池田浩さんの文芸誌時評『No.014 小説すばる 2014年07月号』をアップしましたぁ。ワールドカップに合わせてわざわざ『僕たちは、野球が大好きだ。』といふ特集を組んでおられます。今のところ野球を題材とした小説(及びドラマ、映画)しかヒット作がなひからですかね。池田さんが『野球の面白いところは、本来は姿を見せるべきでない言葉が現れてしまうだけの時間があるところだろう。ゲームの最中、ベンチで、あるいはホームベースの後ろで、・・・おしゃべりするだけの時間があること。それこそが野球の特異な点だ』と書いておられるやうに、野球は心理描写を基本とする小説と相性が良いところがあります。
わたしたちがスポーツの言葉を楽しむ方法は、大きく二通りあると思います。一つはナマの肉体言語です。池田さんが『そこにあるのは肉体の言語という一種の外国語であってほしい』といった願望です。わたしたちが長嶋茂雄さんらの言葉を喜ぶのは、そこにスポーツマンならではの、肉体のフィルターを通した言葉の歪みがあるからです。もう一つは社会的アナロジーとしての言葉です。池田さんが『野球の言語は・・・「野性のカン」によって拒否し続けない限り、社会的な色を帯びる』と書いておられる通りです。ほとんどの野球小説は少年少女成長小説(ビルドゥングスロマン)や人生の悲哀モノで、野球に興味のない人にも当てはまるやうな人生の機微が描かれています。
んで不肖・石川はミーハーですから、W杯期間中は野球には目もくれずサッカーを見ていたのでありまふ(爆)。延長の多い、実に厳しい大会でしたね。またオランダに前回チャンピオンのスペインが5対1で破れ、ドイツにブラジルが7対1で負けたのが今回の大会を象徴していたと思います。4年前とは何かが決定的に変わってしまっていた。サッカーは11人が連動して動くスポーツですから、野球より変化がはっきりした形になって現れるスポーツだなぁと思いましたです。
決勝はドイツ対アルゼンチンでしたが、組織力のドイツと、とりあえずメッシ、やっぱりメッシ、最後までメッシだぞぉ~のアルゼンチンの戦いに見えました。ドイツの戦い方はある意味現代社会を反映しているんでしょうね。でも正直言えば不肖・石川は、〝ドイツ、つぉいけどちゅまんない〟と思いながら見ていたのでありまふ。さしずめメッシのアルゼンチンは、ちょっと時代遅れになりつつある個人主義的文学ってところでせうか(爆)。でもアルゼンチンが勝っていれば、個人主義に組織が負けたことになっていたわけです。スポーツを言葉で捉えようとする試みは、いつも結果を後追いしているだけなのかもしれまへん。
■ 池田浩 文芸誌時評『No.014 小説すばる 2014年07月号』 ■