長岡しおりさんの文芸誌時評『No.013 新潮 2014年7月号』をアップしましたぁ。ドナルド・キーンさんの連載『石川啄木』の第2回を取り上げておられます。長岡さんは『第一回で、甘やかされて放蕩者となった啄木を知ったが、その啄木の内面は、二つに分かれている。存外な客観性と極端なロマンチシズム、と言ったらいいだろうか。それは例えば、与謝野鉄幹と晶子夫妻に対する対照的な態度に現れている。鉄幹は啄木に親切であったが、啄木は彼に対し、ほとんど何ら感情を動かされない。晶子に対しては姉のごとく慕い、最大限の賛辞を贈っている』と書いておられます。
与謝野鉄幹は現在では、一部の研究者や愛好家を除いてはあまり読まれなくなってしまひました。しかし初期の鉄幹は面白いですよ。彼は一種のチンドン屋なのでありまふ。短歌、俳句、新体詩(自由詩)、小説を手がけ、おまけに政治的壮士でもありました。処女作品集『東西南北』を読めば、彼が可能性の宝庫だったことがわかります。だから詩歌誌『明星』に啄木を始め、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇らの当時の若手新鋭詩人が集ったのです。しかし鉄幹文学は可能性の萌芽で終わってしまった。白秋らの『明星』脱退事件が起こったのは若手詩人らが鉄幹を見切ったからです。ただ『明星』の作品面での主宰者・晶子は別格だった。鉄幹文学が次第に外向的自我意識文学(壮士的自己主張文学)に傾いていったのに対して、晶子の文学は基本的に内向的自我意識文学だったのでありまふ。
もんのすごく単純で乱暴な議論になりますが、なぜ維新以降の近現代において、あるいは『新古今和歌集』以降の短歌(和歌)の歴史において、ほとんど啄木の一人勝ち状況が生じているのかは、真剣に考察してもいい問題だと思います。長岡さんは『短歌形式が啄木に与えたものは、抒情に溺れてゆく自己の客体化だと思える』と批評しておられます。啄木は自由詩の詩人としてデビューし、小説家として立とうと志した作家です。実も蓋もない言い方をすれば、どれもこれも上手くいかず、おまけに病魔におかされる状況の中で、短歌が彼の表現欲求を救い出した。啄木も子規も中城ふみこも寺山修司も病身。もちろん作家は健康体で執筆活動に励んだ方がいいわけですが、短歌・俳句といった短詩型が、人間の絶唱を救い出す装置として働きやすいのは確かなようです。
■ 長岡しおり 文芸誌時評 『No.013 新潮 2014年7月号』 ■