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 浮舟がいなくなり、最近の煩悶から身を投げたのだ、と察した女房の右近はもだえ泣き、乳母は放心しています。匂宮も、尋常な気配ではない文の返事に慌てて宇治へ使いをやります。急いで葬儀を済ませようとするあり様を異様に思った使いの時方は、女房の侍従から浮舟が自死したことを聞き出します。

 

 宇治にやってきた母君は、初めて匂宮との関係を聞きます。激しく嘆き、川を探してせめて遺骸でもと言われますが、すでに大海へと流れていってしまった、人の噂が高まるだけだとたしなめられます。遺骸がある普通の葬式のように取り繕って出すのは実に不吉で、乳母も母君も泣きまろびます。世間の聞こえと女房たちの罪悪感からあくまで事情を隠し、賤しい家の葬儀のようにそそくさと終えてしまうのです。

 

 このとき薫は母宮のご病気で石山寺に籠もり、知らせが届くのが遅れて、葬儀にも間に合いませんでした。自分を待たずにそんなに簡略な式にしてしまったのに驚き、問いただしますが、お答えすることもできません。

 

 薫は、宇治の山の中に彼女をほったらかしにしていたことを後悔します。自分は仏道を志しながら俗な悩みを棄てきれず、その悟りへの方便としてこんなことが起きるのでは、と思いつつ勤行します。一方では匂宮が悲しみのため、病気と見せかけて引き籠もっている様子に、やはり浮舟とはただの関係ではなかったのだ、もし生きていたら自分が物笑いの種になったかもしれないと、焦がれる気持ちも冷める気がするのです。

 

 病いということになっている匂宮を皆が見舞うのに、自分だけ行かないのも妙であると、薫は訪ねて行きます。ちょうど叔父である蜻蛉式部卿宮が亡くなったので、薄鈍色の喪服を着けているのがふさわしいのです。

 

 無常の世をはかなむ様子で泣く匂宮ですが、それが浮舟のための涙だとは薫は気づくまい、と思っています。その嘆きようを目にした薫は「どのくらい前からの関係だろう。自分を滑稽な男だと笑っていたに違いない」と、悲しみも忘れる思いがするのです。

 

 その薫の冷めた様子に、今度は匂宮の方が、「恋人が死んだというのに、なんと薄情な男だろう。悟り済ました人はこうなのか、立派なものだ」と思います。同時に、失われた浮舟のゆかりの者、これも形見ではないか、と薫の顔を見つめるのです。

 

 さすがの薫もそのままではおられず、「あの大姫に似た者を宇治に置き、それが亡くなった。お聞き及びのこともあるでしょう」と、初めて泣きはじめます。語りながら、「女の方も私一人を頼りにするつもりはなかったようだ、そのうちにはあなたの愛人としてご紹介したかった。そちらのお屋敷にいたご縁もあり、顔などご覧になったこともおありでは」と、当てこすります。

 

 匂宮の嘆きようを目の当たりにし、また自身もこれほどの身分でありながら、浮舟を思うこと第一の妻にも劣らなかった、と薫は思い乱れます。「人木石に非ざれば皆情けあり」と口ずさんで伏せっておられる。宇治に出向きたいと思うけれど、そこでずっと忌籠もりするわけにもいかないし、すぐ帰ってきてしまうのも心苦しいし、と煩悶します。

 

 翌月、今日は浮舟を迎えるはずの日であったと思うと、誠に寂しい。薫は橘の枝を折り取り、歌を付けて匂宮に贈ります。

 

 忍び音や君も泣くらむかひもなき

         死出の田長に心通はば

 

 匂宮はお庭で、浮舟によく似ていると中姫の横顔を眺めておられるところでしたが、

 

 橘の薫るあたりはほととぎす

         してこそ鳴くべかりけれ

 

 「まるで私がなにか関わり合いでもあるかのような言われようで、煩わしいことです」と、お返しになります。

 

 やはり浮舟の死が腑に落ちない匂宮は、使いをやって女房の右近を呼ぼうとします。どうしても承知しないので、使いの者はもう一人の女房の侍従を連れて帰ります。実は自ら川に入ったのだ、という話を聞き、その場にいて止めてやれていたらと、匂宮はいっそう悲しみます。

 

薫もまた、思いあまって宇治にやってきます。右近は、周囲に対しては嘘を重ねて不始末を隠してきたけれど、真面目な薫を前にしては浮舟の自死を伝えるしかありません。薫はとうてい信じられずに問いただします。匂宮とのことも本当のことを言うように強いるのですが、右近は、中姫のところにいたときに匂宮に顔を見られた、それで居所がわからないように隠れ住んでいたのに、文が届くようになった、というところまでしか話そうとしません。それも無理のないことです。自分がこんなところに放置しなければ死ぬことまではなかったろうと、目の前の川も、宇治の里の名も疎ましく思います。

 

 思えば最初に中姫が「人形」と呼んだのも、川に流れてゆく運命を示していたようで不吉でした。母親の身分が軽いので、いいかげんな葬儀で済ませたのだろうか、などと疑っていたのも気の毒で、母君の悲しみが思いやられます。穢れを言うのではないが、供の者の目もあるので外の妻戸の前で語っていたのでしたが、茂った木の下の苔の上にお座りになります。辛いので、もうここへ来ることもないだろうと思われます。

 

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 今は律師となった、かつての阿闍梨を呼んで法事の手配をします。帰り道、早く京に迎えしなかったことが悔しく、川の音が聞こえる間は心が落ち着きません。遺骸すら捜させず、今はどんな海底で貝に混じっているのだろうと、やるせなく悲しいのです。

 

 薫は浮舟の母君に文を送り、息子たちの仕官の後ろ盾になってやると伝えます。ぱっとしない親戚付き合いと人に見られるでしょうが、あのぐらいの身分の女を帝に差し上げたり寵愛されたりする例もあるのだし、ましてや臣下では、と考えをめぐらせます。自身の汚点になることでなし、娘を亡くして悲しむ母親のため、その娘の縁で面目をほどこしたと慰めを得られるようにはしてやろう、と心に決めます。

 

 母君の今の夫である常陸介は、浮舟が薫に愛されていたことを初めて知り、驚き、恐縮して薫からの文を読みます。息子たちの後ろ盾になるという薫の申し出をたいへん喜び、母君はなおのこと浮舟が薫の夫人になっていたらと、またまろび泣くのです。常陸介もこのときになって初めて泣きます。しかしもし浮舟が生きていたら、薫はその異父兄弟までも面倒をみようとは思い寄らなかったに違いないのです。

 

 四十九日の法事は薫の手で荘厳に行われます。匂宮は右近に宛てて、銀の壺に金貨を詰めたものを贈ります。右近が志として寄進したものを見て、皆は不思議がります。薫は気心の知れた家来をたくさん寄越し、噂にも聞かなかった女性の法事をこれほどまでに、と周囲はびっくりします。常陸介が主人顔でいるのもいぶかしい。実娘が少将の子を産んだのを祝ったばかりでしたが、この法事のあり様に、生きていたらおよそ自分たちとは階級が違う運命の人だったのだ、と常陸介は悟ります。

 

 薫と匂宮の心はいつまでも悲しく、けれどももとより浮気性な匂宮は、慰めになるような恋もだんだんと試みられます。薫の方は、残された身内の面倒など見つつ、言っても虚しい恋しさが忘れられません。

 

 さて、この四十九日の法要が行われるまでが浮舟の失踪とその死にまつわる話、ということになります。この「蜻蛉」の以降については、薫と匂宮という二人の生者の現世でのあり様を示す物語です。

 

 明石中宮の叔父である蜻蛉式部卿宮が亡くなりましたので、中宮は軽服のため六条院に里下がりされています。寂しさの癒えない匂宮は、姉の女一の宮のところに出入りし、きれいな女房たちを慰めにしています。その中の小宰相の君という女房が素晴らしいのですが、この人は以前から薫と親しい仲なのです。匂宮はいろいろと薫の悪口を言いかけるのですが、小宰相の君は匂宮には簡単になびきません。そんな彼女に薫は好感を持ちます。

 

 あはれ知る心は人におくれねど

         数ならぬ身に消えつつぞ経る

 

 「浮舟に代わって、私が死んで差し上げたかった」と、小宰相の君から慰めの文が届きます。気の利いたその便りが嬉しくて、薫は彼女のもとを訪ねます。女房の自宅へなど、めったに足を向けることなどない薫です。そのささやかで、ちょっと貧弱な屋敷で小宰相の君はごく感じよく薫の話し相手を務めます。浮舟よりむしろこの人に奥ゆかしい才気があるではないか、なぜ女房勤めなどに出たのだろう、と薫は思います。密かな妻としたかったぐらいですが、そんなそぶりは見せずにおきます。

 

 蓮の花の盛りの夏に、六条院で法華八講が催されます。僧の一人に用事があった薫は、釣殿の方へ出向きます。小宰相の君などが几帳を立てて休憩場所としている辺りに、衣擦れの音がします。覗いてみると、女房たちが三人ほどで氷を割ろうと騒いでいます。そこに何ともいえず美しい女一の宮(薫の妻である女二の宮と匂宮の姉)がおられました。

 

 その麗しさは似る者もなく、周りの女房たちなど土色にしか見えないのですが、その中の一人は嗜みがあるように見受けられ、その声から小宰相の君であると気づいたのでした。

 

 小宰相の君が氷を紙で包み、女一の宮に差し上げようとします。そのとき微かに女一の宮のかわいらしい声が聞こえて、薫は喜びに震えます。覗かれていることに気づいた女房が慌てて駆け寄ってくる前に、薫は姿を隠します。

 

 翌朝、薫は自身の妻である女二の宮を眺め、十分に美しいと認めようとしながら、やはり女一の宮はこの世のものとは思われない麗しさであったと思うのです。女二の宮に、あのときの女一の宮と同じような薄物を着るように言い、氷を取り寄せて女房たちに割らせ、その欠片を妻に持たせようとします。そんな酔狂が自身でもおかしく思われます。

 

 薫は「民間人である自分に嫁した女二の宮が侮られている」と言いがかりをつけ、女一の宮から妹である女二の宮に文を送ってほしい、と明石中宮に訴えます。その後、小宰相の君に会いに立ち寄り、女一の宮の女房たちと世間話をします。

 

 明石中宮は、薫と小宰相の君がありふれた恋愛関係ではない友情に結ばれていること、その小宰相の君が匂宮に決してなびこうとしないことを聞き、面白がられます。しかし身投げした浮舟と薫、匂宮の関係を知ると非常に驚かれ、ご心配なさるのです。

 

 女一の宮から、妹であり薫の妻である女二の宮に文が届きます。そのきれいな筆跡に、もっと早くこうしていればよかった、と薫は思うのです。こんなあるまじき恋の迷いもそもそも大姫を失ったからである、そうでなければ女二の宮を賜ることもなかったろう、また可愛らしい愛人であった浮舟のことも思い出されて、あれこれ物思いにふけるのです。

 

 匂宮は、悲しみを分かち合う相手として浮舟の女房であった侍従を呼び寄せようとします。が、浮舟と匂宮との関係から生じた勤めで非難を受けることを怖れ、明石中宮に仕えたいと申します。匂宮はその願いをかなえ、内々で目をかけてやることにします。明石中宮の上等な女房たちは立派な貴族の娘ばかりでしたが、侍従の目には浮舟ほどの美しい姫は誰一人としていないように映るのでした。

 

 春に亡くなった蜻蛉式部卿宮の姫君を継母が可愛がらず、自分の兄であるつまらない男に与えようとしているのを明石中宮が憐れみ、女房として迎えられた。宮の君と呼ばれ、特別な待遇を与えられておいでになったが、やはりおいたわしいことでありました。

 

 匂宮は、八の宮と兄弟であった蜻蛉式部卿宮の娘であるから、浮舟に似ているのではないかと心にかけるようになっています。薫の方は、かつては東宮に差し上げようか、また自分にも父宮から打診があった姫がそんな身の上になったことに同情し、まことにこの世は無常である、これならいっそ水へ入ってしまうのもあながち非難されまい、などと思います。

 

 蜻蛉式部卿宮の喪で、明石中宮は六条院におられます。夕霧大臣は六条院の主として、婿である匂宮を大切にしています。いっときよりは落ち着いているように見えた匂宮でしたが、ここへきてまた相変わらずの御本性を顕し、宮の君を追いかけ回しておられます。

 

 秋になり、明石中宮は内裏に帰られようとしますが、若い女房たちは六条院の紅葉を惜しんで皆、参集していました。その華やかな空気の中心に匂宮がおられます。薫もときどきやってきて、女房たちはそのたびに緊張します。お二人が来合わせたときに侍従が覗き見て、この一方のお方と縁づいておられたらよかったのに、恵まれた運勢をあっけなく捨てておしまいになって、と嘆息します。薫に見つかれば、一周忌もまだなのに宇治を捨ててきたと思われると、物陰に隠れます。

 

 女一の宮に少しでも近づきたい薫は、女房たちが集っているところに行って「自分にこそ気を許せばよいのに」と言いかけます。手出しはしないから安心してよいし、女性の知らないめずらしい話もできるし、と戯れかけるのです。弁の御許という物慣れた女房が相手をします。しかし長くはそうしていないのが女房たちには名残惜しく、誰もが弁の御許のように蓮っ葉だと思われやしないかと気に病むのです。

 

 薫が道を空けると、女房の一人が向こうへ立ち去ります。そこへ匂宮がやってきて、あれは誰、と問うと、「中将の君です」と、答える者がいます。自分に対しては恥ずかしげなのに、匂宮にはすぐに名を教えるなど心安い態度なのが面白くなく、羨ましく思います。

 

 あの氷を前にした女一の宮を覗き見た、西の渡殿へふらふらとやってきた薫は、琴をつまびいている中将の君などの女房に「女一の宮はどのようにお過ごしか」と問います。女一の宮は、夜は明石中宮のところへ行かれてお留守です。帝の愛娘であったという共通点から、女一の宮と自分の母とを比べますが、かつての源氏に明石の姫がもたらしたものは格別なものであった、と思います。自身の宿世もこの上ないもので、さらに女一の宮を望むなど、とうてい無理なことです。

 

 宮の君は、この西の対に一室を賜って住んでいました。この人も浮舟と同じ、桐壺帝の御孫であったと思い出した薫は、「宮の君の父、蜻蛉式部卿宮には親しくさせていただいたから」と理由をつけて近づき、実のある言葉をかけます。賢しげな女房が並の家の娘であるかのような取り次ぎをするので、不愉快に思った薫はそれを拒み、直接話しかけます。

 

 父宮に誰よりも大切にされた申し分のない姫君で、可愛らしく感じは悪くありません。ですが、今の軽々しい身分からか、どこかしら信用がおけない気がします。あの山の中にいた八の宮の三人の御娘たちが申し分のない貴女であったことなどが、それにつけても思い出されるのです。

 

 ありと見て手にはとられず見ればまた

         行方も知らず消えし蜻蛉

 

 あるか、なきかの、と独り言を言われた。

 

 ここまでが「蜻蛉」です。読んできて、どう思われましたか。女主人公と言うべき浮舟が自死した。母君や乳母、女房たちの嘆きは当然として、彼女の恋人であった二人の貴公子たちのその後が描かれているわけですが、正直、がっかりしませんか。

 

 身も世もなく嘆き悲しむのは、匂宮です。しかし彼は浮舟が生きているときから情熱的に愛をささやいたわりには、結局のところ女房にして可愛がってやればよい、ぐらいに考えていた。それを冷たいとか侮辱であるとか、そもそも思いも寄らないようです。一世を風靡する宮さまですから。ただ、死んだときの、これも単純な嘆きよう、宮という身分でありながら、その場にいて手ずから止めてやりたかったという自然でシンプルで現実的な男らしさは私たちの共感を呼びます。

 

 一方で、世間体とか立場とかをまず考える薫の屈折した心情は、物語の情感を盛り上げるのに水を差します。もちろん浮舟を匂宮に寝取られていたという状況は複雑ですが、「生きていれば、寝取られ男として自分が笑い者になっていたろう」とか、「妻にすべき者とすれば許し難いが、気楽な愛人としてなら、浮気者であったとしても慰めになったろう」とかいう計算や思惑が先に立った考えは、恋人を失った男のものとしては同情されるものではありませんね。

 

 しかしながら、どうなのでしょう。小説において、果たして書かれていることがすべてなのでしょうか。単純に傷つき、嘆き悲しむ匂宮ですが、それだけに立ち直りが早い。もうとっとと他の女に気を惹かれ始めていることが明確に書かれています。一方の薫は、あれこれ考えて割り切ろうとする、つまりは傷つくまいと自衛するわけですが、それとは裏腹に、いつまでも悲しみが癒えない。

 

 かといって薫の方が浮舟に対する愛情が深い、というわけではありません。薫もまた、女一の宮を覗き見て胸をときめかせ、妻の女二の宮にそのコスプレをさせるといった酔狂を演じます。これはもちろん、浮舟を失った悲しみのためではありません。

 

 ただ、薫にはそのような自身の痴態に対する自省の念と分析する心があります。それは自分の向かうべき中心があった、それが失われているために、その縁として他のものを求めているのに過ぎないのだ、という薫自身の理解の筋道が立っている、ということです。薫自身はそれを大姫である、と定義していますが、それが必ずしもそうでないこと、失われているからこその大姫もまた、観念としての「仏」の人型であることは、前に述べた通りですが。

 

 そのような筋道が薫の中に通っていることによって、しかし薫は少なくとも自身の内面で筋道を辿るときには、浮舟のことを思い出す。それも自分の精神を形作る背骨となる道筋の一角を担う者として思い出すのです。薫が女一の宮に夢中になっても、それもまたあらかじめ失われている者、手の届かない者として「仏」に通じる憧れが姿を変えたものであり、気を紛らすための浮気ではありません。そして浮舟もまた今や失われた者、手の届かない者としての地位を占めつつある。それが薫の煩悶に結びついている。

 

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 浮舟の死をどんなに嘆いても、その本性として浮気者である匂宮は、結局は過去の風変わりなアフェアーの一つとして忘れてしまえる。それが薫には羨ましいでしょう。女房たちのところを渡り歩いて、慣れない戯れ言を言いかけるのは、女一の宮に近づくという目的ではありますが、その手段については薫が匂宮の真似をしている。真似する側とされる側、立場が逆転しています。

 

 結局のところ、ここには私たちがイメージする「恋愛小説」の姿はありません。「恋愛小説」とは明治期以降、“恋愛”という理想化された概念を中心にパターン化されたエンタテイメントであり、私たちが日常的に考える“恋愛”というものも、パターン化されたテレビドラマ的なる物語をなぞっているに過ぎない。

 

 ここにあるのは、浮舟などの女性たちを挟んで自身の利害や内面を見つめ、他の男と精緻な駆け引きをし、自身のエゴをなだめようとする男たちの揺れ動く心情でしかない。女への執着があるからには恋愛と呼ぶことはできますが、この古代の物語の正確な描写は、雑で陳腐な形骸である「恋愛」という現代の概念に対し、それはいったい何なのか、という問いをつきつけるのです。

 

 古井由吉は現代日本の最も優れた作家である、と考えて間違いないでしょう。日本で最もノーベル賞がふさわしい作家、という言い方もされますが、これはいくつかの意味で考えさせられます。それはノーベル賞も他の賞と同様にひとつの制度であり、組織が運営するものである以上、組織の都合や価値観によって与えられるものだ、ということです。ただ、その価値観が、世界的な社会情勢や均質化された政治的大義名分ではなく、その国固有の文化を代表する作家に与えられるべきだ、というものであるならば、まさしく古井由吉はそれにふさわしい。なぜなら他国に例を見ない日本に固有の文学形式とは「純文学」であるからです。

 

 「純文学作品」とはしかし、これもまたひとつの制度的形式にほかなりません。端的に言えば、いわゆる「純文学作品」とは現在、芥川賞を主宰する「文學界」という雑誌がその典型を示している形式である、と言えます。つまり「純文学作品」とは「文學界」およびそれに追随しようとする文芸各誌に掲載されている作品のことである、というのが最も端的な定義です。

 

 当然のことながら、日本の長い歴史を踏まえて成立してきた文学形式が、一私企業の都合やカラーのみで規定されるわけがありません。「純文学作品」は「文學界」を始めとする「純文学誌」の制度を踏襲する特異な読み物として生き残っているに過ぎませんが、日本文学の特質としての「純文学性」は、それとはまた違うものです。日本文学固有の「純文学性」とは、すなわち自我のあり様です。外部が存在しない「肥大化された自我」というものが、日本文学作品における純文学性の本質であります。

 

 古井由吉は「内向の世代」と呼ばれる作家の一人です。その名の通り、学生運動をはじめとする社会性、社会構造を前提とするプロット、そしてもちろんエンタテイメント性とも無縁に、自身の内面を精緻に描き、と言うよりも、古井由吉についてはテキストそのものを人間の内面と化し、同値なものとみなすかのようです。

 

 古井由吉は、エッセイズムという概念を提唱したことでも知られます。日本文学とは、この大陸的な枠組みから始まり、ダイナミックな構成を持つ源氏物語をむしろ特別な総括的文学作品として、随筆、日記というプロットのないテキストの集積で形成されている、と言えます。それは俳句、短歌という詩歌の形式においても踏襲されている。それらの集積が示す全体としての世界像についてはまた後で述べることとして、日本文学作品の純文学性が端的に表れるのは、特定の私企業が発行する文芸誌の形式的な「純文学作品」以上に、「日記」=ブログ、「エッセイ」であることが多い。

 

 「内向の世代」の作家である古井由吉は、その内向性によって日本の純文学性の本質に触れる作品を書き続ける結果になったわけですが、誤解を怖れず言えば、それはたまたまであって、少なくとも今の新人賞応募者のごとくに「純文学作品」の形式を踏襲しようとトレーニングした結果ではないと思われます。

 

 なぜなら、それより一世代前の「純文学作家」とは異なり、古井由吉は自身の内面に向かうことで必ずしもエゴの肥大化をもたらさず、そこで見いだされるテキスト=「エッセイ」の集積として自我と世界のプレーンなあり様を示唆するにとどまるからです。

 

 社会と無縁なようでいても、作品は常に時代を反映します。古井由吉の出世作「杳子」は昨今の芥川賞受賞作とは違ってたいへん話題となり、当時の女子大生は皆、「わたしって杳子みたいな女なの」なーんて言ってたものです。(すぐメンヘラとか言いたがる今の若い人と同じ。)神経を病む杳子と、彼女の理解者である青年との関わりは、恋愛と言われれば、そうか恋愛だったかと、その包括的かつ社会的な定義にびっくりする。それほど精緻に、彼は彼女の神経のあり方、感じ方を捉え、理解し、なぞるのです。それが愛かどうかなんて、もはやどうでもよくなってしまうわけですが、まあ、かつてのメンヘラ女子大生にとって理想の彼氏ではある。

 

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 古井由吉の“男”と“女”は他者同士ではない。他者なのですが、互いに浸食し合い、自他の区分があやふやになってゆく。自我に向かい、他者を巻き込んでそれに耽溺しながら、自我の輪郭が溶けてゆく。それはやがては“男”と“女”ではなく、ありやなしやの“生”と“死”に接近するのです。

 

 『仮往生伝試文』は、今昔物語などの説話からの引用、主語のない擬古文を用いつつ、現実と夢、生と死の閾をテキストによって乗り越えよう、むしろ名付けようのないテキストをその閾そのものとして現前させようとした意欲的な最高傑作です。生と死の交わり、その往還によって生の実相を見極めようとする。

 

 浮舟が死に、残された現世の生者たちの様子を私たちは覗き見てきました。女たちはただ悲しみにうちひしがれ、男たちはいっそう哀れなことに、自我を保って生きるための打算に満ちている。それは誰の視線でしょうか。この「蜻蛉」の巻では、私たちもまた、匂宮に憧れ、薫に隠れつつ二人を眺める女房の侍従と同じような位置に佇んでいるに過ぎないのですが。

(第40回・了)

小原眞紀子

 

 

 

 

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