金魚エセー_No.005_01

 

 

 ピース又吉氏の小説が候補に上がったことで話題になった、第28回三島賞発表の記者会見である。ニコニコ動画で4時間に渡って放映されたものがアップされている(無料視聴期間は終了したので、ご興味のある方はニコニコ生放送で有料視聴してください)。4時間の前半は山本周五郎賞の発表。三島賞発表は、タイムアカウントで2時間32分(2:32)ぐらいから。選考委員の代表として、辻原登氏が経緯を説明している。

 

 結果としては、ピース又吉氏は受賞を逃した。候補作のうち最後まで残り、議論を重ねた末に投票となって、受賞作とは僅差の3対2であったという。ちなみに辻原登氏はピース又吉氏に投票。こういうとき、獲れなかった候補者を推した選考委員が記者会見に出てくるのはめずらしいことらしい。そんなふうな言葉が記者から漏れた。なるほど。しかし、なんでだ?

 

 このニコニコ動画の記者会見動画を取り上げるのは、それが話題になったからでも、金魚屋に縁のある辻原登氏の会見だからでもない。いや、それもあるが。またここで、ピース又吉氏の作品と、どうやら「ピース又吉氏の受賞を阻んだ」としてしか一般には認知されていない受賞作との比較をするためでもない。

 

 ウェブ上での文学プロパーとしての立場を主張するなら、ここでは純文学のインサイダーとして、ピース又吉氏の作品と受賞作品とを文学的見地から細部にわたって評価し、公平であることを前提として、決まった受賞作をそれなりに諾う(たぶん)というのが「正しい」のだろう。しかし、なんでだ?

 

 この記者会見を見て、しかし取り上げるに値すると感じるのは、そういった「正しさ」への疑念とか、賞というものの意味とかについて、ちらっと思いをよぎらせるものであったからだ。それはただ、異議申し立てといったような大仰なものではなくて、だからこそ本質に近い。

 

 ニコニコ動画のコメンテーターたちには、辻原登氏の記者会見は概ね好評であった。「よくわかった」という反応で、それは受賞作品が決定した経緯とともに、それをどう捉えているかという辻原登氏自身の考え方について異論を差し挟む余地がない、ということだと思う。それは辻原氏が説得力のある持論を展開したわけではない。というより、辻原氏はそもそもピース又吉氏に投票したのだから…。

 

 つまりその記者会見から伝わってきたのは、いい意味で、賞なんて誰がもらおうとどうでもいいのだ、ということだ。辻原登氏は最初、二人受賞でいいではないか、と主張したという。この選考委員メンバーにおいては、受賞者は一人に絞るという暗黙の了解があったにも拘らず。一人に絞るのは議論を白熱させ、なあなあで折り合わないためだという。つまりそれも方便に過ぎない。

 

 方便に過ぎないのだから、場合によっては二人受賞でもいいし、白熱した議論の上、このように受賞者が決まったこともよかった、ということである。その経緯にも心境にも嘘はなくて、まあ、そんなものだろうと万人を納得させる。すなわち賞というものも何かの方便であり、何の方便なのかは個々の価値観に属するということだろうし、それこそがコモンセンスである。

谷輪洋一

 

 

 

 

 

火花 寂しい丘で狩りをする

 

 

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