そんな家族を持つ僧都の普通さ、そのことが非常に大切なのではないか、と思われるのです。

 

 横川の僧都はこの巻で、浮舟と女一の宮の二人について祈祷をし、そしてその両方で、誠に霊験としか説明できない成果を上げている。浮舟については憑いていた物怪の口からその来し方を知り、女一の宮については病いをすぐに快癒させ、明石中宮から大変感謝されます。

 

 源氏物語には、今までにも何度もこういった祈祷だとか、乗り移った物怪の口から説明をさせるといったことが出てきています。しかし本論で述べてきたように、どうも著者の紫式部自身、そういったことを眉唾だと思っているふしがある。表向きはそういう超常的なことが起きたという筋であっても、たとえば登場人物である源氏に首を傾げさせるなど、疑義を差し挟む余地を残している。私たち現代人が科学的見地から考えること、心理学的に解釈することと変わらない物の見方を、千年前の著者も十分に心得ていたように読めるのです。

 

 しかしこの横川の僧都の祈祷の成果に対しては、疑いを挟むような筆致がまったく見られない。そうかといって、その超常性をドラマチックに、すなわち今の私たちからすればフィクショナルに盛り上げて書かれているのでもない。ごく当たり前に、優れた僧都であればこういうことはある、と捉えられているようです。これもまた、超常的なことなど絶対にあり得ない、とも必ずしも思わない私たちの心情に添い、現代においても自然に感じられます。

 

 繰り返しますが、大切なのは、その疑いを抱かせない優れた僧都がけっこうフツーの人だ、ということです。

 

 最初に浮舟を発見するのは、僧都の弟子の阿闍梨です。この阿闍梨は、八の宮のところに出入りしていた阿闍梨とは別人で、ただ同じ職名、位階である、ということです。しかし名前の共通が性質の共通を暗示する、というのも源氏物語ではよくあります。たとえば「弘徽殿女御」は程度の差はあれ、常に反源氏勢力を示す指標でした。またこの巻でも、尼君のところを訪ねて来た薫の家来の話に、めずらしく浮舟が耳をそばだてる。そのきっかけになるのは「常陸介」という、彼女の義理の父と同じ役職名が聞こえてきたことです。

 

 阿闍梨は浮舟に対し、僧都よりずっと淡泊です。最初にも、穢れに触れるから放っておけばよい、と考えています。出家させるときも、まあ、あんな状態の女だったのだから世を捨てたいのも道理、と惜しむ気持ちもありません。これは八の宮邸に出入りしていたかつての阿闍梨が万事に平静で、死に際の父と娘たちの再会を阻むような冷たさがあったことと通じます。

 

 おそらくその頃に一般に考えられていた仏道のルールに則れば、阿闍梨の言うのが正しいのでしょう。しかし著者の紫式部の書き方は、それへの疑義申し立てがあるように感じられます。

 

 冒頭、僧都の母の大尼君が旅の途中に倒れ、横川の僧都はお籠もりを放り出してやってきます。もういつ亡くなっても惜しくない年齢ですが、その母の病気の方が仏道の修行より大事。そこからして普通の感覚です。

 

 そして知人宅を出て朱雀帝の院に移ったきっかけの一つは、「もし大尼君がここで死んだら穢れに触れてしまう」と、潔斎中の知人が迷惑そうにしていたことです。僧都は「それも道理」と受け入れますが、読んでいる私たちには「そんなひどい、冷たい人物が、いったい何の修行をしようというのだろう」と感じられます。読者である私たちがそう感じるということは、著者がそう感じさせようとしたのであり、すなわち著者もそう思っているということです。

 

 そしてそのような私たち、とりわけ女性たちの、ときに「感情的」と揶揄されるようなフツーの感性に添う僧都を誰よりも高い地位につけている。それは著者の特権であるとともに、著者自身の「仏教思想」の表れです。八の宮邸で描かれていた阿闍梨は、そのときは高僧であり、その冷たさは仏道に通じる、俗人にはわからない悟りの境地からくるものでは、という解釈もあった。けれども結局、冷たさは冷たさでしかない。阿闍梨は阿闍梨なので、上には上がある、その「上」とは存外、フツーの感覚で捉えられる優しさやありがたさなのだ、ということではないか。

 

 そして浮舟は、ここでも立場がない。尼君からは死んだ娘の身代わり、その夫であった中将からはそれを口実に言い寄られ、しまいには尼姿になっても愛人にしてやろうと思われる始末です。そんな浮舟はしかし、最高の高僧である横川の僧都を挟み、現世において最高の身分であられる女一の宮と同等以上の扱いを受ける。女一の宮の平癒祈願のために体力を温存したいと考えていた僧都ですが、このときばかりは死を決意したときと同様のきっぱりした、迷いのない浮舟の懇願に、彼女の出家を先に執り行ってやります。

 

B&S_041_01

 

 その僧都の根負けする優しさ、後悔するなよ、という俗っぽくすらある思いやり、妹尼君に遠慮なく文句を言われる姿などをもって、浮舟は「生きた仏」と呼ぶ。

 

 前々から述べているように源氏物語は、女性性の生命のエネルギーが制度を駆け上り、男たちの哀れな社会性を凌駕する、というエキサイティングなドラマの側面があります。浮舟は社会的にはちっとも上昇せず、世を捨ててまでしまうわけですが、ここにおいて「社会」を「仏道」に置き換えると、浮舟はその身分では考えられないような扱いを受けるまで「出世」しているのです。どこの誰とも知らないまま、最高の高僧である横川の僧都は自身の僧生命をかけてまで彼女の祈祷をする。それはなぜか。

 

B&S_041_02

 

 社会的なものを含んだ意味のコードでは、その答えを示すことはできません。意味のコードは現世のものであり、横川の僧都が感じとったもの、浮舟が備えていたものは、現世には属さない何かであったとしか言いようがない。それが「縁」を結ぶのだ、としか。

 

 現世に属さないとすれば、端的にそれは「死」です。浮舟は文字通り一度死んだのであり、その死、彼岸をこそ見つめるのが僧の本来のあり方です。中宮から重用されようとどうしようと、それを見失わない横川の僧都は誠にフツーの感覚で事に当たっているだけです。

 

 象徴的にであれ「死」を乗り越えた浮舟は、現世では立場のない、情けないあり様のままであったとしても、特権的な存在と化している。

 

 「生前」と違い、浮舟はもう匂宮への執着を抜けています。死のうとして外へ出て鬼に浚われた。その鬼が美しい男で、匂宮だと思った、というほどにやはり浮舟は匂宮にとらわれていた。「死」を経て再生した浮舟が思い出すのは、まず母のこと、そして乳母たちのこと、わずかに誠意のあった薫のことです。小野山荘においても常に身代わり扱いの浮舟ですが、そうだとしても尼君は娘代わりに大切に愛し、男の中将は新たな欲望の対象と見ているに過ぎません。筆者の筆は、母娘の情を現世における唯一の絆しとするようです。

 

 浮舟はすばらしい姫として出世したわけではありません。これがエキサイティングなドラマとしての源氏物語のみを愛でる人々に、紫式部の筆でないように錯覚させる原因でしょう。しかし筆者の野心は表としての現世的なものの裏返しとして、何とかして彼岸をも射程に捉えようとする。そうでなければかりそめにも「仏教がテーマ」と言われることはなかったでしょう。

 

 小説は現世のものです。現世を越えた超越性を過剰に誇示するものを、筆者も私たちも信じてはいません。現世に留まりながら、しかしなんとか彼岸を射程に入れようとする。それこそが「文学」の営為というものです。

 

 すばらしい姫として出世することのない浮舟は、すばらしい生育環境にあったわけでなく、音楽の素養もないのです。そんなみすぼらしい姫は、源氏物語の他の美しい姫君には見あたりません。教養を何も身につけていない浮舟は、ただひたすら手習をします。詠んだ歌を書くのです。

 

 「手習」には他の登場人物のものとともに、浮舟の詠んだ歌がたくさん出てきます。教養のない浮舟ですから、いわゆる上手い歌ではないかもしれません。ただ「死」の境を越えていまだ現世にとどまる自身の心情を一貫したテーマとして、繰り返し書いている。

 

 それは教養主義的な物語を離れた、他でもない「文学者」の姿に酷似しています。

(第41回・了)

小原眞紀子

 

 

 

 

 

 

湿気に関する私信_販売