日本が誇る世界的特殊作家、三浦俊彦さんの連載小説『偏態パズル』(第61回)をアップしましたぁ。毎月16日と29日には〝ヤツ〟の連載が掲載されるのでありまふ(爆)。今回もお尻嗅ぎ事件の続報といふか、分析であります。前回までは女性のお尻嗅ぎ魔のお話でしたが、今回は男性のお尻の匂ひを嗅ぐ事件が発生します。裏表ですな。

 

で、三浦センセは犯人の心理を「小便以前のペニスごときを対象とした低レベルの密着型青年的羞恥は、佐古にとって、逆説的に許せない現象だったと考えられる。商業捕鯨やニホンザル捕獲殺処分に反対する動物愛護運動家が、蚊やゴキブリを殺してはならないと唱える汎生命連帯のカルト宗教に対して憤りを覚える心理や、大便を常食としている印南型おろち人間がマイナーアイドルをカタツムリの卵やサソリの唐揚げの前でキャーキャー騒がせゲテモノ食的に過大に映すテレビ番組に苛立つ生理と同様であろう」と書いておられます(爆)。

 

三浦センセは『偏態パズル』の内容から言っても、ちょーミーイズム的なお方の雰囲気があります。ところがそうぢゃないんだなぁ。センセは論理学者として論理的に極めて公平であります。不公平であることは彼の快楽原理に反するようです。『偏態パズル』はセンセのおろち学と論理学が固くタッグを組んだ快楽小説ですが、論理的に公平であろうとするからバランスが取れた作品になる。それは彼の高い社会性を保証するものでもありまふ。

 

1980年代くらいからかな、文学の世界にミーイズムがおっそろしい勢いで蔓延してゆきました。他人が自分のために何かしてくれるのは当たり前、だけど自分が他人のために何かするのは、なんでそんなことやらなきゃならないの?といふ感じの文学者が増えたのですな。ボブ・ディラン先生ですら、〝May you always do for others, and let others do for you〟と歌っているのにぃ。

 

それは現在も続いております。つーかネット時代になって、さらにそういった心性は激しくなっていると思います。ネット世界のwin-winって要はぬるい誉め合いだなぁ。だけんどぬるいwin-winルールすら守れず、ごっちゃん主義で平然としている作家も大勢います。いつまでも続くと思ふな他者の無償の好意、であります(爆)。

 

ミーイズム的なトレンドが一概に悪いとは石川は思いません。それは世の中全体の流れであり、文学者の心性は世間から一歩先に肥大化しているだけだと思います。でも中途半端なんだな。もしかすると三浦センセのように、ちょーミーイズムに徹すれば公平で公正な思考者・作家になれるのかもしれません。本当は自分に自信がなく、世間様、他者が怖いから中途半端なミーイストになってしまふのでありますぅ。

 

 

三浦俊彦 連載小説 『偏態パズル』(第61回) pdf版 ■

 

三浦俊彦 連載小説 『偏態パズル』(第61回) テキスト版 ■