小原眞紀子さんの『文学とセクシュアリティー 現代に読む源氏物語』(第024回)をアップしましたぁ。『源氏物語』第33帖『藤裏葉』(ふじのうらば)の巻の読解です。不肖・石川、連日の花見酒で意識が混濁しておりまして、小原さんのコンテンツアップ日を一日間違えてしまひました。小原さん、申しわけありませぬ~。ほんで今回は、『源氏物語』が光といふ男性主人公を据えながら、なぜ女性たちの物語であるのかが解き明かされています。
小原さんは『夕霧は、ただの臣下として少しずつ出世はするだろうが、それだけのことだ。それに比べて(身分の低い明石の君を母とする)姫君は、これから並びのない御身分になるのだ。・・・身分の低さをものともせず、持ち合わせた資質や運命のエネルギーで天上にまで駆け上がってゆくのは、女性なのです』と書いておられます。『藤裏葉』での源氏の態度は息子に冷たく娘に甘い父親のそれとも、天皇家を至上とする作者・紫の姿勢とも読み解かれてきたわけですが、小原さんの読解は違います。すべては『あやにくと呼ばれる源氏の執着、単なる男女の、ひと通りのことではない深い縁、すなわち説明のつかない偏愛が彼を導いた』と論じておられます。
また小原さんは、『偏愛がない作品とは、思想のない作品です。作者の偏愛が作り出すヒエラルキーによって、通常の登場人物はあらかじめ「格付け」され、その規を超えることはできない。身分や血筋は、それを表現するための方途です。・・・天-作者からの確信的な「偏愛」を、その「運命」として受ける彼らは源氏の愛した女性たちであり、それらの女性たちへの偏愛を自らの運命に転化する唯一の男性、光源氏自身です』とも書いておられます。その通りでしょうね。
『源氏』は本質的には今と変わらぬがんじがらめの社会での権力闘争物語としても読めるわけですが、それを無化する力が働いているから魅力ある物語であるわけです。そこを感受しなければ、『源氏』はいつまでも古くさい物語で終わってしまふ。『文学とセクシュアリティー』、第一級の『源氏』読解ガイドだと思います。ごゆっくりお楽しみあれ~。
■ 小原眞紀子 『文学とセクシュアリティー 現代に読む源氏物語』(第024回) ■