田山了一さんのTVバラエティ批評『No.030 プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達』をアップしましたぁ。年末や深夜にひっそり放送されている、ドキュメンタリータッチの番組です。『関係性の中で生活してゆくしかない我々の日常において、一個の肉体として終始するとは、うっとりするような憧れである。社会における我々と違い、「クビ」などという不名誉な言葉を回避しようともしない』と田山さんは書いておられます。確かにそうですね。スポーツの素晴らしいところであり、残酷なところでもあります。
田山さんはまた、『彼らは、我々の社会へと帰ってくる。不完全燃焼での燃え残りを何十年もかけて、日常の中でじりじりと焼き尽くすしかない我々の世界へ』とも書いておられます。わたしたちが生きる世界はスポーツほど明確ではないです。人間は年を取れば取るほど可能性が狭められていく。無限にあったはずの可能性を一つに絞り込めた人は幸せですが、そうでなければ残りわずかな可能性にしがみついて生きていくことになる。しかも誰も、決定的な形で契約打ち切りをしてくれない。適度に自己と社会の関係に折り合いをつけなが、残酷でありぬるくもある日常を生きていくことになる。
文学の世界は厳しいとはいえ、スポーツほどはっきり結果は出ません。自分は文学者だと認識することで、いくらでも自己説得ができる。職場の同僚とは違うんだと微かな優越感にひたることもできますし、似たような仲間を集って居心地のいいコミュニティを作ることもできる。しかしたいていの場合、誰もが抜け駆けしたいと願っているのにドラフトやトライアウトを避けている。
ダメ出しの出ない自己表現はムダだといふのは本当のことです。またスポーツと違い、文学の世界では本質的な意味で仲間はいません。仲間からの援助など一時しのぎで結局のところ役に立たない。世渡り上手な文学者には世渡りのための、誰がやってもいい隙間仕事があるだけのことです。すべてはたった一人で、不特定多数の他者の視線にさらされるステージに立つことから始まります。
■ 【02月06日】 田山了一 TVバラエティ批評『No.030 プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達』■