谷輪洋一さんの文芸誌時評『No.008 文藝 2014年(春号)』をアップしましたぁ。特集は『国境なき文学団』です。谷輪さんは『内容はともかく、こういうタイトルにするのはちょっとやめてもらいたいな、という感じ。・・・特に引っかかるのは、紛争地域へ出向き、国境も国籍も関係なしに医療活動をする、という目的に比して、そこでやってることは何なんだろう、と思わせてしまって平気なことだ』と書いておられます。ま~言いにくいですが、不肖・石川もほぼ同感です。
簡単に言えば『国境なき文学団』という特集は、世界には現実に様々な言語がありそれは文化の絶対的な違いを表象しているが、一方で高度情報化が進み世界文学と呼べるような文学パラダイム(市場)が現れつつあるのではないかといふ認識が基盤になっています。この特集を有効なものにするためには、言語(文化)的差異を考え抜いている文学者か、実際に世界マーケットで支持を得ている文学者を連れてこなければダメですね。編集者がアイディアを出すのはいいですが、それに全精力を傾けてくれる作家はなかなかいない。ありきたりで、どっかで聞いたような認識で終わってしまふのが常です。
文芸誌は作家の作品発表ペースメーカーの役割を担っていますが、季刊とか年1冊とか雑誌刊行数が少なくなればなるほど編集者は特集を組みたくなるものです。それはちょっと危険なんだな。編集者のフラストレーションが特集という形で発散されやすくなる。でも編集者ができることには限界がある。文学の状況は作家が作るものであり編集者は黒子です。
もっとも詩誌はすっかり特集慣れしてしまっています。ほとんどの作家が右見て左見て、相も変わらぬ横並びの曖昧な詩的評論を書くことに首までどっぷり漬かってしまっています。不肖・石川、詩の世界を大きく変える原理的認識が現れるとすれば、文学金魚からかもしれないと本気で思います。申し訳ないですが、少なくとも既存詩誌にはムリですね。そもそも何のために特集を組んでいるのか、編集部も作家もわからなくなっているからです。企画に乗っかることが文学活動だと誤解している作家は、文壇より圧倒的に詩壇に多いです。
■ 谷輪洋一 文芸誌時評『No.008 文藝 2014年(春号)』 ■