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『写狂老人日記 嘘』(平成二十六年[二〇一四年])より

 

 

 アラーキーについて何か書いてくれと言われた。

 無理だ、と僕は思った。

 僕はアラーキーについて何も知らない。

 写真を撮るおじさん、というぐらいの認識しかないし、それだって間違っているかもしれない。

 そんな人間がアラーキーについて何か書くなんて無茶だ。

 あるいは。

 カンチェラーラについてなら少しは書けるかもしれない。

 ファビアン・カンチェラーラはスイス人の、とても自転車を速く漕ぐ人の名前だ。

 ツール・ド・フランスという大きなロードレースでは何度もステージ優勝を成し遂げたという、すごい人だ。

 あまりにも速すぎて、自転車に電動モーターを仕組んでいるのではないかと本気で疑われた人でもある。

 僕は実際にカンチェラーラと会ったことはないけれど、彼のことであれば少しは書くことができるかもしれない。

 

 

 ――あくまでも可能性の問題だ。

 そんなことを考えながら、僕は下北沢の駅前をぼんやりと歩いていた。

 しばらく行くと、門があった。

 ひとりの門番がその脇に立っていた。

 こんなところに門なんてあったかなと訝しげに思いながらも僕がそこをくぐろうとすると「待て」と声が掛けられた。

 「今は入っていいとは言えない」と門番が言うのだ。

 「ではいつならばいいんだ?」

 「わからない。だが今は駄目だ」と、門番は頑(かたく)なに言い張る。

 門の向こう側には幾人かの人影が見えた。

 なるほど、確かに自分とはどことなく雰囲気が違う人たちのようだ。具体的にどこが、と訊かれると困ってしまうが。

 「彼らはいったいどういう人たちなんだろうか」

 「あれは」

 あれは「アラーキーを知っている者たち」だ、と門番は言う。

 ――そんな。

 それでは僕はここを一生通れないままなのだろうか。

 「カンチェラーラでは駄目なのか」

 「駄目だ。アラーキーでなければいけない。ここはそういう門だ。お前もアラーキーを知るまでは向こうへは行くことはできない。そしておそらくお前にはそれを知る機会はこの先訪れないだろう。お前は一生ここを通過できない。つまり、この門はお前のためにあるのだ。お前のための門であり、お前のために私がいるのだ」

 僕にとっての絶望が、そこには存在した。

 仕方のないことではあった。

 けれど引き返すわけにもいかない。すでに僕は門までたどり着いてしまっているのだ。カンチェラーラがアラーキーに変わる時を、僕は静かに待つことにした。

 

 

 ふと振り返ってみる。

 そこにあったはずの下北沢の街並みはいつしかまったく別のものになっていた。

 スイスの匂いがした。

おわり

 

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 この文章は

『道理の前で』(フランツ・カフカ 訳・大久保ゆう 青空文庫)

を参考にさせていただきました。

 この場を借りて、掲載者様、翻訳者様にお礼申し上げます。

 

小松剛生

 

 

 

 

 

 

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