長岡しおりさんの文芸誌時評『No.010 小説すばる 2013年11月号』をアップしましたぁ。町山智浩さんの『トラウマ恋愛映画入門』刊行記念『世界は映画でできている』特集を取り上げておられます。町田さんは映画批評家でコラムニストです。町田さんは『地獄のアメリカ道中記 ディア・ハンター』を寄稿しておられます。紀行文の体裁を取っていますが内容はフィクションです。
長岡さんは町田さんの映画論に沿って、映画受容を二通りに分類しておられます。一つは映画を表層的に捉える方法です。『アメリカを訪れたとして、そこで受ける疎外感も、あるいは与えられる親近感も、スクリーンを隔てている、と考えれば納得がいく。・・・映画を「表層」と見なそうとするのは、したがって一つの選択された「態度」である』わけです。
もう一つは文化深層として捉える方法です。『映画はかつてはしばしば国策そのものであったし、今だって隠微な、あるいはあからさまな形で政治的に利用されている。ならばあらゆる映画の表層に対してむしろ、政治的な「意味」を読み込もうとする「態度」を選択することも可能だ。このときには映画は「深さ」を呼び込む装置となり得る』ことになる。
どちらが正しいといふことではありません。長岡さんは『「表層」の広さ、「意味」の深度を自在に設定することで、映画はなるほど世界を覆い尽くすし、そのとき「世界は映画でできている」。そしてその選択された「態度」こそが「文学」であるということになる』と結論付けておられます。不肖・石川も長岡さんの考えに賛成です。文学を含む人間の表現は作家の一貫した思想態度から生まれるものだと思います。
■ 長岡しおり 文芸誌時評 『No.010 小説すばる 2013年11月号』 ■