大野ロベルトさんの連載評論 『 『無名草子』 の内と外 ― 読み、呼び、詠み、喚ぶ ― (第005回) 』 をアップしましたぁ。『無名草子』 の 『捨てがたきふし』 という一節を論じておられます。『無名草子』 の女房たちは、『花』 『月』 『文 (ふみ) 』 『夢』 『涙』 『阿弥陀仏』 『法華経』 を愛惜すべきものとして捉えていたようです。
これらを大野さんは、当時の 『百科 〝辞〟 典』 ( 『百科 〝事〟 典』 ではありませんよぉ) として捉えることができると論じておられます。詳細はコンテンツをお読みいただければと思いますが、ウンベルト・エーコの用語で、ある共同体固有の意味 (あるいは感覚的) 伝達内容を網羅した辞書という意味らしいです。鎌倉初期の女房たちは、これらの言葉が喚起する共通の文化的コンテキストを生きていたということであります。
そんで太宰治を引用して、『枕草子』 の 『名詞から連想を引き出すという意味生成のプロセス』 を論じておられるのは面白いですねぇ。言われてみれば確かにそうで、清少納言はモノ (名詞) から抽象思考を紡ぎ出しています。フェティッシュだな~。だけんど和歌には古くから場所 (地名) に憑いて心情を表現する歌枕があります。また時代が下ると先行テキストの和歌をモノ化して歌枕とするような本歌取りが発達します。
この言葉とモノへのフェティシズムは大野さんにもあるかも (笑)。石川は残念ながら手に取っていませんが、鶴山裕司さんの大野さんの既刊書籍の書評の図版を見ると、大野さんの書物へのフェティッシュな愛情が伝わってきます。もしかしたら、古代的心性をお持ちなのかもですぅ。
■ 大野ロベルト 連載評論 『 『無名草子』 の内と外 ― 読み、呼び、詠み、喚ぶ ― (第005回) 』 ■