池田浩さんの文芸誌時評『No.006 小説宝石 2013年12月号』 をアップしましたぁ。雑誌に添付されている『別冊付録 このミステリーを読め!2013』を取り上げておられます。福田和代、大崎梢、友井羊、大村友貴美、深木章子、永嶋恵美さんの6人の作家が書いておられます。友井さんは性別不明ですが、あとは女性作家さんですね。意図的に女性作家の作品を集めた別冊付録なのかもしれません。
池田さんは『ミステリーの作法は「本格」と呼ばれるものに顕著である。そして謎解きに男も女もないのであり、・・・作者の性別も名前も、アイデンティティすらどうでもいいっちゃ、いい』と書いておられます。また『以前から、女性ミステリー作家はいたのだが、女性ならではのミステリーだったか、というと、そうではなかった。・・・多くのミステリーはミステリーの作法に則って、その作者がたまたま女性である、という以上のものではなかった』とも書いておられます。まあそうですね。ミステリーは作家が男性か女性かをあまり意識しないジャンルです。
ちょいと前にこのブログで書きましたが、ミステリー業界も過渡期です。ミステリーの華であるトリックが設定しにくくなっているんですね。現在では防犯カメラ、DNA鑑定などが犯罪捜査の主流です。また情報化社会によって人間はいたるところに行動の痕跡を残していて秘密の情報がなくなりつつある。つまり新しいトリックには新たに出現したツールを使わねばならないわけですが、その組合わせは無限です。でも誰もが知っていて、かつ読者がアッと驚くようなツールを選び出すのは難しい。そのため『男性ミステリー作家の書くものにも、人情とか滑稽味・・・要素が付け加わってきている』と池田さんは書いておられます。
詩や小説といった文学ジャンルを見渡しても文学ジャンル内のサブカテゴリーを見ても、多かれ少なかれ文学は過渡期に差しかかっています。ただ池田さんがおっしゃるように『ミステリーを成立させているものは、構造である。本格ならば論理構造、そうでなければ社会構造』であることは変わりません。また男性作家・女性作家それぞれに、現実社会に影響された得意・不得意領域がある。
池田さんは『女性にとって、社会は日常的に、それ自体が不可知である。男という存在も。その地点から書かれるミステリーなら、作法を経ずにしていきなり謎が、それも素のままに現れるという点で、確かに新しい』と書いておられます。そうかもしれません。男は社会制度に縛られ、女をそれを内側から崩壊させる小説の方が、だんぜん面白い内容になるのは確かなように思われます。
■ 池田浩 文芸誌時評 『No.006 小説宝石 2013年12月号』 ■