谷輪洋一さんの文芸誌時評『No.012 群像 2015年05月号』をアップしましたぁ。清水良典さんの連載評論「デビュー小説論」を取り上げておられます。谷輪さんは、「正直、文芸評論の迷走もついにここまで来たか、の感がある。それは必ずしも悪いことではない。何事も極点に到達すれば、見えてくるものはあるのだ。・・・今、文芸誌が当て込んでいる読者は、その文芸誌からのデビューを視野に入れている人々しかいない。それはまさに文芸誌が有料である、ということから起因している。無料ならば一般読者も皆無とは言えまいが、文芸誌の購入費用は、そのカルチャーへの参加費、会費に近いものだ」と書いておられます。

 

谷輪さんには先日、又吉直樹さんの小説『火花』がノミネートされて話題になった、「No.005 第28三島賞発表記者会見 ニコニコ動画」について書いていただきました。テレビのようなマスメディアでないにせよ、小説賞の記者会見がカットなしで誰でも見られるように公開されるのは従来はなかったことです。情報公開の波はこんなところにまで及んでいるわけです。優れた作家を見い出す役割を担ってきた商業文芸誌で、デビューノウハウそのものを指南する、清水さんの「デビュー小説論」が掲載される由縁です。

 

ただ問題はそれがどこに向かっているかです。当たり前ですが小説の書き方のノウハウを学んだくらいではデビューできません。またノウハウが学習可能なら、大学入試のように大量の作家が新人賞等を受賞することになるでしょうね。そこには未必の故意であれ、みなさん有名出版社から小説家としてデビューしたいでしょ、それならこの雑誌を読んで(買って)勉強してくださいといふ意図があるように思います。しかしそれで本当に雑誌の売り部数が伸び、優れた作家が応募してくるようになるんでしょうか。雑誌編集部は本当にクライアントの顔色をうかがい、好みに沿った作品を書く新人作家を求めているのでしょうか。

 

谷輪さんは、「ヒトが皆、忙しくなったのは、情報爆発が起こっているせいである。・・・ヒトは有用な情報を効率的に入手することに血道を上げはじめているのだ。・・・「時が金」である以上、ヒトの時間を無駄にさせるものは忌み嫌われる。漠然とした文学的イメージ、権威なんだよ、尊敬してねという目配せは、いまや誰にも通用しない。デビューならデビューという取引きについて明文化する、その役割を文芸誌の文芸評論が担わされる。文学とは何なのか、という問いを本当のところ抱えていないなら、そういう御用を聞いても別にいいのだろう」と書いておられます。

 

いつの時代にも権威に従順な人たちはいます。また権威に組み込まれた作家の中にはささやかな利権を守るために、まがいものの霊能者のように古ぼけた特権的文学者像を振りかざす者も現れるかもしれません。しかしノウハウを公開し情報公開を始めたからには、既存の権威や文学者の特権性は霧散してゆく一方でしょうね。またノウハウは基本的に、ギブアンドテイクの商取引で最も効果を発揮します。文学作品を商取引用の商品だと規定するのは一つの見識です。でも心からそう信じ切れるのか。情報公開とノウハウ時代になって、文学の根幹が問われているやうに思ひます。

 

 

谷輪洋一 文芸誌時評『No.012 群像 2015年05月号』 ■