田山了一さんのTVバラエティ批評『No.043 歴史秘話ヒストリア』をアップしましたぁ。TV批評をダダッとアップでごぢゃる。TV批評は生ものといふ側面もあるので、早めにアップしたいひのですが、遅れ遅れになりがちなのよねぇ。田山さん、山際さん、すいません。今回田山さんは、NHKさんの教養バラエティ番組『歴史秘話ヒストリア』を取り上げておられます。
田山さんは、『古い時代になればなるほど、「秘話」は解釈を混じえたフィクションに過ぎなくなる。どんな魅力的な解釈であれ、今まで「秘話」であった以上、証拠が乏しいだろうから、あとは魅力の度合いを競うことになる。「秘話」でないものはオフィシャルな歴史、「正史」ということになろうか。これは後の政権の都合で書かれているもので、間違いや捏造も多いと言われている。結局のところ立場の数だけ、また想像力の許すかぎりの歴史があるというわけだ』と書いておられます。まったくそのとおりですね。ただ近代になれば資料が豊富になるので秘話を〝発掘〟しやすくなります。その例として田山さんは富岡製糸工場を取り上げておられます。
製糸工場と言ふと細井和喜蔵著の『女工哀史』のイメージが強いですが、『それは富岡製糸場を真似た民間の工場の話だそうだ。富岡製糸場は極めて近代的、一日の労働時間は 8 時間以下で日曜は休み、女工たちは士族の娘たちでキャリアウーマンの先駆けだった』そうです。田山さんはまた、『糸を継ぐ繊細な動きを映像で見れば、なぜ若い女性たちを募ったのかが納得できる。それは貧しい女の子を騙して搾取するシステムではなく、明治政府が彼女たちの細い指先に賭けた大投資だった』とも書いておられます。これらは当時の女工の日記から再現した富岡製糸工場の実体であります。富岡製糸工場は官立ですから、女工はその職種の中ではエリートで、またそれにふさわしい待遇だったやうです。
どの国のいつの時代でも問題は存在しますが、日本の場合、ファシズムが吹き荒れ戦争に突入し、国土が焼け野原になった昭和10年代から20年代の状況が強烈なイメージになって残っています。不肖・石川は、戦後文学は肉体的にも精神的にも〝腹減った文学〟として総括できるのではなひかと考えたことがありますが(爆)、わたしたちはこのイメージで戦前を捉えがちです。たとえば明治・大正時代はみんな貧しくて、食べ物もろくになく、多くの人たちがお腹を空かしていたとか。
しかしそんなことはまったくなひです。もちろん貧富の差は今より凄かったですが、マジョリティを占める中流階級はそれなりに豊かな生活を送っていました。しかし時間が経つと、両極端しか人々の記憶に残らなくなるんですね。もんのすごく貧しいか、もんのすごくリッチか、どちらかの生活しかなかったやうに思ってしまふわけです。ドラマや小説などにするときは、その方が人々の関心を惹きやすいからでもあると思ひます。
昔の一般庶民の生活を知りたいときは、全集を読むといいと思います。特に日記が残っている作家の全集なんかを頭から尻尾まで読むと、ある時代の機微がわかってきます。明治・大正期の作家たちはそれなりにうまい物を食べて、私たちと同じように楽しみを見つけて暮らしています。それを読むと、昭和10年代から20年代が、いかに異様な時代だったのかもわかってきます。二次大戦中の言論統制がずっと以前から行われていたら、江戸文化・文学は絶対成立していませんし、漱石・鷗外などの近代文学も生まれていなかったはずでごぢゃりますぅ。
■ 田山了一 TVバラエティ批評『No.043 歴史秘話ヒストリア』 ■