田山了一さんのTVドラマ批評『No.083 マジすか学園4』をアップしましたぁ。日本テレビで火曜日深夜0時59分から放送されている女子学園ドラマです。AKB48とその姉妹グループのみなさんが出演されています。田山さんは「なるほど彼女らを知り尽くしたプロデュースだと、さすがに感心する。AKB 48の魅力というか、存在理由が初めてわかった気がした」と書いておられますが、不肖・石川も同感ですねぇ。テレビで放送されている限りは石川のやうなオジサンでもつい見ちゃいまふ(爆)。面白いのでありまふ。

 

田山さんは、「この連中・・・のオカシさは、もちろん外部 = 社会を排除したところから生まれている。・・・彼女たちは普段、社会 = 多くは男たちからの評価を競い合っている、いや競わされている存在として注目されているのではなかったか。・・・ここでの競い合いは絶対的に腕っぷしだけである。そこでは彼女らを相対化する外部の視線は存在せず、誰の顔色も窺うことなく、自らの内的な力にのみ集中している姿がある。しかしそれは存外、彼女たちの楽屋での姿に近似しているのではあるまいか」と批評しておられます。ドラマには楽屋落ち的な台詞も散りばめられていて、AKB系の女の子たちがフィクションを演じるという嘘を露わにしながら視聴者をドラマに引き込もうとする意図が現れています。

 

小説もドラマもフィクション(嘘)です。ネット上はもちろん、単行本やカルチャースクール講座にも小説や脚本(シナリオ)の書き方のノウハウが溢れております。かつてはプロ(専門家)が独占していた知(ノウハウ)が大量に流出しているのですね。余計なことを言えば、売れない作家がなけなしのノウハウを切り売りしてさらに首を絞めているやうなところもありまふ(爆)。でもそれが現代の創作の現場の現状です。

 

情報化社会では、よほどの機密(それはまあめったに外部流出しませんが)でない限り、自分が知っていることは他人も知っていると思った方が良い。ちょっとしたトリビアなど、発言した途端に〝みんなのもの〟になってしまふ。嘘(フィクション)であることを露わにした上で、さらに高次のフィクションを目指すのは一つのトレンドになるでせうね。でもま、地面から足が離れすぎちゃったポスト・モダン小説やドラマは支持を得られない。着地点は意外とオーソドックスなものである必要があるわけですが、その落とし所がむちゅかしひ。

 

 

田山了一 TVドラマ批評 『No.083 マジすか学園4』 ■