金井純さんのBOOKレビュー『絵のある本のはなし』『No.020 イタリアの のぞきめがね エリナー・ファージョン著』をアップしましたぁ。文学金魚ではファージョンさんの評価が高いですねぇ。確かに独特の読後感を残す作家です。童話は簡単なようで、非常にハードルが高いジャンルです。教訓譚になってしまふと、とたんに作品の魅力が薄れます。大人が抱く子供時代へのノスタルジーでもいけない。子供向けの絵本として売れている本はありますが、大人も十分読めて文学として評価できる作品はとても少ない。もしかすると日本では宮沢賢治くらいかもしれないなぁ。
金井さんは『ファージョン作品の主人公は〝お話〟なのである。このお話は誰もがよく知っている物語であることもあるし、ファージョンの中で熟成されるまで「お話(はなし)になるのを待(ま)って」いるものもある。・・・起承転結のあるまとまった物語に昇華されることを意味しない。お話の熟成とは、ファージョンがそれを語り始めてもよいと判断した時期のことである。ファージョンのお話は子供たちに語りかける〝声〟である。一回きりのお話だとも言えるし、話すたびに無限に形を変えてゆくお話だと言うこともできる』と書いておられます。
金井さんはまた、ファージョン作品では『近代以降の小説ではほぼ厳密に守られている話者視点(誰が語るのか)が・・・揺れている』と批評されていますが、このあたりにも彼女の作品の魅力があるのでしょうね。ファージョン作品には、近代以前の声の物語の要素が色濃く流れているような感じなのです。もちろん20世紀の作家なのですが、このような資質を文学作品としてまとめた作家はとても少ないのではなひでせうか。
ほんで金井さんが引用されている『リンダリーさんとリンダリーおくさんのおはなし』は傑作ですな。リンダリー奥さんの、『あっちへ おいで! あっちへ おいで! わたしは おりて いかぁれない! うちにぃ ようが ありますよぅ!』という声は、鳥の鳴き声の擬音なんでせうね。ここから物語が、お話が始まる。無意味なようで、聞き手に無限の意味を掻き立てるようなお話です。民俗学的ともいえるバックグラウンドを持っているから、ファージョンのお話はそのような読後感を与えることができるんでしょうね。
■ 金井純 BOOKレビュー『絵のある本のはなし』『No.020 イタリアの のぞきめがね エリナー・ファージョン著』 ■