No.027 『安井浩司 「俳句と書」 展』 開催記念コンテンツ、田沼泰彦さんの 『 No.010 『声前一句』 の眼』 をアップしましたぁ。安井浩司さんの師で、多くの読者や文学者から愛され続けている永田耕衣さんを取り上げておられます。詩人・吉岡実さんが耕衣さんの作品を愛好したことはよく知られています。小説家・城山三郎さんは 『部長の大晩年-永田耕衣の満開人生』 を書いておられます。禅を思想的中核とした作家ですが、この大先生の内実、そう簡単ではありません (笑)。
高柳重信は 『伝統俳句という俳句はないし前衛俳句という俳句はない。俳句は俳句だ』 という意味のことを書きました。もちろん反語です。重信の試みには、一行表記の有季定型俳人 (伝統派) から激しい批判が浴びせかけられていました。彼は闘っていたわけです。ただ重信の言葉は例によって正確です。俳句文学における伝統と前衛派の区分は便宜的なものであり、前衛指向と伝統理解が俳句の現代性の両輪です。つまり重信の言葉には、状況論と本質論が重ね合わせて表現されている。しかしこのような明晰な言葉で俳句伝統と前衛の関係性を表現した作家は重信が初めてです。俳句の最前線である前衛だからこそ、伝統への深い理解が前提となります。
ただ重信は、当時はそうせざるを得なかった自らの試みが 〝必敗〟 のものではないかという予感を抱いていた。重信はこの必敗を超克するために、あえてそれを言葉にしたとも言えます。そのくらい彼は怜悧だった。重信の師は富澤赤黄男ですが、彼は耕衣にも熱い視線を送っていました。厳密な論理的思考者であった重信にとって、論理の限界を突破するヒントが耕衣にあったのではないかと思われます。それは耕衣を師とし、重信に私淑した安井さんに継承されています。戦いはまだ続いているわけです。
もちろん必敗、あるいは勝敗などといった言葉も便宜的なものです。伝統と前衛俳句と同様に、そう用語化した方が思考を先に進められるから使用されているに過ぎない。ただこの戦いの本質が、現実俳句界とは関わりのない純粋な文学的投機にあるのは確かです。また重信も安井さんも、初めから負けるとわかっていて俳句に戦いを挑むほどぬるい文学者ではない。耕衣や重信、安井さんはもちろん、子規や虚子らの偉大さは、俳句文学の運命を自らのものとして引き受けたことにある。アウトサイダーとして俳句に関わるなら有季定型の文人俳句で充分。
俳句界には日本文学を代表する作家が何人もいます。彼らに甘ったれた尊敬を捧げるのは無意味です。俳句伝統に従って、まず先師の仕事を可能な限り正確に読み、実践することです。たとえば単純ですが、多行俳句の実践者は絶対に安井さんの弟子筋ではない。前衛俳句の時代を生きた安井さんにとって、一行俳句形式は思想的確信 (核心) でもあるからです。通常の一行俳句と何が決定的に違うのかが安井文学のアポリアです。いずれ若い作家の中から安井さんの仕事を的確に理解し、それを乗り越えていく優れた後継者が現れるでしょうね。耕衣さんが愛した禅語で言えば、『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し』 という至高の愛の形でしょうかぁ。
■ No.027 『安井浩司 「俳句と書」 展』 開催記念コンテンツ 田沼泰彦 『 No.010 『声前一句』 の眼』 ■