No.087_TVドラマ批評_01

 

 

 数字がとれないというのも、話題の一つではある。話題になっているのに、やはり数字が上がらないというのも因果なものではあるが。その因果というのは、話題になったのに合わせて観てみようという視聴者がいても、どうしても番組の最後まで惹きつけられない、ということだろう。つまりは番組の企画そのものに構造的な欠陥がある、と判断せざるを得ない。

 

 このドラマについてはキャスティングにも問題はなく、ヒロインは二人、いつまでもキレイな稲森いずみとプライムタイム初めての主演作になる渡辺麻友だ。脚本も、もちろん面白いわけではないが、吐き気がくるほど鼻につくというほどでもない。つまりは役者のせいでも、それぞれの回の台本のせいでもなく、テーマと設定、そしてテレビドラマとして展開すること自体に無理がある。

 

 まず基本的に、視聴者が無意識のうちにも首を傾げるのは、書店の構造不況をもたらしたものはネット書店以前にテレビではないか、ということだ。もちろんテレビで出版の話は扱うなというわけではないが、スタンスがあまりにも曖昧だと、視聴者としても立ち位置に迷う。

 

 そして、そのような書店を応援しようという共感を得たい、というのがテーマのはずだが、それへの想いが感じにくい展開だった。職場での対立、恋愛などはどこにでもある。書店ならではのそれというのも難しいが、あれ、何のドラマだったっけ、ではテーマ性は弱まる。

 

 書店ならではのものを入れていこう、という工夫が皆無であるというのではない。ただ、「書店ならでは」を根本的なところで取り違えている、という気がする。少なくとも視聴者が考える書店、特にこのようなドラマに興味をおぼえる視聴者にとっての書店とは何か、ということだ。

 

 私たち視聴者にとっての書店とは、本があるところである。そして私たちにとっての本とは、読むものである。言うまでもない、と思われるかもしれないが、このドラマでは誰であれ、本を開いて読んでいるシーンが少ない。絵にならない、というのもあろうが、ほとんどない。

 

 登場人物たちにとって、本は「商品」に過ぎない。大事な商品かもしれないが、それは大事な書店を守るためのものだ。彼らの関心は本の中身ではなく、売るための企画にある。彼らの人間関係を描いているドラマで、その場である書店を守りたい気持ちは伝わってくるが、なぜ書店でなくてはならないのか、家具屋やおもちゃ屋だとどう違うのかがわからない。

 

 視聴者にとって、本はどこで買っても読めればよい。その書店の吉祥寺店が潰されるということの重大性がそもそも共有できない。となれば、まさにテーマと設定の構造的欠陥だ。その書店に格別に本を愛している店員でもいない限り、閉店を惜しむ客はいない。凡百のテレビドラマが打ち切りになっても、たいして惜しむ視聴者がいないのと同じである。

山際恭子

 

 

 

 

 

書店ガール (PHP文芸文庫) 半熟AD (光文社文庫)

 

 

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