大野露井さんの第1回 辻原登奨励小説賞受賞作『故郷-エル・ポアル-』(第03回)をアップしましたぁ。『エル・ポアル-』は大野さんの自伝的小説で、このような作品は日本文学においては私小説として分類されるのが普通です。しかしこの作品、作家の体験に基づいてはいますが、従来の日本文学における私小説ではないと思います。
私小説では作家の自我意識が、ちょっと極端なほど肥大化しているのが普通です。もの凄く繊細に肥大化した自我意識が、他者の言動によって激しく揺れ動くわけです。ただ作家が自己の自我意識を詳細に記述すればするほど〝決定的〟な観念(思想)は失われてゆく。ショッキングな出来事でも言葉にしてしまえば平凡なものに思われてくる。逆に些細な出来事が言葉にすると意味ありげに思えてくるといふこともあります。そのようにして作家は自己の揺れ動く自我意識(内面)を相対化してゆく。作品内で起こる出来事はすべて自己に関係しているはずなのに、なにか人事のように家族や自分の秘密や恥まで書いてゆけるやうになるわけです。
『エル・ポアル』には私小説では定番の自我意識の肥大化が見られません。むしろ自我意識は世界(外部)に対して縮退しているやうな感じです。それは眺める自我意識です。縮退し、その意味で空虚になった自我意識に、世界が流れ込んでくるような記述が『エル・ポアル』の最も大きな特徴ではなひかと思います。
日本の私小説は、作品においてはもちろん、歴史的に言っても〝外部〟を閉ざすことで成立した文学です。近・現代小説は明治維新以降に怒濤のように流入した欧米文学を受容することで生まれましたが、その流れを表面的にはいったん断ち切って、欧米文学に基づく、しかし日本文学独自の基層を模索した結果、私小説が生まれたのだと言ってよい。
しかしそれももうずいぶん過去の話になりました。方法的に確立されているので、今でも日本文学において私小説を書くことは可能です。ですが〝外部〟を閉ざすのはじょじょに難しくなってゆくでしょうね。大野さんの『エル・ポアル-』は、開かれた自我意識が捉える新しい形の私小説の姿を示唆しているのかもしれません。
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■ 大野露井 連載小説『故郷-エル・ポアル-』(第03回) テキスト版 ■