マジすか学園4

日本テレビ

火曜 0:59~(放送終了)

 

No.083_TVドラマ批評_01

 

 

 テレビ東京から日テレに系列局を変えての続編である。それができるのも、そもそも局のドラマというよりは AKB 48とその姉妹グループのドラマだ、ということだろう。なるほど彼女らを知り尽くしたプロデュースだと、さすがに感心する。AKB 48の魅力というか、存在理由が初めてわかった気がした。ファンが作るアイドルなのだけれど、これは外部をシャットアウトしたドラマだ。

 

 最大の魅力はもちろん、なんとなくオカシイということだ。女の子たちがここまでリッバなヤンキーそのものになれるのか、そのオカシさをまんま踏襲できるのかという疑念は、画面内のオカシさの前には何ものでもない。実際、女の子たちはこんなふうにオカシな瞬間があるに違いないし、それを引き出すのが企画であり、プロデュースというものだろう。

 

 まず特筆すべきは、その言語感覚である。テッペンである吹奏楽部は通称ラッパッパ、その四天王はバカモノ、おたべといった呼び名で、二年生のグループ火鍋のメンバーはドドブス、ウオノメ、ジセダイなど。一年生最強コンビはカミソリとゾンビで、勝手に火鍋を食ったりする。

 

 馬路須加(マジすか)学園のその他の生徒たちのあだ名もふるっている。マサムネ、カタブツ、ドクリンゴ、ペラペラ、ヒダリー、エリンギ、オジョウ、ウイロウ、メシウマ、ヤンキー、オーバー、レモン、サバサバなど。このとりとめのなさに、なんともリアリティがある。

 

 この連中(あえて女の子とは言わない)のオカシさは、もちろん外部 = 社会を排除したところから生まれている。これは確かに奇妙なことで、彼女たちは普段、社会 = 多くは男たちからの評価を競い合っている、いや競わされている存在として注目されているのではなかったか。

 

 ここでの競い合いは絶対的に腕っぷしだけである。そこでは彼女らを相対化する外部の視線は存在せず、誰の顔色も窺うことなく、自らの内的な力にのみ集中している姿がある。しかしそれは存外、彼女たちの楽屋での姿に近似しているのではあるまいか、と思わせる。

 

 一年生が二年生の火鍋を勝手に食うなど、ここには低レベルの女子校にありがちな年功序列、先輩と後輩の決まりごとといったものが見られない。すべては実力次第。テッペンを狙うさくらは転校生だが、その強さを知るや周囲は尊敬し、誇りにすらする。この潔さは体育会系というよりは、むしろ知性を感じる。ものすごく高レベルの進学校の女生徒たちみたいでもある。

 

 馬路須加学園の敵対校、激尾古高校看護科の生徒たちはナース服で、ヤンキーである。このナース服を登場させたいという趣味には、男のものを感じはする。が、ヤンキー性における性差をここまで無化できるのは、この日本に特有な制服というものの存在が大きいかもしれない。卒業するまでの期間限定で、はっきりとある制度に縛られるということにおいて、人はその内部にいるか外部にいるかであって、男も女もないのだ。

田山了一