小原眞紀子さんの辻原登論『辻原登-現代小説の特異点(上)』をアップしましたぁ。文学金魚新人賞の選考委員をお願いしている辻原登さんについての本格的評論です。小原さんは東海大学の文学部文芸創作学科で非常勤講師をしておられるので辻原さんの同僚です。なお小原さんの辻原論は約50枚です。15、6枚に分けて今日から3日連続でアップします。
小原さんは普段、テキストから読み取れる事柄以外は採用しないといふ〝テキスト・クリティック〟の方法を採用しておられますが、今回は例外的な読解法を取られたようです。『この十年来、読んできた辻原登のテキストをチェックし直し、批評をテキスト・クリティック的に再構成することも、今回はするまいと思う。それは他の評者がするだろう。私はたまたま置かれた状況に応じ、自分にとっても珍妙な方法だが、文庫本の後ろに知人が書くような人物論と、テキストに基づく作品論を突き混ぜつつ、理解できたと思われるすべてを記す』と書いておられます。
初回は主に、辻原文学におけるデュラス的なエクリチュールについて論じておられます。簡単に言えば、いかにも小説らしい構造を設定しないといふ手法です。小原さんは『構造を作り上げることをもってオリジナリティと呼ぶなら、それはオリジナリティの欠落ということになる』、しかし『エンタテイメント的な要請にも、純文学的な前傾姿勢にも応えつつ、最後のところは常に、決して判をつこうとしないのは、それを一種の〈悪魔の取引き〉として見切っているからではないか。通りのよい〈思想〉に魂を売ろうとしない頑固さは、それ自体が〈思想〉ではないにせよ、まぎれもない〈信念〉である』と論じておられます。
なるほどねぇと不肖・石川は思ったのでした。辻原さんの作品は、読んでいる分にはとても面白いのですが、いざ批評してごらんなせぇと言われると、とたんに困ってしまふところがあります。あれ、なにをとっかかりにすればいいんだっけ、と考えてしまふ。小原さんがおっしゃるように、辻原さんには『通りのよい〈思想〉に魂を売ろうとしない頑固さ』がありますね。このような辻原文学の特徴、確かに人物論を交えなければ明らかにできないかもしれませぬ~。
■ 小原眞紀子 辻原登論『辻原登-現代小説の特異点(上)』 ■