新宿梁山泊 第53回公演 芝居砦・満天星シェイクスピアシリーズ Vol.2 『ハムレット』

 

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於:芝居砦・満天星

鑑賞日:2015年2月21

 

作:ウィリアム・シェイクスピア

翻訳:小田島雄志

演出:金守珍

出演:

金守珍

松田洋治

三浦伸子

渡会久美子

広島光

染野弘考

小林由尚

申大樹

島本和人

加藤亮介

八代定治

海老根寿代

立本夏山

NIWA

照明:泉次雄+ライズ

舞台美術:宇野亜喜良

美術助手:野村直子

装置:大塚聡+百八竜

音響:N-TONE

振付:大川妙子

殺陣:佐藤正行

宣伝美術:宇野亜喜良 / 福田真一

主催:新宿梁山泊

制作協力:J・S・K

 

 

 新宿梁山泊の演劇拠点である芝居砦・満天星に行くには二つの道がある。西武新宿線中井駅から妙正寺川を渡って南下する道が一つ。JR東中野駅からギンザ通り商店街を抜け、宝泉寺の横道を墓地を左手に北上する道がもう一つ。川と墓。小屋を目指す観客の足はすでに『ハムレット』の戯曲世界を踏んでいる。ハムレットとオフィーリアの死をあらかじめ知らない観客はそういない。我々観客は幕が上がる前から、ハムレットが、オフィーリアが、ポローニアスが、レアティーズが、つつがなく死すことを期待している。古典悲劇を見に行くとはそういうことだ。我々が知り尽くした悲壮な運命が、再びハムレットを巻き込んで死に至らしめるまでを、じっと見つめる。劇的アイロニーとも呼ばれる全知的視座が観客席にある。そこに悠然と座す我々観客は、しかしまたもや繰り返されたオフィーリアの発狂と死に、新鮮に胸を打たれる。東中野から歩いて商店街を抜け、早稲田通りを横切れば、道はとたんにひっそりとし、宝泉寺の横道は夜灯もまばら。ほんとうにこの先に劇場があるのかと不安を覚えながら墓地を尻目に坂道を登っていく。突き当たりのゴールデンマンションの幽静とも言える佇まいを地下へと降りていく。その道のりの寂しさの極致に劇場が開く。満天星の名に違わず、ハムレットの観客たちは地中の劇場で模造の月を仰いだ。

 

 新宿梁山泊版『ハムレット』は一言でいえばオーソドックスである。アングラ演劇のスピードを乗せた小田島雄志訳が熱量の高い俳優の演技の口をついて躍動する。俳優と観客の距離はかぎりなく接近する。ときに観客席を巻き込むダイナミックな演出があり、また席後方の俳優の出入りなどをきっかけに、観客の視線は360度の劇場空間に振り回される。上階から吹き抜けの螺旋階段、床板の下から現れる墓とドクロ。舞台は可動する壁の舞台美術によって主に三分割される。多くの幕場でハムレットが占める手前の間、クローディアス王と王妃が座す宮廷を表象する中間の間、模造の月を隠し黄泉の世界と連携する奥の間。

 

 観客と深く親交するのはハムレットである。たとえば、謀殺された先王が亡霊となって現れ、ハムレットに仇討ちの誓いを立てさせる場面では、観客席の床下をも打ち鳴らす先王の激しい求めに応じ、ハムレットは舞台と客席の仕切りのない演劇空間を駆け回って誓いを立てる。このとき観客はハムレットとともに先王の声を聞き、誓言の証人となる。この観客の目前でハムレットは死ななければならない。”to be, or not to be”と、秘すべき心中を告白してでも。

 

 戯曲『ハムレット』は長大な作品で、一行一行と台詞を追って演じていてはとても2時間の枠組みには収まらない。しかし本作は、観客にハムレットを最接近させてその共犯関係を構築しながら、奥舞台を巧みに展開して、観客席から往還するハムレットの演技空間をテンポ良く現出させる。その演出の鮮やかさと演技の精度、そして全体のスピード感は、観客をイリュージョンの最奥へと息もつかせず引き込んでいく。その力の極限は最終幕の演出にある。王、王妃、レアティーズ、ハムレットが毒を仕込んだ剣とワインによってばたばたと倒れていくと、舞台最奥の月の世界から降りてくるように、手燭を灯したオフィーリアが登場し、悲劇の死者たちを一人また一人と連れて行く。原作にはないこの演出によって、死した魂の行方を観客は目の当たりに幻視する。

 

 しかし、そうした劇的表象の完成へと向かう演技と演出の精度とは正反対のベクトルを持つ力が存在する。それは戯曲に由来する演出というよりは、その戯曲をかける劇場と劇団の記憶に由来する。詳細は金魚屋のインタビューに譲るが、美術を担当した宇野亜喜良の仕事がその代表である。観客席上手の壁面に飾られたドクロ姿のモナリザ。その空虚な眼窩が常に観客の横顔を睨む構造が本作の外延となっている。上演中、観客席上手後方を俳優が行き来するたび、俳優の劇的表象を見つめていた観客の目が、何度もモナリザの視線にかち合う。戯曲世界に打ち込まれた現実世界の物質がイリュージョンに皸を入れる。もともとは先年の公演『少女仮面』用に作られた舞台美術の転用である。その狙いはどこにあるのか。もう一つ、旅回りの劇団による劇中劇の場面も挙げられよう。アジアの人形劇の旅芸人一座という設定はもちろん戯曲中には書かれていない。さらにその人形というのも、別舞台のために製作した美術の転用である。アジア文脈の混入は戯曲に基づく演出上の必然から生じたものではないだろう。

 

 これらの舞台美術は戯曲世界と無縁であるために強力な異化作用をもたらす。『ハムレット』に皸が入り、観客の受容する劇的表象にも皸が入る。その瞬間、観客の想像力はより強力に働いて皸を修復するが、観客から戯曲への積極的な介入を誘うこの皸の痕跡こそ、なににもまして演劇的な装置となる。引っ張るだけでなく誘い込むこと。まずはここに過去作品からの美術の転用の狙いがあると言えよう。

 

 では戯曲世界の側から見ればどうか。劇場の、あるいは劇団の記憶から流入する時間を、本作の劇世界はいかに受けとめたのか。ここでの仕事の担い手はホレイショーである。彼はハムレットの親友であり、ハムレットの悲劇を後世に伝える語り手として惨劇を生き残ることになる。戯曲原作では、ホレイショーの語るハムレットの悲劇は、最後に登場するノルウェー国王子フォーティンブラスに第一に伝えられることになる。二人はハムレットらの亡骸を運び、弔砲とともに舞台を去る。この場面は本作上演ではカットされている。亡骸は再登場したオフィーリアによって黄泉の世界へと連れられていく。舞台奥に並んだ死者たちが手燭の灯を吹き消して退場する。舞台上にはホレイショーが残される。じっと観客を見つめ続ける。

 

 観客席に二つの視線が交錯している。死を表象するモナリザのドクロの視線。生者の仕事を担ったホレイショーの視線。ホレイショーが見つめ返すのは、ホレイショーが語り継いだ物語の最新の受容者だ。戯曲の枠組みを超越したメタ視点を、ホレイショーはここではじめて観客に注ぐのである。いままさに観客が目撃した『ハムレット』は過去何回目の『ハムレット』なのか。そこには作品に刻まれた上演の歴史がある。そしてこれが芝居砦・満天星の、あるいは新宿梁山泊の、何回目の公演なのか。劇場の記憶、劇団の記憶が積層している。ホレイショーが見つめるのは、自分が伝承した演劇の最新の受容の証人なのだ。ハムレットが観客との間に構築した関係をホレイショーが引き継いでいるとも言える。『ハムレット』はたったいまアップデートされた。そのことを確認してホレイショーもまた、どこかで『ハムレット』が上演されるときまで、一時退場する。残るはモナリザの視線。観客を退席まで見つめているその視線は、我々観客もまた死すべきものであることを訴える。観客はいずれ死ぬ。では、たったいまアップデートされた『ハムレット』はどこへ誰によって伝えられるのか。

 

 ハムレットが遺言した語り手の責務は、ホレイショーから観客へと受け継がれる。そして再び『ハムレット』上演を希求し、足を運んだ観客から、ホレイショーへと受け継がれるだろう。新しい伝承先で『ハムレット』の体系は新たに血脈を拡げ、新天地に積層する記憶によって刷新される。新宿梁山泊、芝居砦・満天星がそうしたように、劇場の記憶は作品の歴史へ循環し、作品はまた劇場に新たな記憶をもたらすのだろう。

 

 劇場を後にした我々はもと来た道を戻る。墓地をなぞり、川を渡り、さきほどの戯曲世界の死を乗り越えていく。いずれまた地中に月を仰ぐ劇場へと戻ってくる者もいる。繰り返し舞台にかけられた死の、死すべき観客となりたくなって。その欲望にはおそらく幾ばくかの、語り手の責務が混じっている。あるいはその責務の担い手して生きてきた自分の歴史を作品へ流し込もうという、演劇の最終受容者の密かな企てが。

星隆弘

 

 

 

 

 

 

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