小原眞紀子さんの『文学とセクシュアリティ 現代に読む源氏物語』(第037回)をアップしましたぁ。今回は『源氏物語』第四十九帖『宿木(やどりぎ)』の読解です。『宇治十帖』第五帖に当たります。薫は女二宮との、匂宮は六の君との結婚が決まります。でも薫は大君を忘れられず、しょっちゅう匂宮の妻となった中姫を訪ねます。でも中姫に大姫の面影を求める薫の執着に、匂宮が嫉妬を覚えます。

 

小原さんは『宿木』の読解で、宇治十帖の主人公は誰かといふ問いを再び発しておられます。「小説においては、内面を告白しているからといって主人公であるとは限らない。内面の告白は主人公であることの必要条件ではありますが、十分条件ではないのです。・・・「宿木」に至るまでに、匂宮の内面が少しずつ露出してきている。・・・それではここへきて匂宮も主人公と化したと言えるのか・・・結論から言えば、それはない。なぜなら匂宮の内面、ようするにその愛情や嫉妬は、薫のそれと比して常に相対的に浅く抑えられているからです。それが常にそうである、ということは、作者の意図としてそうである、ということです」と書いておられます。

 

では薫の内面はなぜ深いのか。小原さんは「薫の宇治の姫への執着は、もとはと言えば世を厭うて、八の宮に私淑したところから発生しています。その薫の厭世観の原因は、元をただせば自身の出生の秘密にある。・・・生きているかぎり逃れようもない、だから薫は彼岸を志向するのです。・・・これと同じコンプレックスを抱えていたのが、もう一人の歴然とした主人公、光源氏でした。彼は生まれ落ちると同時に生母を失い、それへの執着がすべての彼の深い恋の源流となっていました」と批評しておられます。

 

小原さんはこの認識を元に、『宿木』の表題を読解しておられます。薫が宇治で詠んだ歌で、それを読んで匂宮が嫉妬を覚えたわけです。「薫の心がいわば宇治の深山木なら、匂宮はそこに絡みつき、俗世である京まで運ばれてきた美しい宿木(蔦)の葉です。主人公の歴史から生まれた深い執着がなければ小説は成立しませんが、小説の魅力、読む愉しみはそこに絡みつくリゾーム状のディティールにある、ということがしばしばです」と小原さんは書いておられます。これは見事な読解だな。じっくりお楽しみください。

 

 

小原眞紀子 『文学とセクシュアリティー 現代に読む源氏物語』(第037回) ■