月刊俳句界_No.023_01

 

 

 またちょっと時評をさぼっていたら、雑誌が溜まってしまった。「月刊俳句界」最新号から再開してもいいのだが、当初からの文学金魚編集部の詩誌時評へのリクエストは、「短歌や俳句や自由詩について考えるためのヒントになるような時評を」ということなので、「俳句界」一月号(新年号)から再開したい。半分冗談で半分本気なのだが、俳句商業誌は十年一日なので、十年前の雑誌を取り上げても最新号を取り上げても内容は大同小異である。それを平穏無事に美しく凪いだ海だと捉えるか、濁った淵だと捉えるかは人次第である。ただ気持ちいいなと思って塩水に漬かっていても、居心地悪いけど我慢しながら濁り水に浸っていても同じである。俳壇と俳句文学はイコールではないが、多くの俳句関係者はそれを一体として捉えることしかできなくなっている。僕のように俳壇外にいる者がそれを相対化して見ることが、考えるヒントの一助になれば幸いである。

 

 ただ十年一日と言っても、ここ二、三十年ほどで世の中は大きく変わった。インターネット時代(高度情報化社会)が人々の精神を大きく変えたのである。ツイッターやブログといった新たな発信メディアについては別の機会に検討したいと思うが、情報化時代の可能性は、積極的な情報公開による情報交流が人間の新たな知と感性を育むことにある。しかし現実は逆行している。プロやノンプロを自称する若い作家たちまでもが、以前より遙かに批判に弱くなっている。現代では批判はどうやら「悪口」と同義のようだ。批判されるとプイと横を向き、周囲五、六人の気の合った仲間たちとのコミュニティに引きこもってしまう。また意気軒昂なようで実に権威に弱い。既存メディアに対抗し得るインターネットメディアの斬新性、利便性を最大限に喧伝しながら、実際には大手メディアが大好きである。なぜそんな矛盾が起こるのかと言えば、文学の将来的ヴィジョンが見えないからである。どこに進んでいいのかわからない、何を書いていいのかわからない状況では、たとえ心細いものであっても既存権威を目標とするほかないわけだ。だがとりあえずの身振りはとりあえずの結果しかもたらさない。状況が混乱している時は、基本(原理)に立ち返ってじっくり考えてみることが、遠回りのようで近道のはずである。

 

 ぜんぜん話しが変わるが、TOLTAという表現者たちのユニットが、『現代詩100周年』という厚いアンソロジー集を出した。文学金魚では詩人の鶴山裕司さんが、以前から詩は一切の内容・形式的規範を持たないとしつこく書いておられる。意図的に何度も書いておられるそうだ。またそれゆえ詩は原理的に自由詩と呼ぶべきであり、現代詩は一九五〇年代末から八〇年代中頃までに隆盛した詩の書法の一つの潮流(エコール)であると定義している。この思考は驚くほど素早く広く詩人たちに受け入れられたと思う。『現代詩100周年』ではTOLTAの河野聡子さんが「はじめに」という序文を書いておられ、その中で「無定型の現代詩は、それぞれの詩人が自分だけの定形、自分だけのリズムをつくり、言葉を組み合わせ、詩の意味することをそのつどそのつど行います。そしてこれこそが、そもそも詩が「現代」を名のるゆえんだと言えるかもしれません」と書いている。詩の基本的な捉え方は鶴山さんとほとんど変わらない。でもなぜ「無定型」の「自由詩」を、アプリオリに「現代詩」と呼びたがるのかという疑問は残る。

 

 河野さんは引用部分に続けて「ここ(無定型の現代詩)には本質的に歴史はありません」と書いておられる。揚げ足を取るつもりは全然ないが、じゃあ『現代詩100周年』とは何なのかと思ってしまう。確かに河野さんは、「『現代詩100周年』というこのアンソロジーは、アイロニカルなタイトルを採用しています。本来、このような歴史的な意味のある時間、蓄積し継続する時間を否定する「いま、ここ」に「現代性」はあるはずだからです」と書いておられる。でもやっぱりこの説明は苦しい。河野さんの論では「現代」は今現在の定義である。今書かれている詩が「現代の詩」という意味での「現代詩」なら、山村暮鳥だけでなく島崎藤村もかつての現代詩である。つまり「現代詩」の起源は上田敏か藤村あたりになる。詩が個々の詩人ごとに分断され孤立した内容・形式の表現であり、今現在限りの表現で終始する芸術なら○○周年というタイトルはやはり付けるべきではない。

 

 河野さんの論の矛盾は、詩を「現代詩」ではなく「自由詩」と原理的に定義すれば大方解消する。自由詩はヨーロッパ詩の翻訳である上田敏の『海潮音』(一九〇五年)を嚆矢として、明治維新以降に誕生した新しい文学ジャンルである。そこから現在までの百年ちょっとを自由詩の歴史として捉えれば、五七調中心の「文語詩」に次いで完全無韻・無定型の「口語自由詩」が登場し、口語自由詩に思想を付加した「戦後詩」、口語自由詩プラス思想の戦後詩に反発して、さらなる言語表現領域を求めた「現代詩」が成立したという詩史がおおまかに描けるはずである。人によって見解は異なるだろうが、現代詩の端緒は特定できる。ただこの詩史を受け入れるには、現在多くの詩人が「文語詩」、「口語自由詩」、「戦後詩」と呼ばれる詩の潮流(エコール)がすでにその可能性を終えたと認識しているのと同様に、「現代詩」もまた過去の詩の潮流(エコール)であるという思考を必要とする。起源を特定するとはそういうことだ。

 

 論理矛盾が生じるのは、河野さんが現代詩はすでにその可能性が尽きた過去の詩の潮流(エコール)だと認識しながら、あくまで詩イコール現代詩でなければならないという固定脅迫概念(オブセッション)に束縛されているからだろう。一九五〇年代末から八〇年代中頃にかけて前衛の嵐が吹き荒れたのは自由詩の世界だけではない。俳句界では〝前衛俳句〟、短歌界では〝現代短歌〟が登場した。しかし前衛俳句、現代短歌が過去の文学潮流エコールであることは俳句・短歌界ではすでに常識である。〝現代詩〟は誰が考えても自由詩の歴史における最も先鋭な前衛運動だったのであり、それが終わった(一段落した)後も、〝今現在書かれている詩〟を〝現代詩〟であるという論理のすり替えをしてまでこの呼称を生き延びさせようという意図がわからない。

 

 河野さんの言う「今現在代(書かれている)詩」は歴史と無縁の“Right now poetry”である。それを“Modern poetry”に関連付けることができるのは、日本語では“Right now”も“Modern”も「現代」と訳せるからに過ぎない。しかし「今現在(書かれている)詩」と「現代詩」は質が違う。定義を曖昧にすると、詩史はもちろんあらゆる文学形態論(ジャンル論)が成り立たなくなってしまう。もちろんどんな定義も完璧ではない。ただ文学の世界では、過渡期には言い出せばきりがないほど多様な過去の作品群を定義する勇気が必要だ。それは未来に進むために必要不可欠な整理作業である。

 

 『現代詩100周年』に収録された詩人たちの顔ぶれを見れば、TOLTAの皆さんが〝ポスト・現代詩〟を模索しておられることはよくわかる。またそれが現在の詩人たちが為すべき重要な模索だろう。しかしやるなら原理的かつ論理的、つまりできるだけ無矛盾的に物事を考えた方がよい。そうしないとせっかくの試みがさらなる混乱を招いてしまう。また〝ポスト・現代詩〟模索の意志があるなら、他者頼みのアンソロジーではなく、TOLTAの詩人たちがご自分の詩と詩論で活路を切り開いてゆかれるべきだろう。同時代の他者と思想等を共有することである時代特有のパラダイムは形成される。原理的認識を基盤としなければ実りある議論や創作は生まれない。詩の現状に一石を投じたいなら強い覚悟を持って論理を貫くべきであり、少なくとも表題は『現代(の)詩』で良く『100周年』はいらない。僕には詩人たちが、かくも執拗に「現代詩」に固執する理由がまったくわからない。

 

 脇道が長くなったが、俳句について書く原稿だった。「俳句界」には佐高信さんをホストとするインタビュー「佐高信の甘口でコンニチハ!」が連載されていて、今号は田原総一朗さんがゲストである。田原さんは中川秀直氏を通して自民党総裁選出馬前の小泉純一郎氏に会った時に、「経世会とまともに喧嘩して、経世会を潰すと宣言するなら支持してもいい」と言った。小泉さんの答えは「殺されてもやる」というもので、それで田原さんはメディアなどを通じて小泉さんを応援したのだという。しかし政治の世界は一筋縄では行かない。小泉政権を支持したが郵政民営化で対立することになった亀井静香氏が、「あなたは首相になったが、人間としては大いに問題ありだ」と詰め寄ると、小泉首相は「その通りだ。しかし、権力とはそういうもんだ」と言ったのだという。

 

 ひるがえって俳句界である。今号の「俳句界」には「ホトトギス」名誉主宰の稲畑汀子さん、そのご子息で現主宰の稲畑廣太郎さん、司会・坂口昌弘さんによる座談会「~主宰交代から一年~「ホトトギス」の継承と未来を語る」が掲載されている。稲畑廣太郎さんは、「もし私の子供が継ぐと言うたら反対はしませんけど、別に世襲することが第一の目的ではありませんから。もし今の若い人、これからの世代の人でずば抜けている人だったらね」と語っておられる。稲畑汀子さんは「我々の主義主張は一つ、花鳥諷詠です。虚子が残してくれたことを、若い人達の世界で迎合するのではなく、わかりやすく伝えていかなければならない。(中略)(金子)兜太さんもこの間「虚子がいなかったら、いまごろ俳句はないね」なんて言ってましたよ」と語っておられる。

 

 別に誰というわけではないが、既存結社の主宰者が文学的に「ずば抜けている」かどうかを議論するのは俳壇のタブーであり、俳句が「花鳥諷詠」で終始してよいのかどうかも定期的に浮かんでは消えてゆくタブー問題である。周知の事実として、俳壇では結社員の数によって作品の対社会的評価が決まる。人数の多い与党が文学的評価と思想を支配しているという意味で、なんら政界と変わらない。ただ政界は魑魅魍魎の跋扈する所だと言われるが、俳壇より正直だと思う。極端な場合実際に死人が出るほど熾烈な政界の権力争いは、趣味の世界の権力争いよりもストレートでわかりやすい。また「虚子がいなかったら、いまごろ俳句はない」という発言は、正確には「虚子がいなかったら現在の俳壇はない」ということである。当たり前だが虚子以前から俳句は存在しており、虚子がいなくても今も未来も存続し続けているだろう。

 

 俳人たちはノンプロやプロに近づけば近づくほど、自分たちがいかに異様に閉じた文学社会に生きているのかについて鈍感になる。ほとんど融通のない閉じた結社群が、飽くことのない権力争いを繰り広げているのは俳壇だけである。頭数が揃わなければ俳壇では基本的発言権すら得られない。歌壇は俳壇に比べればずっと風通しが良い。自由詩の世界は「現代詩」の呪縛から逃れられず、あくまでそれを権威指標に仕立ててしがみついている気配があるが、歌壇や俳壇のような壇としての体裁を失いつつある。それは悪いことばかりではない。原理的な意味での何でもアリの自由(詩)に戻りつつあるわけだ。現在の俳壇は異常なセクショナリズムに染まりきっているが、江戸俳壇が現代の俳壇ほど息苦しいものでなかったことは当時の資料を読めばすぐわかる。現代俳壇は確かに高濱虚子から始まる。水原秋櫻子の「ホトトギス」離反に対抗するための虚子の露骨な俳壇政治が、ほとんど頑迷と言ってよい現代俳句結社の基盤になっている。そのくらいの俳壇史はそろそろ認めた方がよい。

岡野隆

 

 

 

 

虚子五句集 (上) (岩波文庫) 高浜虚子 (蝸牛 俳句文庫)

 

 

 

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