ブスと野獣

フジテレビ

土曜 23時40分~

No.094_TVドラマ批評_01

 

 

 なかなか笑えるタイトルではある。救いのなさがおかしい。でも冷静に考えると、「美女と野獣」だから問題なのであって、「ブスと野獣」ではフツーである。よくそこらにいるカップルである。自分たちではそーではないと思っているが。おかしくもなんともない。

 

 つまりここでドラマを発生させるには、ブスと野獣がブスと野獣としての自覚を有し、なおかつブスと野獣というカップルに甘んじない、という志が必要である。ドラマ「ブスと野獣」はこのロジックをきれいに踏襲し、ブスと野獣がそれぞれ美女とイケメンを志向する設定となっている。すなわち「ブスと野獣」は、正しく「美女と野獣」たらんことを目指すのだ。

 

 ここで注意すべきなのは「ブスと野獣」は、そのままブスな女と野獣めいた男を指していない、ということだ。そこがなかなか秀逸である。ブスと呼ばれるのはチビでメガネで口ばかり達者な弁論部の大学生、野獣と呼ばれるのは文字通り野獣めいた体育会系の女子大生だということだ。

 

 男の子をブスと呼ぶのがピンとくるかどうかは別として、女の子のブスなんてのは確かにたかが知れている。ブスかわという言葉もあるように、ちょっとした愛敬と紙一重だ。化粧で盛る土台としてヤル気が出るくらいのものだ。デブもまた心がけひとつで修正可能という点で、ホントはカワイかった、という展開になりやすい。その点、野獣女子というのは決定力がある。

 

 絶対カワイくならない決定力は徹底した肉食性からくるものであって、見た目はその具現化に過ぎない。そして男の子の方のモテなさ加減も、見た目よりその口の減らなさにある。弁論部というのは本来、政治家を目指すためのものなので、権力をともなわない屁理屈は男らしくは映らない。

 

 肉食性は女性性を完全否定するものだが、肉食性ゆえに羽生結弦に似た彼氏を求めるという絶対矛盾を抱える。おそらくは本の読みすぎで背が伸びず、口とんがらかしている男もまた、その理屈っぽさから美女の彼女を得るべきだと思い込んでいる。しかし彼らの憧れの的であるイケメンと美女が、いかにもお似合いのカップルになりそう、というところでブスと野獣が共闘する。

 

 もちろん、そんな共闘は無駄なので、コメディ仕立てになるしかない。しかしテレビドラマでこのように自明だというのに、「彼氏との仲を応援する」的な言説が現実にもときどき聞かれるというのはどういうことだろう。そもそも応援されて上手くいくものなのか。

 

 何でもありで、誰もがワガママになったこんな時代に、若い者たちは存外「分をわきまえて」しまっているように思う。そうでなければ、このような「格差」、「階級」への無益な異議申し立てがコメディにはなるまい。ただ、そこにあれこれ社会的な意味づけをすれば笑いすらとれない。数字の低迷に苦しむフジテレビだが、深夜枠のこんなところから肩の力を抜いて立て直してほしい。

山際恭子

 

 

 

 

 

 

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