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第36「早蕨」そして三角と四角

 

 

 大姫が亡くなり、中姫は父宮を失ったとき以上の悲しみに沈んでいます。年が明けると、阿闍梨からは見舞いに山菜の籠が贈られます。悪筆ながらも一生懸命に考えたらしい歌も添えられ、麗しく言葉数の多い他の人の文より身に沁みて、涙がさそわれます。この阿闍梨はどうやら心底冷たい人というわけではなくて、社交下手なようですね。

 

 悲しみに茫然としたままであるという薫の様子も伝わってきて、大姫への心が深かったことが察せられます。匂宮は通ってくることがますます困難になったために、中姫を京へ迎えようと考えています。

 

 その想いを聞かせる相手といえば匂宮しかいないので、薫は訪ねて行きます。涙もろいところのある匂宮は悲喜こもごもの言葉を受けとめて、話し甲斐のあるように応えられます。

 

 大姫と薫の仲がプラトニックなものに終わったという点についてだけは、匂宮はおそらく自分なら考えられないということから信じようとしないのです。が、他の点では繊細に思いやってくれる匂宮と話して、薫も気が晴れます。

 

 匂宮も、中姫を呼び寄せることについて相談します。大変喜ばしいことである、と薫は言いますが、こんなに早く大姫を失うのなら、自分のものにしておくべき姫だったのに、と惜しくも思うのです。しかしそのような考えは誰のためにもならないので、中姫の引っ越しの準備にあれこれ細かく世話を焼くことに専心するのです。

 

 大姫の喪が明けるのも寂しく、顔も覚えていない母親の代わりに長く服喪したいと中姫は思うのですが、決まりごとには逆らえません。薫からは、季節は春の花に似た衣装などさまざまに贈られ、兄弟ですらここまではできまいと思われます。地道な考え方の老女房たちは、そういう経済的な心遣いを重く受け止めるのです。薫を見知っている若い女房たちは、中姫が匂宮に嫁したら、薫はいかに恋しく思うでしょうと同情します。

 

 中姫が宇治を発とうという日に、薫は訪ねます。大姫のこと、自分の心弱さのためについに妻にできなかったことなどが思い出されて、悲しいのです。しかしめでたい日ですから、薫自身もまた京では近くに越してくること、出過ぎないほどにあれこれ世話を焼くつもりであることを述べます。匂宮の好意に応えないわけにいかず、しかし宇治を離れ難い中姫の悲しげな様子には、大姫が重なります。薫はまたしても残念に思い、しかしあの中姫に接近した夜のことはすっかり忘れたかのように、平静に振る舞っています。尼になった老女房の弁を呼び出して話し込みますが、泊まっていくなどしては、誤解を招くであろうと京に帰ります。

 

 薫が大姫のことをいまだに悲しんでいた様子を、弁は中姫に伝えます。中姫は宇治に残る弁に大姫の形見の品を皆与え、またここへ戻ってくるかもしれぬ、と慰めます。

 

 匂宮自身が迎えに出ることは大仰になるので、微行のかたちをとりましたから、心もとなく思われます。細々としたことは薫がすべて取り計らいます。

 

 急かされて、不安な中で車上の人となった中姫は、もとの大姫付きの古女房たちが浮かれているのが疎ましく、世の中は薄情なものだと、物も言う気になれません。一方で山道の険しさに、匂宮の通いが途絶えがちであったことも無理はなかったと、少しは思われるのでした。

 

 中姫が二条院に到着しますと、善美を尽くした設えに、その愛の深さと立派な夫人としての扱いであることが知られます。夕霧は、この二月にも六の君を匂宮に差し上げようとしていたところ、それに先んじるように予想外の人を迎えて大切にしておられることに不快をおぼえます。それを聞いた匂宮は申し訳なく思い、文だけは差し上げます。

 

 物笑いになるまいと、六の君の裳着の式は予定通りに済ませます。夕霧は、六の君を薫にやろうかと考えます。夕霧と薫は同じ源氏を父とする兄弟なので面白くもない縁なのですが、薫だけは他家の婿とするには惜しく、宇治の姫を失って沈んでいると聞いておられましたので。しかし薫は、世の無常を目の当たりにした自分の身では、およそそんな気になれないと、相手にしません。

 

 二条院の近くに住まいを移した薫は、桜の盛りにお訪ねします。中姫は貴女らしく住み慣れて、匂宮もこちらに入り浸りです。それを嬉しく思うのと、妬ましく奪い返したくなる気持ちがないまぜの薫ですが、やはり心をこめて中姫を庇護して差し上げようというのが本心です。

 

 匂宮が御所へ出られたので、中姫と対面します。中姫は、いまだ物思わしげな薫の様子を気の毒に思われ、近くに住むという薫のところにもし大姫が嫁したのだったら、しばしば行き来もできたろうにと、また思い出されて惜しいのです。宇治での引き籠もっていた暮らしでの方が、まだしも忍びやすかったような悲しみです。

 

 御所に出られようという匂宮がやってきて、薫がこちらに来ているのをみとめると、「そんなによそよそしくせず、もっとそば近くに寄せて話をしなさい」と言うと同時に、「あまり気を許すのもどうか。疑わしい下心があるかも」と矛盾したことを言われます。中姫はどうしたらよいかわかりません。世にも稀な薫の親切には感謝を示したいものですが、匂宮に嫉妬され、とやかく言われるのは苦しく思われます。

 

 以上が「早蕨」の巻です。

 

 最後の、匂宮の中姫への矛盾した言葉は、まさにダブルバインドを示しています。ダブルバインドとは精神分析学などの概念で、親が子供に矛盾したメッセージを送ることを言うのでしたね。たとえば世間体を踏まえて「これをしなさい」と命じながら、それをすると罰を与えるなどする。子供はどうしてよいかわからなくなり、価値観が混乱して不安定な精神状態になります。後ろ盾のない中姫の生殺与奪権を握っている匂宮は、子供に対する親と同様の力を持っているわけです。

 

 そしてこのダブルバインドの言葉は、匂宮自身の迷いを示している。薫に対して感謝し、信頼する気持ちと、中姫を奪われるのではないかという疑心とが共存しているのですね。

 

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 二つに分断された気持ちは、三角形を形作る。そして古典的な精神分析の基礎もまた、両親-子供というエディプス三角形から発生することはよく知られています。

 

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 この葛藤の三角形こそがすなわち現世の執心、浮き世の悩みを発生させる根源的な「形」=パターンである、と言えるでしょう。小説における登場人物の関係性の基本が三角関係にある、というテクニックもまた、ここからもたらされる。

 

 男と女が一対一で向き合えば、めでたしめでたしで物語は完結してしまう。そこから第三者が介入することで関係が不安定化し、物語が立ち上がってくる、というのは前に述べました。その構造を空間的、世界構築的に再度図示すると以下のようになります。

 

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 つまり完結した線分の一次元から、別の次元(二次元)へと文字通り「立ち上がる」わけです。そうして物語の空間が、ここでは平面として展開する。

 

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 平面は3つの点によって規定される、というのは中学校の数学でやったと思います。すなわち、3つの点で平面が1つ決まるわけです。平面図形である三角形をそのまま広げた平面がそれということです。もう1つ点が加わると、別の平面ができてしまう可能性が高くなります。一平面上の4つの点、すなわち四角形というのは、ちょっと位置がずれると2つの三角形、2つの平面の交わりとなる。

 

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 これは四人の男女がいた場合、それが同じ平面上に素直に存在すれば、完結した男女関係が二組ある、というだけの状態にあるが、ちょっと位置がずれると不安定化する、ということです。つまり三角関係が2つできることにもなる。

 

 テレビドラマや小説などで、男二人に女二人が主要な登場人物である、 といった場合を見ると、2つの三角関係に持ち込むことで物語を複雑化し、三角関係の持つ緊張感を二重化してキープしようとするものが多いと思います。テクニック的には、その方が正解というか、いわゆる上手い作品ということになるでしょう。

 

 一方で、別の異性を眼中に入れず、ただ2つ(あるいは3つでも4つでも)の男女関係を平行して描くものもあります。これはこのままですと、まとまり難い。構造的に中心を措定しづらくなるからです。

 

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 これをまとめようとすると、これらの男女関係を俯瞰する、かなり抽象的な高い視点が必要となってきます。いわば神の視点、というべきものでしょうか。これは特に日本の小説の場合、なんとなく「上手い小説」には収まりづらい。内面の肥大化を特徴とする私小説が日本の純文学の基本ですので、観念的な中心を抱えた小説というのは、日本文学の評価軸から外れやすいのですね。しかし魅力や可能性がないわけではない。漱石が遺作『明暗』でやろうとしたことなどは、まさしくそれだと思います。

 

 4人以上の男女を複数の三角関係に切り分けず、つまり三角関係のドラマに物語をゆだねることなく、四人ならば四角関係のままに並行的に描こうとすると、また高位の別の次元が必要になる。

 

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 宇治十帖は最初、大姫と中姫、薫と匂宮という四人の男女がまさにそれぞれの相手と並行的な関係を結んでいますね。このときも「神の視点」、高い観念性が必要だったわけで、それは八の宮に象徴される仏教の観念、仏の視点であった、と言えるでしょう。そこから見下ろすかたちで彼らが各々の恋の道を歩んだ。

 

 大姫が失われたことで、関係図は単純な三角関係に変わります。小説というのは現世を描くものですから、結局のところ、抽象的な観念性だけでまとめ上げることは困難です。薫は高い観念性を抱えた、いわば特殊な登場人物ですが、その彼をして「中姫はもともと自分に許された姫であったのに」といった俗な嫉妬心を抱かせることは、小説としては必須の要請なのです。悟り済ました哲学者では物語のヒーローは務まりません。

 

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 そしてこれは、薫の性格設定の矛盾ではありません。世の中には、最初と最後で登場人物の性格が異なり、その理由が説明できない、いわゆる下手くそな小説も多くあると思いますが、それらと一線を画しているかどうか、決め手になるのはその変化によって何を表現しようとしているのかという、すなわちテーマ以外にはありません。

 

 そもそも人間は矛盾した存在ですから、行動パターンが変化したり、性格が変わったようにみえたりすることそのものは妙ではないのです。私たちがそれに難癖をつけたくなるのは現実にあり得ないからではなく、それが文学作品であること、つまり登場人物の性格の一貫性ではなく、作者の思想の一貫性を求めているからに過ぎません。それが小説の都合、単なるご都合主義からであれば、説得力はない。

 

 この講義の最初の方で、源氏が恋におぼれ、すぐ亡くなってしまった夕顔の性格について、ひどく従順でものに怯えやすいのにもかかわらず、光源氏に挑むように声をかけたり彼の容姿をからかったりする、という点を論じました。源氏物語の権威が、「紫式部が夕顔の性格設定を間違えた」としていることは馬鹿馬鹿しい、問題外である、としたことは述べた通りです。

 

 現実に女とはそういうものだ、ということとは別に、紫式部が夕顔という女性の本質をどこにおいているか、何を表現したかったかを理解できさえすれば、矛盾でもなんでもないわけです。それは子供のような無邪気さ、というものでした。子供を産んでも、なおそのように無邪気で柔弱そのもので、社会的には無力である女性がすなわち夕顔であります。それは濁りのない無邪気さからしか生じ得ない女性性の象徴であって、源氏との性的な合性のよさという表現はあっても、本来的には抽象的な魅力です。ですから、もしかして女性経験の少ない男性などには、さまざまな女たちの記憶から抽出して納得することが難しいかもしれません。

 

 ここでの薫のぶれ方、すなわち悟りすまして、大姫とのプラトニックラブに殉ずるような性格に対し、やっぱ中姫を取り戻したかったという俗な欲望を抱くことについては、矛盾だのミスだのと言われることはあまりないようですが。まあ、それについては男の人たちも我が身を省みれば、そういうことはあるよね、と納得できるということでしょうか。源氏物語の権威とか、婦人科の医者とかもたいてい男なんだから、えっ、と女性たちが首を傾げるような言説が世間でまかり通るわけです。

 

 嫌味はおくとして、ここでは大姫が亡くなったことで、物語構造は単純な三角関係に還元されました。ただもちろん、紫式部は並みの作家ではありませんから、この新たな三角関係についても結果論的に生じた印象を与えません。それは最初から、大姫と中姫が姉妹であったことです。

 

 最初はと言えば、薫はもとより恋愛に身を焦がすような存在ではない、という設定があったはずです。仏道を求めて八の宮邸に出入りするようになり、そこで出会ったのが同じく仏道に邁進することを願っている大姫でした。この段階ですでに、薫のアイドルは仏様から大姫へと、形而下的に下がっている。

 

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 そして大姫を失い、薫の志向はさらに現世的な中姫という存在に下がったのですね。現世的ではあるが、大姫の妹である中姫は、大姫亡き後、大姫を彷彿とさせる存在である、と書かれています。「二人並んでいるときには似ていると思わなかったけれど、その人亡き後、まるでその人であるかのように見間違えそうになる」と。この辺のところ、日常的にもそういうことはありますね。いつも接して距離が近いと互いの差異が目に付くけれど、一方が亡くなるなどして距離ができると、子や弟妹などがそっくりに見えるという。上手いですね。

 

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 仏→大姫→中姫と、「下がった」と言っても、そこには存在の必然とでもいった説得力があります。悟りすました認識の中に生きていても、所詮は男、というより現世の存在である、という必然的な縛りがある。存在の哀しみ、と言えば美しい。そして小説というものは畢竟、この存在の哀しみを描くものだ、と定義できます。俗に言うところの源氏物語のテーマが「あはれ」であるとは、それ自体は何の説明にもなっていないけれど、小説とは何かという定義そのものを示唆するテーマを抱えている、と解釈できる。

 

 「下がった」と言えば、堕落ととられかねないけれど、堕落なら堕落で構わない、ということです。小説というものは観念から存在への堕落を描くものだ、というのはジャンルの掟であり、たかだか一登場人物の志などでそれが覆されるものではない。

 

 堕落の果てにも仏はいる。小説というのは、高い観念としての仏教ではなく、そこからの堕落の果ての仏を見いだすものだ、とも言えます。

 

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 ジャンルの掟としては、これは絶対です。もしそうでないなら小説というジャンルの存在理由がない。宗教的なテキストや、その観念を美的に凝らせた詩があればよいはずです。

 

 しかし、それならばなぜ作家はときに、四角関係の小説を書くのでしょう。存在の縛りこそが小説の必然であり、観念と過剰な認識は小説を青臭く下手くそなものにすると知りつつ、作家は決してそれを完全に捨て去ることをしません。読者もまた、青臭く下手くそな小説だと評しつつ、まさにそれゆえに非常な魅力を感じる瞬間がある。

 

 夏目漱石は日本近代文学の父と呼ばれ、その名を知らない人はいません。けれども私たちが高校の教科書などで「心」を読まされたり、大学に入って一念発起で全集に挑戦したりしても、あまりぴんとこない、ということが多いと思います。「なんか、下手くそな現代小説みたい」と感じるわけです。これだと文芸誌の新人賞とかに応募しても、一次選考通過ぐらいじゃないのかなあ、とかね。

 

 その直観は、半分正しい。ただ、漱石が現代小説をなぞっている、しかも下手くそに、というのは時代的にも明らかに逆なのであって、現代小説の方が漱石をなぞっているのです、もちろん。現代作家がスピーディで緻密な構成のエンタテイメントで読者を魅了したり、文芸誌が新人賞という文学システムを維持したりできるのは、そもそも漱石が明治期に苦悩を重ね、明治38~39年頃になってようやく日本近代文学を完成の方向へと導いたおかげである、と言えます。

 

 明治38年とはっきり規定できるのは、その年に「吾輩は猫である」がホトトギス誌に掲載されたからです。苦悩のあげくに生み出された処女作にしては、冗談みたいですね。本人としても、これが文学探究の結論というつもりはなくて、行き詰まっての息抜きというか、見切り発車の小説作品だったようです。そして結果的に大ヒットした。ヒットしたから重要なのではなくて、当時だって他にベストセラー作品はあり、今となってはその多くを誰も振り返ることはありません。

 

 もし仮に漱石が『吾輩は猫である』一作の作家に終わっていたとしても、その意義や重要性は現代に至るまでに見落とされることなく評価され、彼が近代文学の礎となる大筋に変わりはなかったと考えます。しかし、その後の漱石のさまざまな試みは、そこへ至った、あるいはそれ以降の彼の思考と文学的思想を明らかにし、日本の近現代文学の構造を分析するのに欠かせないものとなっています。

 

 漱石の苦悩の始まりは、イギリス留学にありました。漱石の興味は本来、漢文学にあり、漢詩をよくしたのですが、当時のエリートとしてヨーロッパ文化を相対化し、日本文化をそれに対抗させる使命を強く感じざるを得なかった。漱石が神経衰弱を患ったのは、日本文化の土壌がヨーロッパの構築的な文化を消化吸収し、それ自体を構築的なものとする困難に深く悩んだためと思われます。

 

 もちろん、そこに彼の生い立ちを重ねる「文学的」な伝記もよく読まれてはいます。主人公-兄-兄嫁という三角関係を繰り返し描いたことで、漱石のプライベートな事情を漱石文学そのものとする有名な評論もあり、しかしながら、それは文学的思想の私たちへの継承という意味では不毛な読解です。漱石が完成させようとしたのは、あくまで登場人物の三角関係という構造によって普遍的に文学空間を発生させる装置であったと思います。

 

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 先に述べた『明暗』は、多くの登場人物と彼らの関係性を俯瞰的に描こうとした「多角形小説」です。三角関係から生じる緊張感によって、リアリティある存在たちの葛藤構造を構築するという自らが完成させた方法論を離れ、観念的な神の視点で世界を統御する作品に挑戦しようとした。(それこそが漱石が、プライベートを下敷きとする単なる私小説作家でなかったことの証です。)

 

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 それはキリスト教という強力な一神教を文化基盤に持つヨーロッパならともかく、日本文学で試みるにはあまりにも難しい、無謀な試みであった。それでも漱石には勝算があった。少なくとも亡くなるときまでは、それが見えていたのだと思われます。

 

 『明暗』を未完のままに世を去るとき、漱石は「死ぬのは困る」と言ったと伝えられています。生に執着するかのごときその言葉を漱石先生の不名誉と見る向きもありますが、私にはそれは非常に美しく聞こえます。

 

 結果論に響くかもしれませんが、『明暗』が未完に終わったのは、やはり必然というか、自然の摂理のようにも思えます。神への挑戦であったようにも。未完や失敗作が、それゆえにこそ素晴らしい、という偉大な作品もあるのです。

 

 漱石には『吾輩は猫である』があります。上位の「神」ではなく、下位の「猫」の視点で描けば、日本文学においては幸せな傑作が生まれることを漱石は最初からわかっていたはずです。

 

 デビューから亡くなるまで、たったの十一年で駆け抜けるように近代文学の礎を築いた漱石には、これといって源氏物語に言及したテキストの記憶はありません。近代国家における西欧的構築性を性急に獲得しようとしていた彼には、女性的で日本的、つまりは後ろを振り返るような文学に拘る時間がなかったのかもしれません。ただ、もし彼がもっと長生きしていたら、近世以前にすでに構築的であり、なおかつ日本文化のエッセンスそのものであった源氏物語について考察し、あるいはすでに考察されていたものを公にしていたように思います。本来、大陸からの外来文学としては漢文学・漢詩に通じ、それを国風にアレンジすることに長けていたという点では、なにしろ紫式部と同類なのですから(笑)。

 

 源氏物語への言及はなかったにせよ、夏目漱石は徹底して文学を分析的に研究し、「明治40年までの作家はことごとく消える」と予言し、その通りになりました。文学潮流の台頭、興隆、衰退期をあたかも景気判断のように読んでいたのですね。さすがは商人の息子…。で、そのチャートを現代に当てはめると、今後の文学の興隆にはまだしばらく後5~10年ほどかかるようです。今現在は台頭期ですから、きっと文学金魚の台頭が文学史の教科書に載るのでしょう。

 

 日本近代文学の礎を打ち立てた明治期の三人、夏目漱石、森鷗外、正岡子規のうち、短歌・俳句の子規は当然として、森鷗外の思想もまた源氏物語と直接的に深く関わると考えます。それについてはあらためて、最終巻までに触れる機会が見つけられるはずです。

(第36回・了)

小原眞紀子