『文学金魚オフィシャル読者サイト きんぎょばち』の新コンテンツ、鈴木真吾さんの『三浦俊彦『偏態パズル』レヴュー―』をアップしましたぁ。連載中とはいえ、『偏態パズル』についての本邦初の評論であります。以前、『離婚式』といふ言葉を最初に使い、世に広めたのは三浦さんではないかと書いたことがあります。三浦さんは自らの先駆性(?)に対して無頓着なお方ですから、特に何も主張されていないやうですが、彼の小説が現代社会と密接に関係しているのは確かです。ただその密着の仕方が独特なわけでして。
鈴木さんは『偏態パズル』について、『本作を通読する中で、まず思い浮かんだ作品は・・・『家畜人ヤプー』(と沼正三)であったが、通読を進めていく上でさらに2つの作品が脳裏に浮かんだ。・・・読者の関心や読みやすさを無慈悲に突き放し、冷淡かつ黙々とした語り口や壮大なスケールに展開する観念論は埴谷雄高『死霊』、そして物語の背景を固める設定に関する薀蓄や説明(この点は『ヤプー』にも重なる)や、不可解な(異)文化論を提示する下りにダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイクガイド』を重ねてしまった』と書いておられます。ああなるほど~と不肖・石川は思いましたです。
今日ニュースを見ていたら、日本テレビで放送中の『明日ママがいない』のスポンサー全社がCM放送を自粛するといふ記事がありました。その是非は別として、社会が隠そう、できれば触れないでおきたい事象に切り込んでいく際には細心の注意が必要です。ただそれによって、最初にその事象を表現しようと意図した時の、信念が曲げられてしまふことがあってはならない。地雷を回避するための知性が必要とされるわけです。
三浦俊彦といふ作家は、特異であり特殊な作家さんです。しかし彼が抱えている主題が特殊なのだとは必ずしも言えない。三浦さん的な主題を表現しやうとしている作家は他にも大勢います。三浦さんの特殊さはその表現方法にあるだろうと思います。簡単に言えば、表現とは何かを理解されています。またそれがどこに届くべきなのかも理解しておられる。書くことは99パーセントの技術によって成立します。アイディア(主題)はほんの1パーセントに過ぎない。しかしこの1パーセントを活かすも殺すも、作家が持っている技術の高さなのです。
■ 『文学金魚オフィシャル読者サイト きんぎょばち』 鈴木真吾『三浦俊彦『偏態パズル』レヴュー―』 ■