大野露井さんの連作詩篇 『空白』 『第 006 回 Ⅴ 感』 をアップしましたぁ。今回は confession (告白) 文体ですね。大野さんの詩の書き方は、ほんとうに言語的だと思います。普通の詩人なら 『痛いときどう言えばいいのか』 で始まる最初のセンテンスで主題が明確になりますから、撞着的表現を早めに切り上げるはずです。ところが大野さんの場合、『胸に突き刺さる舌鋒』 で始まる第3センテンスまで違う言葉で主題が繰り返される。言葉を積み重ねることによって主題の深層に至ろうとしているわけです。
この読解に従うと 『おまえはいったいどういうつもりなんだ、恥ずかしくないのか、』、『おまえはいったいどういうつもりなんだ、』 の2センテンスが、いわゆる作家の内面告白といふことになると思います。しかしそう簡単ではないでしょうね。やはり繰り返しの撞着的言語表現が効果を上げています。これもまた言語化された内面であり、詩の言葉は 〝空白〟 を巡る 〝感〟 になっています。大野さんは根っからの言語派だと思います。
抒情、つまり作家の私性に根ざした感情表現はすべての詩の表現に含まれています。戦後詩や現代詩と呼ばれる言語派の作品も多くの抒情表現を含みます。ではいわゆる抒情詩と現代詩の何が違うのかと言えば、世界観ということになると思います。抒情詩はあくまで作家の私性の表現のためにありますが、現代詩は作家の世界認識構造を言語的に表現するためにあるということです。
ですから修辞的には現代詩に見えるけど、その実態は抒情詩となんら変わらない私の独白という詩はたくさんあります。今書かれている現代詩的な作品のほとんどがこのカテゴリーに含まれます。1950 年代から 70 年代にかけて書かれた現代詩と今の現代詩風の作品を比較すれば、それは誰にでもはっきりわかるはずです。その逆に抒情詩の体裁を取っていても、本質的には現代詩的な世界認識構造が表現されている作品もある。大野さんの作品はやはり現代詩的、つまり作家の世界認識構造を表現するために抒情が援用されています。次回も楽しみでありますぅ。
■ 大野露井 連作詩篇 『空白』 『第 006 回 Ⅴ 感』 PDF版 ■
■ 大野露井 連作詩篇 『空白』 『第 006 回 Ⅴ 感』 テキスト版 ■