『文学金魚オフィシャル読者サイト きんぎょばち』 の新コンテンツ、化野ゆうひさんの 『 <文芸誌評> 評 ― 混沌と分類 ― 』 をアップしましたぁ。きんぎょばちは文学金魚の若い書き手と読者がつくるオフィシャル読者サイトですが、化野ゆうひさんに文学金魚掲載の 『文學界』 や 『S-Fマガジン』 の文芸誌時評に対する批評を書いていただきました。化野さん、ありがとうございました。
文学金魚は新たな情報発信と出版形態の確立を目指すネット上の本格的文芸誌であり、いわばベンチャーですから、常に新鮮で才能ある執筆者の方を探しています。ただネット上で作品等を公開されている作家の方もいらっしゃいますが、それだけでは作家の力量を把握しきれないところがあります。そこで金魚屋新人賞とオフィシャル読者サイト きんぎょばちをオープンさせていただいたわけです。
ネットは人間同志の新たな結び付きを可能にしましたが、書く作業の本質は有史以来ほとんど変わっていません。孤独な作家が思考を凝らして黙々と書くのは昔も今も将来も同じで、変わったのはアウトプットだけです。ものすごく単純化して言えば、一定の質の作品をコンスタントに書けるのが作家の力量というものです。文学金魚もまたそのような作家を探しています。金魚屋新人賞はもちろん、きんぎょばちにもどしどし応募・投稿していただければと存じます。
余計なことを書きますが、たいていの作家は自分で考えているほど書けないものです。メディアから声がかかればいくらでも書けるという考えは、ほとんどの作家にとっては幻想です。4、5 本も書けばそれまでのストックなど尽きてしまう。また一作で世界を変えてやろうという考えも幻想に近い。秀作が出れば世界は多少賞賛してくれるかもしれませんが、すぐにそれは相対化されます。秀作をコンスタントに書けることが重要なのです。
文学は実業の世界と比べれば虚業です。虚業を仕事にしたいのなら、実業の世界の人たち以上に努力し働き続けなければなりません。虚業を可能な限り実業化するわけです。まだ世に出ていない優秀な作家がたくさんいらっしゃることは信じて疑いませんが、ほんとうに優れた作家になるためには作家自身の中での意識変革も必要です。文学を仕事にするとはどういうことかを、執筆時間や枚数 (量) も含めて真剣に考えなければなりません。
作家が前に進むためには、今抱えている (と思っている) リソースを、まず全部吐き出すことです。そうすればそれ以上先に進めるか、そこで止まってしまうか、自ずからわかります。自分の限界を次々に更新できる作家だけが文学を職業にできます。文学金魚には紙媒体のような物理的ページ数の制限はありません。皆様で十分にご考慮の上、文学金魚をうまく活用していただければと思います。
■ 『文学金魚オフィシャル読者サイト きんぎょばち』 化野ゆうひ 『 <文芸誌評> 評 ― 混沌と分類 ― 』 ■