露津まりいさんの新連載サスペンス小説『香獣』(第04回)をアップしましたぁ。連載小説の掲載日はちょっとホッとしますですぅ。文学の世界を動かしているのは間違いなく作品です。でもそれだけでは不十分で、文学作品に関する批評や、文学が今現在置かれている状況についての議論も必要です。極論すれば、作品は書物になってから読めばいいわけです。ですから定期刊行の文学メディアでは、批評や状況論がかなり重要なウェイトを占めます。読者が毎日、あるいは毎月文学メディアを読むのは、今現在の文学状況を把握したいという欲望があるからでもあります。
この作品批評や状況論を、わたしたちは〝文学ジャーナリズム〟と総称しているわけですが、これはけっこう厄介な代物です。言うまでもなく、文学ジャーナリズムには政治・経済ジャーナリズムのような時事性は不要です。文学(作品)に対する真摯な批評が為されるのが基本であり、その上で状況的問題が議論されなければならない。でもそのバランスを取るのが意外と難しい。特に詩の世界のジャーナリズムは非常に難しいのです。
反発を覚えられる方も多いと思いますが、たいていの詩人は暇でぬるい。作品集を出すのは数年に一度です。(○年×365日)÷作品数で計算すれば、何日に一篇作品を書いているのかわかります。もちろん不肖・石川は、日常言語を使って非日常的世界を表現しようとする詩人たちの苦しみを理解しています。作品数が少なくなるのも道理だと思います。ただ問題は詩人が作品を書いていない期間です。たいていの詩人はボーッとしています。
石川には詩壇ジャーナリズムは、詩人たちの無為を埋めるためのシステムのような気がしてしょうがない。詩人たちは詩壇ジャーナリズムが仕掛けた〝企画〟にホイホイ乗る。いつのまにかジャーナル仕事(日々の状況論)を詩の仕事だと勘違いしています。それが他力本願的な詩人たちを作り出しています。しかも原稿はほぼノーチェックで掲載されるので、プライドばかり高くなる。どこでも通用する原稿を書いているのだと思い込んでしまうんですね。でもそれは、せいぜい新聞や小説文芸誌がおざなりに設置している詩壇時評止まりです。特殊なジャンルの内輪話だと思われているので何を書いても大目に見られます。しかし新聞・小説文芸誌のメイン原稿はそうはいかない。
石川は小説文芸誌でのダメ出しの厳しさに堪えられる詩人は、ほとんどいないと思います。たいていの詩人は、いかに常日頃わけのわからない文章を書いているのか、プライドがズタズタになるまでダメ出しを食らうと思います。でもそのようなレベルでいいと信じ込んでいる集団がいわゆる詩壇なのです。詩はピュアな印象ですが、実際には夾雑物がとてつもなく多い。むしろ小説文壇の方がスッキリしていると思います。作家は自分で小説の企画を立て、黙々と作品を書いてゆきます。詩人たちのように寄り集まっては業界噂話に時間を費やしているヒマはない。文学の仕事はもらうものではなく、自分で作り出すものです。
これだけ情報化社会になっているにも関わらず、小説家も詩人もお互いの世界をあまり把握していません。でも自分たちが置かれた現状を把握しなければ、なんらかの形で現状を変えようとする状況論すら書けません。文学金魚は総合文学を謳っていますが、文学界をジャンル別にではなく総合的に捉えれば、各ジャンルの長所・短所がよく見えてくるからでもあります。それによって文学作品と批評との正しい関係、つまり良好に機能する文学ジャーナリズムを作り上げたいと考えているのであります。
ほんで今回の『香獣』では、主人公・芙蓉子さんが、今度は大銀行頭取の次男が起こした痴話喧嘩を探るために女子大生の板野深雪を尾行しています。露津さんらしひ伏線の張り方ですね。露津さんの作品では、蜘蛛の糸のように伏線が張られ、それが絡み合いながら一つの結末へと雪崩れ込んでいく。結末まで登場人物たちの関係性が宙吊りにされる、王道的なサスペンス小説の書き方だと思いますぅ。
■ 露津まりい 新連載サスペンス小説『香獣』(第04回) pdf 版 ■
■ 露津まりい 新連載サスペンス小説『香獣』(第04回) テキスト版 ■