小原眞紀子さんの連載評論 『文学とセクシュアリティー 現代に読む源氏物語 (第 018 回) 』 をアップしましたぁ。『胡蝶』 と 『螢』 の巻を取り上げておられます。詳しくはコンテンツをお読みいただければと思いますが、これらの巻はけっこう複雑な内容です。作者・紫による 『源氏物語』 への 〝物語批判〟 が展開されているとも読めるからです。こういふところにも 『源氏』 が古典文学中の古典である理由があります。単に古い物語ではなく、小説文学のエッセンスを凝縮した傑作であるわけです。
小説には主人公とそれを取り巻く主要な登場人物がいます。言うまでもなく作家の思想に沿って作られた人間たちです。小説家は人間存在は複雑で論理的文章などでは解明できないと考える創作者ですから、その思想は多面的であり、それが主人公と登場人物たちに分裂表現されるわけです。たいていの場合、作家の思想が最も強く反映されるのが主人公です。ただ作家の思想は主人公の言動によってのみ表現されるわけではありません。主人公の言動を相対化し、物語世界自体をも相対化する作家の視点によっても表現されます。それがいわゆる 〝物語批判〟 と呼ばれるものです。
小原さんは 『スリリングな自己言及とは、自我を離れ、自己を相対化する外部の視線から形作られます。・・・玉鬘十帖が、それ以外の物語全部を書き上げた後に加えられたという説が正しいなら、作者自身の視線で源氏と藤壺の関係を外部から相対化した、物語作者による自身の物語への自己言及である、とも捉えられます』 と書いておられます。作家・紫の視点は源氏とともにあるのではなく、『源氏物語』 の中に留まっているのでもなく、もっと高い審級に置かれているわけです。漱石が言った 〝則天去私〟 も、恐らく同じような意味だと思います。
■ 小原眞紀子 連載評論 『文学とセクシュアリティー 現代に読む源氏物語 (第 018 回) 』 ■