第八回 土地の言葉

オルフェの鏡_08_01

 

 

 兄弟の言葉が他者との融合を夢み、恋人の言葉が自己とひとつになる幻を見るならば、言葉は結局孤独なものでしかないのだろうか。それでも人類は言葉を諦めきれずに、松明さえ持たずに探求を続ける。

 

 例えば天使の言葉がある。十六世紀、ふたりの錬金術の先駆けが、ルドルフ二世に仕えていた。エドワード・ケリーとジョン・ディーである。彼らは天使と交信しては日誌にその言語の片鱗を書き留め、ついに『ロガエスの書』を上梓する。この書物は天使の言語のみで書かれていた。天使は水晶玉を経由して、ふたりに二十一のアルファベットを授けたのだ。

 

 それはかつて最初の人間であるアダムが、エデンの園で物に名を与えるために用いた言語であった。だが楽園を追われた人類はやがてその言語の記憶を失い、ノアの曽祖父であったエノクを最後に、すっかり俗語に染まってしまう。天使の言葉をエノク語と呼ぶのはこのためである。エチオピア正教会の旧約聖書で正典とされる「エノク書」はこの人物による啓示を集めたものだが、天使や堕天使、悪魔の記述が多いことが特徴である。エノク自身も、地上での寿命が尽きると天に昇り、天使メタトロンとなり、神の代理人とまで呼ばれるようになったという。つまり天使の言葉を習い覚えることは、神に近づくことに他ならないのである。

 

 また神の言葉は、天使を模した動物とも見える鳥を通じて下されることもあった。それが鳥言語である。古代、エトルリアやローマには鳥卜官という職があった。彼らが鳥の鳴き声やその飛翔する姿から読み解いた神々の意思は、交易や戦争など政治上重要な決定を大きく左右したのである。民話においても、『グリム童話』や日本の昔話に鳥の言語を理解できるようになる頭巾が登場することがしばしばある。原始的な言語の似姿である鳥の声は、人智の及ばぬ真理を内奥に響かせた神秘の歌であった。

 

 このような言語探求の歴史には、すなわち言葉こそ神であるという命題が、幾重にも折り重なった比喩のなかでくりかえし取り沙汰されてきた歴史が透けて見えている。翻訳不可能な言語を翻訳するという無謀な課題を、人類は数千年にわたって自らに課してきたのだ。

 

 だが、神は細部に宿るという。すると気になるのが、私たちにも身近な土地の言葉である。土地の言葉といっても、方言のことではない。土地に結びついた記憶をすべて背負い込んだ、土地の名のことである。そこには生活があり、思い出があり、憧れがある。これについては下手に贅言を尽くすよりも、土地の言葉に誰よりも注目した作家であるマルセル・プルーストにご登場願おう。

 

それらの夢をよみがえらせるために、私はただ、バルベック、ヴェネツィア、フィレンツェ、と、その名を発音しさえすればよかった—これらの名前のなかには、その名の指し示す土地から吹きこまれた私の欲望が、いつの間にか蓄積されていたのである。たとえ春であっても、ある本にバルベックの名前を見つければ、それだけでもう私の心に、嵐とノルマンディ式ゴシック建築とを見たいという欲望をかき起こすには充分だった。たとえ嵐の日であっても、フィレンツェとかヴェネツィアとかの名前は、太陽と、百合と、総督宮と、サンタ=マリア=デル=フィオーレ大聖堂とに対する欲望を私に与えるのであった。

(プルースト『失われた時を求めて』第一篇第三部、鈴木道彦訳)

 

 ここでの土地は、慣れ親しんだ土地ではなく、旅先の土地である。そこでは未知の言語が話されていることが想定される。そうでなくとも、未知の土地とは、未知の言語なのだ。私たちは書物によってその土地を知り、時刻表によって胸を高鳴らせ、最終的には肉体によってその土地を闊歩する過程で、無数の翻訳を積み重ねてすこしずつ土地の名を豊かにしてゆく。だが言葉はあまりに力強く、ときに私たちの妄想めいた期待までを文字通りに再現してしまうために、かえって裏切りにあうこともある。

 

しかしこれらの名前は、そういった町について私の持っていたイメージを永遠に吸収したけれども、そうするにあたってそのイメージを変形してしまい、それがふたたび私のうちにあらわれる場合にも、名前固有の法則に従わせてしまった。こうして名前は、一方ではイメージを美化することになったが、また現実のノルマンディやトスカナの町の姿とは異なったものにする結果となり、さらに、私の想像の勝手気ままな喜びを増大して、未来の旅の幻滅を深刻なものとすることになったのである。

(同)

 

 それでも私たちが新たな土地へと思いを馳せることをやめられないのは、呼吸のように自然と起こる翻訳の快楽がその土地をますます肥沃にしてゆくのを眺めることに、えも言われぬ幸福を感じるからであろう。この点を強調することでプルーストの後継者の一人となったイタロ・カルヴィーノは次のように書いている。

 

それゆえに住人たちは、ただアグラウラという名前の上にのみ育つアグラウラに住んでいるとばかり信じ続けており、地上に育つアグラウラの街には気づかないのでございます。そして私にとっても、この二つの都市を記憶のうちにいつまでも区別していたいとは思うものの、やっぱりその一方のことをお話し申し上げる他はありません。なぜなら、もう一方の思い出は、それを留めておくにも言葉が欠けているために、煙のように消えてしまったからでございます。

(カルヴィーノ『見えない都市』米川良夫訳)

 

 むろん、アグラウラなどという都市は存在しない。存在するのは土地の言葉だけである。

 

 だが言語を巧みに操ることを覚える以前、つまり土地もまた言葉であることを知る以前から慣れ親しんでいる故郷の土地の言葉が持つ趣は、いざ目を向けてみるとさらに深い。私たちは自分が永く暮した土地については当然ながら多くを知っているつもりでいるけれども、実際には土地は時間のなかでその意味を変え続けており、私たちは無限に続くかに見える線上のいくつかの地点に小さな足跡を残しているに過ぎない。だから土地の記憶の匂いを嗅ぎ当てた瞬間、それまで地元と呼んでいた土地はとたんに旅先の様相を呈し、急速に味わいを増してゆくのである。

 

 永井荷風は、東京という土地に関して誰よりも深くこの愉しみを味わった作家であろう。

 

人並はずれて(せい)が高い上にわたしはいつも日和下駄をはき蝙蝠傘を持って歩く。

(永井荷風『日和下駄』)

 

 という書き出しで始まる『日和下駄』は、一九一四年から『三田文学』に連載の後、翌秋籾山書店から上梓された。小石川に生れた荷風は生粋の東京っ子であるが、おそらく彼をして東京に目を向けさせたのは青年時代のアメリカ並びにフランス滞在の経験であった。東京へ「帰った」とき、彼は東京を「選んだ」のである。『日和下駄』を書いた荷風は、もはや東京人ではなくコスモポリタンであった。したがって荷風はただ故郷の景色の変遷をたどる郷土史家なのではなくて、隅田川沿いの色街にセーヌ川沿いの路地裏を重ねることのできる趣味人なのである。およそ趣味なくして真に土地の記憶を手繰り寄せることなど不可能であろう。

 

東京の溝川には折々可笑しいほど事実と相違した美しい名がつけられてある。例えば芝愛宕下なる青松寺の前を流れる下水を昔から桜川と呼びまた今日では全く埋尽された神田鍛冶町の下水を逢初川、橋場総泉寺の裏手から真崎へ出る溝川を思川、また小石川金剛寺坂下の下水を人参川と呼ぶ類である。

(同)

 

 と荷風は、東京ではしばしば土地とその名が遊離していることを指摘する。

 

島なき場所も柳島三河島向島なぞと呼ばれ、森なき処にも烏森、鷺の森の如き名称が残されてある。始めて東京へ出て来た地方の人は、電車の乗換場を間違えたり市中の道に迷ったりした腹立まぎれ、かかる地名の虚偽を以てこれまた都会の憎むべき悪風として観察するかも知れない。

(同)

 

 だが東京の土地とその名の仕組みを「悪風」と見ているのはむしろ荷風本人であろう。荷風が懐から取り出した古地図を片手に隘路や坂道や土手を歩けば歩くほど、東京はその個性を深めてゆく。それなのに不思議なことに、東京は同時に都市として相対化され、人工楽園としての素顔をさらしはじめるのである。

 

 こうして荷風の筆致のなかで東京は変容し、むしろ荷風にとっての理想郷である西洋の都市を蜃気楼のように浮かび上がらせる。

 

西洋の都市においても私は紐育の平坦なる Fifth Avenue よりコロンビヤの高台に上る石級を好み、巴里の大通よりも遥にモンマルトルの高台を愛した。里昂(リオン)にあってはクロワルッスの坂道から、手摺れた古い石の欄干を越えて眼下にソオンの河岸通を見下しながら歩いた夏の黄昏をば今だに忘れ得ない。あの景色を思浮べる度々、私は仏蘭西の都会は何処へ行ってもどうしてあのように美しいのであろう。どうしてあのように軟く人の空想を刺戟するように出来ているのであろうと、相も変らず遣瀬なき追憶の夢にのみ打沈められるのである。

(同)

 

 ここに荷風とその同時代の知識層青年たちの西洋への徒らな憧憬を見ることは容易い。だがここに出現する紐育も巴里も里昂も、言葉のなかにしか存在しないのだ。そして荷風が『日和下駄』に描き出す東京も、これらの都市と同じくまさに「軟かく人の空想を刺戟」するのである。

 

 西洋の都市の内で荷風がもっとも渇望し、もっとも愛したのは巴里であった(パリ、ではない)。だが荷風の肉体が現実にフランスの首都に滞留したのはわずか三ヶ月に過ぎない。それでも、荷風はその三ヶ月の間にすっかり巴里という土地の翻訳を終え、八十年の生涯の大部分をその土地で送ることになったのである。荷風はその翻訳された巴里という土地の名から世界を見ていた。

 

 それは何も詩人にのみ許される贅沢ではない。おそらく私たちは誰しも、理想の都市の箱庭に暮しているのだ。

大野ロベルト

(第08回 了)

 

【画像キャプション】

「オーディンの肩にフギンとムニン、さてさて今日のお知らせは……」

作者不詳、十八世紀アイスランドの写本より

 

 

 

 

失われた時を求めて 全一冊 (新潮モダン・クラシックス) 見えない都市 (河出文庫)

 

 

 

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