水野翼さんの文芸誌時評『No.013 S-Fマガジン 2014年08月号』をアップしましたぁ。特集はアニメ『PHYCO-PASS サイコパス』です。テレビで放送中ですが、今年の冬に劇場版が公開されるやうです。監督は『踊る大捜査線』の本木克行さんです。水野さんは『全体が組織のロジックやヒエラルキーに支配されているということでは、警察ものが構造的に SF 的なのだ、と知らされることは、意外だった』と書いておられます。
確かにSFと警察モノ、相性がいいかもしれません。初期にはそういった作品もありましたが、SFはもはやバラ色の未来を描くためのジャンルではありません。現代に生きる作家が、現代的問題をストレートに問うために近未来という舞台が設定される。近未来は現代と同じように組織や法によってがんじがらめに縛られています。ただそこでの組織や法は、現代社会とは決定的に異なります。なぜそうなのかを知っているのは作者だけで、それゆえたいていの場合、作者の分身である主人公がその謎解きに挑む。組織と法の縛りの厳しさ、謎解きという面で、SFと警察モノは共通していますね。
ハイテクとローテクが入り混じらないと、スリリングな作品にはならないといふ点も共通しているかもしれません。F・K・ディック原作の映画『ブレードランナー』では、昔ながらの中華街にハイテク機材が並んでいたりする。またK・ディックは〝人間とは何か?〟を問い続けた作家です。『ブレードランナー』に登場するレプリカントと呼ばれるアンドロイドは人間とほとんど変わらない。技術がいかに進んでも、人間は何によって人間足り得るのか、そのアイデンティティを問うことがK・ディックの文学的主題だったわけです。
なおニュースで流れたように、現在放送中のテレビ版『PHYCO-PASS サイコパス』の一話分が放送中止になってしまひました。佐世保で起きた事件と内容が似ていたのが理由だとか。水野さんは『犯罪者気質が数値化され・・・隔離される社会というのが、今の我々のどんな状態に警鐘を鳴らしているのか・・・よくわからない。ただ、その構造の類似によって、様々にスピンアウトが可能な発展性がある、という意味では・・・現実のメタファーなのだ、と言えないこともないだろう』と書いておられますが、今回は現実の衝撃がフィクションを吹き飛ばしてしまったやうです。
■ 水野翼 文芸誌時評『No.013 S-Fマガジン 2014年08月号』 ■