池田浩さんの文芸誌時評 『No.006 小説新潮 2013年04月号』 をアップしましたぁ。特集は 『時代小説 春告鳥』 です。 『時代小説の現代ものにはない味わいとして 「季節感」 がある、というコンセプト』 の特集のようです。えっらい間口の広いコンセプトでして、要は時代小説特集だといふことであります (笑)。
池田さんは 『現在の文学の貧しい状況は、季節感を失ったことそれ自体からもたらされたのではなく、季節感によって規定される日本的世界観から切り離されていることを当たり前のように思っているところから来ている』 と書いておられますが、その通りだと思います。季語を大事にする俳句では専門誌で定期的に季語特集が組まれていますが、作品でどう季語を使うか、旧暦と新暦の違いをどう考えるか、新しい季語をどう取り入れるのかといった小手先の企画ばかりです。なぜ季語なのかという原理的問題は問われない。季語が形骸化しているとすれば、それは日本的世界観が崩壊しつつあるということでしょうね。
日本的世界観は、循環的世界観と言ってもいいかもしれません。個人主義文学の時代に循環的世界観が廃れるのは当然です。問題は個人主義文学の時代に都合よく循環的世界観が援用されることにあるでしょうね。たとえば時代小説なら、植物のように冬が来れば人生の終わりをあっさり受け入れることができる人間を描くことができるとか (笑)。現代小説では不可能である以上、それは一つのおとぎ話です。
要はもっとよく考えることです。漠然と日本的世界観を捉えていたのでは、その陥穽にまんまとはまってしまいます。小説は小さな説なのであり、作家自身のものであれ、小説作品全体の構造としてであれ、一つの思想が表現されている必要があります。
■ 池田浩 文芸誌時評 『No.006 小説新潮 2013年04月号』 ■