鶴山裕司さんの連載抒情詩 『羽沢』 『第 008 回 ランプ屋/ガラスの靴/お月さま』 をアップしましたぁ。きっちり 3 篇ですね。自由詩で、かつ一篇ごとに完結している抒情詩を毎月 3 篇書くのは大変だと思いますが、律儀に 3 篇ペースを守ってくださっています。とはいえ鶴山さんは、『今回もたまたまです』 とおっしゃっているのですけんど。まあ、あんまりプレッシャーをかけるのはよくないですね (笑)。
不肖・石川の自由詩理解の大部分は、鶴山さんからのレクチャーといふか、受け売りなんですが、この方の思考は面白いです。いわゆるポエジーといふか、特権的存在として精神世界を漂う詩人といった曖昧な詩的雰囲気 (アトモスフィア) が大嫌いみたい (爆)。でも石川も賛成ですね。詩は作品や散文で茫漠とした詩的雰囲気を表現する芸術ぢゃないですよ。それは過去の名作を読めば誰にでもわかります。むしろ詩は断言です。鶴山さんには 『現代詩人論』 も連載していただいていますが、詩を厳密な論理で捉え、それを超える作品を作り上げる方が結局は早道だといふお考えがあるやうです。
そんで現代詩的なハードコア詩を書いておられた鶴山さんが、いきなり意識的に抒情詩を書き始められたわけですが、前に 『抒情詩書くのって面白いですか』 とお聞きしたことがあります。鶴山さんの返事は熾烈でここでは書けませんが、あ~なるへそ~といふものでした。その気になったらいつかご自分でお書きになるでしょ。ただ鶴山さんのように、はっきりした詩法のギアチェンジができる詩人は珍しいでしょうね。たいていの詩人は一度詩法を変えたら元に戻れなくなります。石川は鶴山さんは『羽沢』 連作が終わったら、本来の詩法でまた作品を書き始められるだろうと思います。
■ 鶴山裕司 連載抒情詩 『羽沢』 『第 008 回 ランプ屋/ガラスの靴/お月さま』 PDF版 ■
■ 鶴山裕司 連載抒情詩 『羽沢』 『第 008 回 ランプ屋/ガラスの靴/お月さま』 テキスト版 ■