いつかティファニーで朝食を

日本テレビ

土曜 深夜 25:25

No.100_TVドラマ批評_01

 

 

 話題の朝食漫画の実写化ということである。確かに夕飯をメインとして、『ランチの女王』というのもあったし、ケーキ屋のドラマもあった。朝食というのは残された最後の領域だったかもしれない。そこで朝食の美称として思い出されるのが『ティファニーで朝食を』というわけである。

 

 カポーティの小説と考えれば文学だし、ヘプバーンの映画として捉えればファッション。というわけで、ヒロインはアパレルに勤める28歳の女子、編集者の彼氏と暮らしている。これがまあ、ちょっとだらしない深夜型の男で、愛想を尽かした彼女が別れを決意。そのきっかけというか、目的が「立派な(素敵な)朝ごはんを食べる生活をしたい」ということだと。

 

 そんなんありか、と思うが、まあよい。ここで重要なのは男女の機微ではなくて、朝食なのだ。そしてそんな理由で男と別れる女子というのも、一種ファンタジーじみていてよい。主演のトリンドル玲奈は、そういう情の薄い少女っぽさが似合っていて爽やかである。

 

 つまりはこれも『孤独のグルメ』などと同様の情報漫画なので、実在の店が登場する。確かにこの情報化社会に、人は単なる作り事のドラマを、それもなかばわかりきったストーリーで、登場人物が美味しいものを食べているのをただ眺めているヒマはないのかもしれない。自分も画面の中に飛び込んでいける、というリアリティにしか惹きつけられないのか。

 

 それでも惹句としての『ティファニーで朝食を』は必要なのだ。違和感もあり、微笑ましくもあるのは、ヒロインは「ティファニーでデニッシュを立ったまま食いちぎる」ヘップバーンを素敵だと言うし、言わざるを得まい。しかしながらそんな行儀の悪い、大慌てみたいな朝食は、別れた男が駅のスタンドやなんかで何か流し込んでいるのと変わらない。

 

 もちろんこの、ちょっとケッタイなシーンは、原作でホリー・ゴライトリーが「ティファニーで朝食を食べたい」というわけのわからん願望を口に出したのをそのまま映像にしたものだ。宝石店であるティファニーで朝食を食べたいというのはすなわち、その富にどっぷりつかって暮らしたいということで、「いやな赤」というセリフとともに反共精神の表れと言われている。

 

 この反共精神はカポーティのそれではなく、ヒロインのホリー・ゴライトリーのものだ。資本主義の権化たる彼女はそれ自身が商品 = 高級娼婦なのだが、それでは可愛らしいヘップバーンのイメージとしてはあんまりだ。結局、宝石を眺めながらデニッシュを食いちぎるという絵になる。

 

 生産性が最も上がる朝、あるいは夜遅くまで残業することなど考えると、豊かな朝食は労働者階級には難しい。女子たちが求めているものが物心両面での文字通りの豊かさなのか、あるいは可愛くさえあれば立ったままデニッシュを食いちぎるスタイルそのものなのか、労働男子には永遠の謎である。

田山了一

 

 

 

 

いつかティファニーで朝食を 1巻 創太郎の出張ぼっちめし 1巻