第三回 内向きに開く書物
古典の「古」の字を「正」に変えると正典になる。
つまり古いだけでなく、正しいと見做されたものが正典なのだろう。
しかも正典という音は「聖典」とおなじである。要するに聖書のようなもの。
だが聖典とは恐ろしいものだ。なるほど聖典はこれまでに幾万もの人々の魂を救ったかもしれない。とはいえ幾万もの命を奪ったことも事実である。聖典は一つしかなく、二つ目から先はすべて偽書だという理屈が、残念ながら世間ではしばしばまかりとおる。偽書を奉ずる蛮人は始末される。救われた魂は目に見えないが、奪われた命は実にかさばる。こうして聖典の見開きには腐臭芬々たる屍が累々と折り重なることになる。
ところで正典は翻訳すればカノンで、原義をたどれば秩序であり規律である。だからきわめて秩序だった手法で作曲されるカノン形式の音楽は、ときには逆回しにしても裏返してもおなじに聴こえるほどに規律ただしく、そのような厳粛さが似合う場所、たとえば教会などで演奏された日には、魂に救いをもたらすだけではなく、この秩序がわからぬ輩は生きるに値しないのではないか、という疑問さえ湧きあがらせかねない。
だが正典がつくりだすメビウスの輪にそのように幻惑されてしまう人とは、所詮は正典の本質を理解することのできない人なのだ。カノンが古くはフーガと呼ばれていたことを、この人たちは知らないのである。フーガ、すなわち遁走曲。正典を愛するには、背を向けて走り去りながらでなければならない。秩序と規律は、常に意味と共に遁走を続ける。
あたしたちには
一休さまも、業平朝臣も
光源氏の君までが、出会いのたびに
いろ目忘れぬおんそぶり。
(ヴェルレーヌ「おぼこ娘の歌」堀口大學訳)
すると聖典はこんな風に先回りをして、異国のテクストを懐かしく縁取ってくれる。それは異国の版図をいつの間にか私たちの魂の領土に書き換える、冷酷でいて微笑ましい所業なのだ。いや、ときには懐かしいではすまないこともある。詩人が詩を読み解くとき、詩人はときに時を遡ることをためらわない。新しく私たちの目の前で生れ変わる聖典は、その聖典が生れた時代よりもさらに以前の、しかも万里を隔てた言葉で自らを語る。
ふるとしの雪やいづくとあざかへし
このとしこの日趾とふなゆめ。
(ヴィヨン「疇昔の美姫の歌」日夏耿之介訳)
「そのかみのやしよめのうた」、と訓み下された泥棒詩人ヴィヨンの歌は、こうして、まさに歌になる。ああ、私たちはもう歌を忘れているなどと言うなかれ。浜千鳥が文字を作ったのなら、何をいまさらカナリアになろう。むしろ異国の聖典と一緒に、故国の聖典にも溺れるがよい。あのデンマークの童話作家でさえ、候文で書いたのだ。時間旅行を厭う者に、そもそも詩などわかりはしない。
詩がわからないと言えば、物事の価値を古いか新しいかで判断する、奇妙な感覚を持った人たちも後を絶たない。しかも彼らは、自らの価値基準が驚くほどの速さで日々移ろってゆくのに気づかないという、驚くべき悠長さを兼ね備えている。流行語の流行を知らないうちに、造作もなく使いこなすのがこのような人たちである。自分の口から出ている文章の構造がいつのまにかフランス語のようになっていることを意識しないまま、すべての動詞のあとに「してゆく」をつけるのがこのような人たちである。Je vais je vais je vais je vais 、それはだんだん拍手の音に近づいてくる。彼らはサーカスを観るのが好きだ。演目は一千年前から変わっていないのに、流行っているから新しく思える。サーカスがないと、例の「聖典はただ一つ」の理屈に踊らされて、あとさき考えずに聖戦を始めるかもしれない。ああ皇帝ネロの言う通り。
観客様はみな鰯
咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
(中原中也「サーカス」)
私たちの方は、まさに鞦韆のように往ったり来たりする。ぶらんこを鞦韆と書こうか、秋千と書こうか、ぶらんこのままにしておこうか、往ったり来たりするたびに嗜好が変わる。いつか答えが出ると思って、一日千秋、揺られている。いっそ由佐波利もやさしくてよい、と思いながらぶらこっこ、ぶらこっこ、意味もわからず感心している観客が溜息まじりに je vais je vais je vais je vais 、そんならとこっちは tu vas tu vas tu vas tu vas、なんだか接吻の音に聴こえてきて、まっぴら御免と飛び降りる。
そのまま天幕の外へ出ようとするけれども、書物は内側に開かれているので、外へ行こうにも外がない。だから必死で名前をつける。名前をつけないと喰われそうだ。名前をつけても最後には喰われるのだけれど、知らないものに喰われるよりはいい。
Aは黒 Eは白 Iは赤 Uは緑 Oは青
母音よ お前たちの秘められた生誕をいつの日か物語ろう
(ランボー「母音」宇佐美斉訳)
名前をつけながら私たちは逃げる。遁走する。何から? ひとまず母国語から。あるいは無謀にも風土から。世界のありとあらゆるものに名前をつけることができれば、おそらく私たちは自由になれる。だがこれは美しい誤解だ。名前のもとになるのは、結局のところ私たちの風土をふるいにかけて練り上げた粘土なのだ。粘土で何を作ろうと、粘土はおなじ粘土である。そら、オウィディウスの笑い声がする。
でも私の国のAとEとIとUとOは、あなたのお国のAとEとIとUとOとは違うのだ。と、こんなのも馬鹿げた言い逃れである。何語を話そうと構うものか、私とお前はどうせ違う人間なのだ。そもそも母国語というものが、大いなる嘘ではないのか。母国語、いやたとえ母語といったところで、私のそれが母国を同じくする人たちのそれと溶け合うとは思えない。私の内部においてさえ、母語は常に混乱しているのだ。だいたい、母国とは何なのか。母語は裏切り者だ。母国は嘘つきだ。母は裏切らない。母は嘘をつかない。それともあるいは?
もう、私たちはすっかり追い詰められてしまった。再びヴェルレーヌに救いを乞おう。
心して言葉をえらべ、
「さだかなる」「さだかならぬ」と
うち交る灰いろの歌
何ものかこれにまさらん
(ヴェルレーヌ「詩法」堀口大學訳)
そうだ、必要なのは両義性への礼賛なのだ。思えば業平ほどそのことを知っている詩人はいなかった。月やあらぬ。どちらか片方ではなく、どちらも言うこと。それがせめてもの反抗である。真実を述べるのではない。真実の種をまくのだ。書物は内側に開かれている。種をまいたら、書物を閉じよう。折り重なる頁が、種子をそっと守ってくれる。何か言いたいことがあったら、書物を抱くようにしてそうっと開き、こっそり書き足すのだ。インクは必ずや種を育むだろう。
大陸の詩人は島国に渡り、土地の詩人と出会い、根を張り、芽吹き、よろずの言の葉となった。その子供たちは何世紀かして、七色の舌を持つあまたの詩人たちと出会った。彼らの言語を口移しに、呑み込み、吐き出し、そうして、自分の鳴き声を探しつづけた。篝火の下の鵜のように。
鵜は苦しそうだ。涙を流しているようにも見える。だが川の水に濡れた鵜は美しい。美しい詩を書く人々が、いつも涙を流しているように。
(第03回 了)
大野ロベルト
【画像キャプション】
「仲違いのまえ、ランボーとヴェルレーヌの内緒話……」
アンリ・ファンタン=ラトゥール「テーブルの片隅」1872年
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■